金の衣・夢の灯り
(きんのころも・ゆめのあかり)

*オリキャラ注意




 この地方では、秋祭りに大切な人に手作りの物を贈るのだという。
 去年、初めてこの地方で迎えた秋祭り。
 用意したのは手編みの肩かけ。
 編もうと思ったのは、とても大切なひとが勧めてくれたから。
 贈りたいと思い始めたひとがいたから。
 編み針を最初に持った時、これほどまでに想いが育つなどと予想もしていなかった。
 編み終わる頃には、もうとっくに想いは育ちきっていて――。

 恋はどこから来て、どこまで続くのだろう。
 今年この膨れ上がった想いを託すには、どんなものを作ればいいのだろう――?




 何かを欲しいという気持ちは、時に恋に似ているかもしれない。

「盗まれたというのは、本当ですのーっ!?」
 茶州・州城の一室。飛び込んできた香鈴は、開口一番に問い詰めた。
 部屋には三人の州官がおり、香鈴はその中から見知った顔を探し出す。
「状況をくわしく聞かせていただけますわね?」
 標的にされた燕青は、困ったように頬を掻いた。
「今日の昼過ぎ、例の展示場所を通りかかった文官がなくなってるのに気付いた。で、すぐさま武官を使って行方を追ってみたんだが……」
 今はもう夕刻である。窓から見える昊には茜色に染まった雲が浮かんでいた。
「まだ、何もわかっていないんですの?」
「……いや。物は見つかったし、犯人も押さえてあるんだけど」
 返答は香鈴の予想外だった。それでは香鈴が呼ばれる必要はない。このままさっさと踵を返して出ていこうかとも思ったが、疑問が残った。
「その犯人の方、何故盗もうとなさったのですか」
「別に売るつもりとかじゃなかったみたいなんだが、泣くばっかで答えてくれなくてさー」
 犯人にしてはずいぶん小心のようだ。
「……? その方にお話、伺ってもよろしいですか?」
「んー。それそれ。それで呼び出したんだ。俺らだと怖がってて何も話してくんねーし、嬢ちゃんの方が話やすいかと思ってさ。ちょっとこっち来てもらえるか?」
 燕青の後について香鈴が連れて行かれたのは、窓もない簡素な狭い部屋だった。
「あなたが……?」
 そこにいたのは盗人猛々しい屈強な大男ではなく、途方にくれて青い顔をしたひとりの若い娘だった――。




「今年の秋祭りを盛りあげるために」
 と、出された企画を香鈴が最初に聞いたのは、まだ残暑の残る頃だった。
 企画者が男ばかりの州官ならではの内容は、おそらく秀麗がいたころなら却下されたであろうものだ。
 すなわち。

「琥漣美人大会! 秋祭り当日正午より、州城門内広場にて開催。
 豪華賞品と祭りの始まりを告げる大役をものにする美女大募集!
 自薦・他薦問わず。当日の飛び入りも歓迎。
 十五から二十五歳の未婚の琥漣在住の女性に限る。
 広場に集まった住人有志による公平投票。琥漣一の美女を皆で選ぼう!」

 聞いたとたん軽く頭痛がした。
(男の方って……!)
 正直不快さ半分、呆れた思い半分で聞いていた香鈴だったが、さらに手伝って欲しいと言われて目をまるくした。
「ほら、参加したいって思ってもらわないと始まらない企画だろ?こう女心をくすぐる考えとかあったら助かるんだが」
 州牧邸の夕食の前に、そう燕青は切り出した。
 とてもではないが州牧の補佐をする者の発言とは思えなかった。発案者のひとりなのではないかと疑われてもしかたあるまい。
「――この、豪華賞品って何ですの?」
「収穫したばっかの新米に新酒。秋の味覚盛り合わせ。でもそれだけじゃ何か弱いんだなー。そこらへん考えてくれると助かる」
「予算はどうなってますの?」
「できれば、これ以上かけたくない」
「……“豪華”、なんですのよね?」
「茶州が貧乏っての、嬢ちゃんだってわかってっだろ?」
 企画は既に通っていて、住民への告知も始まっているという。
 それではもうやめるわけにはいかない。やるなら成功させないと意味はない。
 香鈴は傍らの影月にちらりと視線を投げた。
(今年の秋祭りは、絶対影月様と楽しく過ごすんですの! そのためにも成功していただかないと!)
 香鈴はしばし考え、そして結論を出した。
「案なら一つ思いつきましたの」
「おおっ! 早いぞ嬢ちゃん!」
「でもそのためには、克洵様と春姫様にお願いしないといけませんわ」
「克と春姫に? じゃ、ちょうどいいじゃん」
 この日の夕食には若き茶家の当主夫妻が招かれていた。――招かれなくても、常時顔を出していたが。
 噂をすると、当の二人が部屋に入って来るところだった。


「えっ? 僕たちに何を?」
 近頃、当主らしさが増したと評判の克洵は優しげな顔で尋ねた。
 挨拶もそこそこに本題を切り出す。
「以前、茶家本邸にお世話になっていた時に気が付いたんですけれど、お蔵の一つに、とてもたくさんの豪華なお衣装が仕舞ったままになってましたの。英姫様のでも春姫様のでもないようでしたけれど」
 それほど長い間ではなかったが、香鈴は先代当主夫人である英姫に仕えていたことがある。
「ああ、それは……。うちの母やら祖母やら叔母やらが、せっせと作らせて着ないままになってた衣装だと思う」
「まだ、そのままですの?」
「茶家しか使えない色のものが多くて売るわけにもいかなくて。そのまま……だよね、春姫?」
「その通りですわ。わたくしやお祖母様の好みでもありませんし。香鈴、それがどうしましたか?」
 香鈴は先ほど聞かされたばかりの話を繰り返した。
「美人大会かー。楽しそうだねえ。あ、でも春姫は出られないんだね」
 普通こういう大会に人妻は出場できない。楚々とした可憐な春姫が、琥漣を代表する美女だということには誰も異論はないだろうが。
「そうですわね。でも香鈴でしたら……」
「わたくし、お手伝いの方に回りますの」
 香鈴が春姫に答えた時、影月が安心と残念を混ざった複雑な表情を浮かべたのには誰も気付かなかった。
「残念ですわ。香鈴なら優勝できそうですのに。ところで、先ほどのお衣装はどうするのです?」
 春姫が、本題に話題を戻してくれたので正直に答える。
「一式、寄付していただきたいのですわ。優勝の賞品にしますの。
 もちろん若向きのを選ばせていただいて、手を加える必要があれば加えます。
 茶家本家のために作られた衣装ですから質も縫製もすぐれていますし、庶民には手が出ないものでしょう?」
「誰も着ないし、売れないし、かまわないけど」
 克洵は迷うことなく同意した。実は茶家でも持て余していたのかもしれない。
「ですが、いかにも茶家という配色のものばかりですわよ?」
 彩七家の家名に基づく色は、準禁色と定められている。家名を名乗る者以外の着用はできない。
「色の問題は優勝者にのみ、特別の許可を克洵様より下していただければ」
「それくらいかまわないけどね」
 克洵はあっさりとその旨一筆書くことを約束してくれた。
 女なら、きれいな衣装に多かれ少なかれ関心がある。
 それが本来入手できないものであれば、なおさらだ。
「茶家より拝領のお衣装ともなれば、将来花嫁衣裳として使うこともできますから、若い女性ならきっと興味を持つと思いますの」
「嬢ちゃん、いいぞその案。もれなく大会に“箔”もつく」」
 それまで黙って香鈴と茶家当主夫妻のやりとりを見守っていた燕青は、この案が気に入ったようだ。
「そうですね。優勝した人はきれいな着物がもらえて。克洵さんとこはいらないものが処分できて。おまけに、寄付していただけるならこちらの予算にも響きませんし。一挙三得ですねー」
 影月がにこにこ笑いながら同意してくれたので、香鈴も内心大いに胸をなでおろした。
 ……顔には出さなかったが。
「なんだか楽しみなってきましたわね。香鈴、明日茶家本邸においでなさい。ふたりで選んでみましょう」
 春姫がそう言って、無事“豪華賞品”は確保が決定した。


 翌日、茶家本邸を訪れた香鈴は、春姫と蔵の中からあれこれ取り出して吟味した。
 さすがは茶家の奥方達の衣装である。蔵の葛篭より次々と出てくる無駄に贅沢な山。
 これらが袖も通されることなく仕舞われていたと庶民が知ったら、卒倒しそうな数であった。
「どんな方が優勝するかわかっていれば選びやすいのですが。いっそ何組か用意いたしましょうか?」
 またあらたな衣装を取り上げた春姫は、香鈴にもよく見えるよう広げた。
「いいえ、春姫さま。賞品ですもの、ひとつしかないことに意味があるんですわ」
 香鈴もまた別の衣装に手を伸ばす。
「それもそうですね」
 と春姫は同意したが、その後小さくため息をついた。
「仕方のないことと言えど、我が家の名前が紅家であれば……と思わないでもありません。これらは確かに豪華ではありますけれど、色目が若い女性に好まれるにはおとなしいように感じます」
 衣装はもちろん金襴や刺繍で飾られてはいるが、家名にちなんだ茶色を基調にしている。
「大丈夫ですわ。たとえば、これなど刺繍が華やかですもの」
「ああ、この刺繍は見事ですわね」
「こちらはどうでしょう? 春姫様」
「これでしたら、さきほどの衣装の方がよいのではありません?」
 二人は長い時間をかけてあれこれ迷ったあげく、ようやく合意に達した。
「せっかくですから、これに合う装身具も用意いたしましょう」
「助かりますわ。これでしたら金がよろしいかしら?」
「金のかんざしはたしか、克洵様の叔母さまがお好きでしたから、まだたくさんあるはずですわ」
 茶家の当主就任の際の差し押さえなどもあり、値打ちものの装身具はなくなってしまったが、たいして価値がないと判断されたものはこの行き場のない衣装同様、茶家に残されていた。
 もっとも“価値がない”といった代物でさえ、庶民には高値の花である。
 こうして装身具までおまけがついて、賞品は正真正銘の“豪華賞品”となったのだった。


 かくして、木で首のない人型の台が作られ着付けされて、州城の入り口に近い一室でその衣装は展示されることになった。
 秋祭りの一月前より米俵や酒樽と一緒に飾られた衣装は、保安上装身具を付けてはいなかったが、それでも州官たちが驚くほど多くの女性の視線を釘付けにした。
 中には連日州城に通ってながめていく女たちもいた。
 参加者名簿の数も増え、俄然、秋祭りと美人大会に向けて琥漣全体が盛り上がっていった。
 そうして祭りがあと半月後と迫ったある日、州牧邸にいた香鈴はその衣装が盗まれたと聞かされ、州城へと駆けつけたのだった。




「昼時で、ちょうど人が誰もいなかったんだよな。直接さわれねえように縄が張ってあっただけだし。まあ、盗もうと思えば盗めないこともない」
 通路を移動しながら、燕青が説明する。
「すぐに見つかったんですの?」
「ああ。何せ土台ごと持ってかれてたからな。あの土台は重いだろ? 州城の門から出てないのは、すぐ門番に確認したし、遠くにはいけないだろうとふんで探したら、州城の一室に隠れてるのを発見したってわけ」
 確かに、一本の木を丸ごと彫って作った人型は底部に石を錘にしたこともあり、かなり重量があった。
「どうして土台ごと盗んでいかれたのでしょう」
「そのあたりもだんまりなんだ。着物、土台に着せたまんまだったし。嬢ちゃんそれも聞きだしてくれよ。俺、部屋の外で聞いてっから」
 言葉通り燕青は部屋に入らず、外の壁に凭れた。
 香鈴はひとり部屋に入る。念のため、扉は少し開けておいた。

 その娘は、椅子の後ろに隠れるようにうずくまっていた。特に拘束もしていないのは、逃亡の心配も危険もないと判断されたからだろう。
 年の頃は十七、八か。質素な身なりのおとなしそうな娘で、とても大それたことをするようには見えなかった。
 おまけに泣き続けていたのだろう。本来の容姿はともかく、なかなか壮絶な顔になっている。
 これではすぐに話をすることもできないと判断した香鈴は、部屋の隅に見つけた茶器を使って、茶の準備をした。
 香りからあまり良い茶葉ではなさそうだったが、そんな贅沢を言っている場合ではない。
「お茶ですわ。それだけ泣いていらっしゃったら、喉がかわいたでしょう?」
 怯えさせないよう、わざとゆっくりと香鈴は娘に近づいた。
 目の前に差し出された茶を見て、喉の渇きに気付いたのだろう。おそるおそる娘の手が伸びた。どんな仕事をしているのか、娘の手はかなり荒れていた。
「どうぞ、お飲みになって」
 まだ戸惑っていた娘はその言葉に、ぬるめに入れた茶を口にする。
 たちまち空になった器にさらに注いでやる。二杯目を飲み干して、ようやく娘はおちついたようだった。香鈴が同性であり、危害も威圧も与えないように見えたことも大きいだろう。
 香鈴はゆっくり切り出した。
「わたくしは香鈴と申します。州牧邸で働いておりますの。あなたは?」
 小さな、小さな声が答えた。
「梨映(りえい)……」


 香鈴は焦らなかった。かつて宮城において先輩女官たちから教えられたことの応用だ。
 人に話しをさせるには、じっくり聞き手にまわることが肝心なのだ。
 おまけに強く詰問すれば、この哀れな娘は怯えて何ひとつ話せなくなるだろう。
 香鈴は梨映の向かいの椅子に腰をおろし、欲しくも無い茶をゆっくり口に運んで、ただ待った。
 耐え切れなくなったのは、予想通り梨映の方だった。
「なんで、なんにも聞かないの?」
「それでは、どうして? と、お聞きしてもよろしいですか?」
「盗むつもりなんて、なかった……」
 少し間を置いて、梨映はぽつり、ぽつりと話始めた。話は前後しまとまりがなく、わかりにくかったが、香鈴は辛抱強く、ただ聞き手に徹した。
 要約するとこういうことらしい。

 琥漣に住む梨映は、数日前にたまたま用事があって訪れた州城で、例の衣装を見たのだという。
「あんなきれいな着物、見たの始めてで。家に帰っても、仕事してても忘れられなくて」
 どうやら梨映も衣装を眺めに日参する女の一人になったようだった。
「今日も、お昼に時間できたから見にきたら、部屋ん中、誰もいなくて。悪いことだと思ったけど、思い切ってこっそり触ってみたら」
 梨映の様子から、絹の衣装など確かに今まで触る機会はなさそうだった。
「そしたら、もう信じらんないくらい気持ちよくて。袖の先に手を入れたら、するするって感じで。じゃあ、これ着てみたら、身体中すっごい気持ちいいだろうなって思って。そう考えたら、着たい、って頭がいっぱいになっちゃって」
 他に誰か現れたら、梨映はあわてて見ているだけのふりをしただろう。間がよかったのか悪かったのか。その時、いつまでも誰も来なかった。
「ちょっとだけ、って思った。ちょっとだけ着せてって」
 とは言え、梨映とて若い娘だ。いつ人が来るかわからない場所で、着替える気にはならなかった。
 どこかの部屋の隅を借りて着ようと思ったらしい。
 ここで香鈴はようやく口を挟んだ。
「どうして、土台ごと持ち出されたんですの?」
「脱がしてる間に人が来たら、やばいと思って……」
 それにしても、あれだけ重さのある物をよくぞ持ち出せたものだ。
 梨映は香鈴よりも背が高かったが、かなりの細身だったのでとてもそういうことができるように見えない。着付けの際、香鈴は土台をひとりで動かすことさえできなかったのだ。
 とにかく梨映は土台ごと持ち出して、近くの部屋に潜り込んだらしい。さすがにもっと遠くまではいけなかったようである。
 香鈴はもうひとつ質問した。
「どうして、お召しになられなかったんですの?」
 着るつもりで持ち出した衣装は梨映が着ることなく、土台に着せられたままだったという。そうする前に見つかったのかと尋ねると、梨映は首を振った。
「着たかったよ、すごく。だけど、どうやって台から脱がしていいかもわかんなかったんだよ……っ!」
 その答えに香鈴は納得した。あの帯の結び方は特殊で、かなり複雑だ。やり方がわからなければ、ほどくこともできないだろう。
 梨映の顔は、心底情けないものになっていた。
「あたしなんかが着ようなんて思ったから、バチがあたったんだ。なんにもできないうちに、部屋の外が騒がしくなって。なくなったことを気付かれたんだってわかって――」
 ようやく、自分がしたことが“盗み"になることに気が付いて。すっかり動転して、自分から出て行くこともできずにそのまま部屋で立ち尽くしていたらしい。
 梨映は涙を流しながら、ぽつりと言った。
「盗むつもりなんか、なかった。だいそれたことするつもりなんかなかったのに……」


「あのお衣装、そんなに気に入られました?」
 部屋の中にしばし沈黙がおりた後、香鈴が口にしたのは責める言葉ではなかった。
「とっても! すごいきれいで、お姫様みたいで、一度でいいから着てみたいって思って……」
「あれを選んだのはわたくしと、茶家の当主奥方の春姫様ですの。選んだ甲斐がありましたわ」
 そこまで惚れこんでもらえれば、“豪華賞品”としてふさわしいだろう。
 香鈴はゆっくり立ち上がって、部屋の外に声をかけた。
「燕青様、この梨映さんをどうされますの?」
 扉から頭だけ出した燕青は、それでも部屋には入ってこなかった。
「まー、実害もなかったし、盗もうとか思ってたわけじゃないみたいだし、お説教して放免ってとこかな。盗まれたって知ってるのはごく一部の人間だし」
 梨映は心底後悔しているようで、追い討ちをかけるのは躊躇われた。
「お説教は……もう必要ないんじゃありません?」
「そうだな」
 梨映の様子に燕青もうなずく。
「燕青様、後のこと、わたくしにお任せいただけません?」
「この件に関しちゃ嬢ちゃんに色々頼ってるし、任せるわ。こっちのことは俺がなんとかしとくから」
「そうですわね。特に、警備の方もよろしくお願いいたしますわね」
 なんともバツの悪そうな顔をした燕青は、これにもうなずいた。どう考えてもあきらかな警護の怠慢である。
 香鈴はまだ戸惑っている娘に向き合った。
「さて梨映さん、あなたのお家に案内していただけますか?」




 梨映が香鈴を案内したのは、琥漣郊外に近い貧しい家が立ち並ぶあたりだった。
 一家は小さな畑を耕したり、作物を売って生計をたてていた。
 家族は両親と梨映の三人だけ。兄がいるそうだが、金華で働いているという。
 その小さな家にたどり着いたころには、すっかり夜になっていた。
 姿の見えなくなっていた娘につめよった両親は、育ちのよさそうな香鈴に気付いてとまどった様子をみせた。
 そんな一家の前で、香鈴はさらりと嘘を並べる。
 ――自分は州牧邸の侍女で使いにでたのだが、財布を落としてしまい困っていたところを梨映が通りかかって、一緒に探してくれていたのだ、と。
 そして、ぜひともご両親にもお詫びとお礼を言いたかったと深々と頭を下げてみせた。


 こっそりと、梨映に部屋に連れていくよう頼み、家の奥の小部屋に案内された。
 二人きりになると、当然のように梨映から質問がとぶ。
「なんで、あんな嘘ついたんだい?」
「ご両親に知られたくはありませんでしょう?」
 慌てて梨映はうなずく。怯えるばかりでそこまで頭が回っていなかったようなのだ。
 ようやく理解したのか、梨映の瞳に感謝の色が浮かんだ。
「ところで。わたくし、目的があってこちらに案内していただきましたの。あなたが持ってる着物を全部見せてくださいません?」
「はあっ? あたしの――?」
「梨映さんのでなければ意味がないんですの」
 よくわからないまま、言われるとおり、梨映が持ってきたわずかばかりの衣装を検分する。
「そうですわね。こちらがよろしいでしょう。あと、沓もお願いいたしますね」
「それも、あたしの?」
「そうですわ。あなたの足に合った沓なら、どんなものでもかまいませんから」
 沓が届くと、香鈴は手早く荷物を作った。
「これはお預かりいたします。明日、お仕事が終わったら、州牧邸までわたくしを訪ねていらっしゃい。そのときお返しいたしますわ」
 部屋を出て梨映の両親ににっこりと微笑みながら、香鈴は告げた。
「今日のお礼に、梨映さんを明日、夕食に招待したいんですの。帰りが遅くなっても、州牧邸の軒で送っていただきますから、お許しいただけません?」
 州牧邸と聞いて、すっかり慌てた両親から許可をもらうと香鈴は梨映に、
「また、明日お会いしましょう」
 とだけ言って、別れを告げた。


 途中、軒を捕まえて帰宅した香鈴は、夕食のあと自室で梨映の着物を広げた。
 質素な毛織の着物。だが梨映にとっては、一張羅といえる一枚だ。
 香鈴は手燭をひきよせ、針箱を取り出した――。




 翌日の夕刻。
 州牧邸におどおどした梨映が現れた。何が待っているのかわからないだけに、さぞ悩んだであろう。
 また立派な門構えの、しかも州牧邸である。
 門番に声をかけるのも勇気が足りず、彼女の挙動不審に逆に門番より質問されて、ようやく香鈴の元に案内されてきた。
 香鈴は彼女を庖廚に連れて行き、急いで一緒に食事を取った。
 まだ州城で仕事をしているものは、誰も帰宅していない。
 おまけに、香鈴の計画には少しでも時間が必要だったのだ。
 もっとも、用意された食事は十分に梨映を感激させる内容であったようだった。


「それでは……覚悟なさってね?」
 食事を終えると、香鈴は梨映を浴場に連れ込み、有無を言わさず着物を脱がせ、湯船に追い立てた。
 自ら腕まくりをして、容赦なく梨映の全身をくまなく洗いあげる。
 終わるとまた湯船につからせ、そのあともう一度身体を洗った。
 呆然とした梨映は、抵抗することもない。
 湯上りでぐったりする梨映に、とろりとした薬草入りの美容液を身体に塗りこませてから、用意していた真新しい下着と部屋着をはおらせて自室へと連れて行った。


 梨映は目をまるくした。
「それ……あたしの?」
「そうですわ。夕べ、少し手を加えましたの」
 少しどころではなかった。
 元はくすんだ毛織の飾り気のないものだったが、一挙に雰囲気が変わっている。
 別布を縫い合わせ、帯にも下衣の裾にも、簡単な小さな刺繍をした。
 所々縫い付けられたさざれ石が、手燭の灯りを受けて、かすかに光った。
 茶州特産の琥珀――それだけでは使えないようなちいさなかけらは、穴を開けて糸が通せるようになったものが、安価で入手できる。それで作った小物などは、茶州の手軽な土産になる。
 昨日、帰宅途中に香鈴はその琥珀のさざれ石をいくらか手に入れてきていたのだった。
 そうやって手を加えられた着物は、十分に中流家庭の娘の外出着として通用しそうである。
「こんな、変わるなんて……」
「着物よりも、あなたに変わっていただきますから」
 てきぱきと着物を纏わせ椅子に座らせると、香鈴が手にしたのは毛抜きだった。
「痛くても、我慢なさってね」
 そう言って、香鈴は梨映の眉を整えていく。
「い、いたいっ」
「これくらいなんですのっ! 美しさは楽には得られませんのよっ」
 柳眉、とも言う。細く整えられた眉は美女の象徴でもある。
 梨映はすっかり涙目だ。実際、かなり痛い。
「これから、決して泣いてはいけませんわ」
 冷やした巾で眉を押さえさせてから、次に取り出したのは化粧道具一式である。
 元々、彩七家の姫君にも劣らない暮らしをしてきた香鈴だ。選ぶものの質は悪くない。
 化粧そのものもしたことがなかったのか、梨映の目には物珍しそうな色が浮かぶ。
 香鈴は梨映の顔立ちと着物に合わせた化粧を手早くほどこす。化粧の腕も、宮城に仕えていただけあって一流だ。
 次に髪に取り掛かる。
 もつれてからんだ髪を丁寧に梳り、不揃いなところは揃えてやる。
 少し考えてから髪型を決め、香油を取り出し、複雑に結いあげた。
 仕上げに庭院から切り出した花を飾った。
 さすがに沓まではどうにも手が回らなかったが、埃は落としておいた。どのみち長い裾の下に隠れて見えないので、今回は見送りだ。


 支度が一段落すると、香鈴は梨映を立たせてできばえを確認した。なかなか悪くない。
「背筋はまっすぐ伸ばして! 顎はひいて。それから、少し笑ってみてくださいな」
 自分に起こっていることがわかっていない梨映は、素直に従う。
「歯を全開にするんじゃありません。少し歯が覗くくらいにして口の端を上げるんですの」
 見本を見せて、何度か練習させて。
 窓から昊を眺めると、すっかり暗くなっていた。
「それでは、まいりましょう」
 香鈴は梨映の手を引いて、自室から州牧邸の広間へと連れ出した。


 州牧邸には、大勢で宴会ができるくらいの広間がある。
 滅多に使われない部屋だが、今夜そこには、影月、燕青以外に十人程度の官服の若い男たちがいた。
「嬢ちゃん。言われたとおり若くて、嫁さんも恋人もいない奴ら集めてきたけど?」
 香鈴に気付いた燕青は廊下に出てきて、声をかけた。
「ありがとうございます、燕青様」
「で、あいつら、どーすんの?」
 そこで、香鈴に手を引かれている娘に目を落として驚嘆する。
「ま、まさか、その娘、昨日の? 嘘だろーっ!!! 女って、信じらんねえ……」
 まだ鏡を見ていない梨映は、自分がどうなっているかわからずに、不安そうだった。
 だがあえて説明しないまま、香鈴は広間に引っ張っていった。
「皆さん、今夜は集まっていただいてありがとうございます」
 男たちはてんでに視線を向けてきた。
 州城でも香鈴はよく知られている。前州牧の着任式の際、彼女が手腕を発揮して飾りつけたのは、まだ皆の記憶に新しい。
 一息おいて、香鈴は梨映を前に立たせる。
「今日はお願いがあって集まっていただきましたの。皆さんに、お友達の梨映さんをご紹介いたしますわね」
 男たちからの視線を一斉に向けられ、梨映は固まった。耳元でこっそり、香鈴に笑うように言われ、先ほどの練習を思い出してそっと微笑んでみた。息を呑むような音が聞こえたのは、どういうことであろうか。
「実はこの梨映さんをどなたかに、今度の秋祭りの大会に推薦していただきたいんですわ。わたくしが推薦するのも妙ですから、男の方のほうがよろしいと思いましたの。」
 州官は大会の審査には加われない。だが推薦ならできる。
 (たいかい……って、ナニ?)
 梨映は頭が真っ白になった。笑いものになれということだろうか。
 男たちが官吏なのは、服装でそれとわかる。それでは、これが昨日の罰なのだろうか。
 泣きたいが、泣いては化粧が崩れるからと、強く禁止されている。
 香鈴の言葉に、すぐさま何人かが挙手した。
「あ、僕が推薦しますよ! こんなかわいらしい人がいるなんて知りませんでした!」
(かわいいって、だれが……?)
 馴染みのない言葉に、強くとまどう。
 赤い顔をした官吏の青年は、熱心に梨映を見つめていた。
「それでは、推薦の手続きをお願いいたしますわね。きっと、大会も盛り上がると思いますわ」
 一礼して(梨映にもさせて)、香鈴は再び梨映の手をひいて広間を後にした。
「燕青様、皆様きちんともてなしてくださいね」
「あ、それは大丈夫。さっき庖廚に酒と食い物頼んどいたし。嬢ちゃんも用意しといてくれたみたいだな」
 そこまで言って、燕青は香鈴だけを手招きする。
「さっきのあれ、本気?」
「もちろんですわ。わたくし、負ける戦はいたしませんの。当日までにもっと驚いていただきますわ」
 絶句する燕青を残して、香鈴は梨映を連れて歩きだした。


 再び自室に連れ戻す途中で、香鈴は廊下の途中にある大きな鏡の前に梨映を立たせた。
「どうかしら。急ぎだったので、まだ改良の余地はあるのですけれど」
 梨映は目を丸くして、鏡の中の自分を見つめていた。
「あたしじゃない、みたい……」
「気に入っていただけまして?」
 梨映は、こくこくうなずく。
「でも、なんで? なんで、あたしにこんなことしてくれるの? 叱られたり、怒鳴られるんならわかるけど。だいたい、あたしなんか、大会に出られるわけないし」
 それはそうだろう。昨日のことがあって、罰されるなら当然だろうが、着飾らせるとはどういうことか。
「あなた、あの大会用の衣装を気に入ってくださったのよね。そこまで気に入っていただけたかと思うと、選んだわたくしも嬉しかったのです」
 梨映から顛末を聞きだした香鈴は考えたのだ。
 実は、一度着せてやるだけなら簡単だ。
 あの衣装でなくても、香鈴だとてかつて鴛洵に作ってもらった衣装がある。十分、お姫様のように装わせることはできる。
 だが、それでは意味がない。
 あの衣装を見て、気に入って、着たいと思ったのは、決して梨映だけではないはずだからだ。
 ただ香鈴の目の前で、そこまでの感情を見せた娘は他にいなかった。
 自分だとて、本来は豪華な衣装などに縁はなかったはずなのだ。
 思い返すのは幼い頃。あのまま、鴛洵に出会わぬまま生き延びたとして、あの衣装をみたならば、香鈴だとて強く憧れたにちがいない。
 だから、力を貸したいと強く思った。
「でもあれは、優勝した方のみが着る権利があるんですわ。他の誰にも着せることはできません」
 あの衣装を着る権利。たしかに、優勝した人物からすればすでに誰かが着用したと知ったならば、許せないと思うだろう。梨映のしようとしたことは、その人物にとって許しがたいことなのだ。
 今更ながらに申し訳なさが沸いてくる。梨映はうつむいたまま、顔があげられなくなった。
 そんな梨映を見つめて、香鈴はさらに問いかける。
「あの衣装、それでも着たいですか?」
 後悔はある。自分はなんてことをしてしまったのだと、責める気持ちがあふれて、梨映は涙が出そうになるのを必死で抑えた。
 だが、あの衣装への憧れが消えたわけではなかった。思い返すと、やはり着たいと思う自分がいる。
「着たい……。あたしなんかに着れるものじゃないって、よくわかったけど……」
 あきらめなければと頭では思う。だが、気持ちは正直だった。
「よろしいですわ。 あれを着たいと思われるんでしたら、正々堂々と戦って手に入れてくださらないといけませんの。優勝を狙いましょう」
 出場するだけでもどうかと思うのに、優勝しろと言われる。
 香鈴に飾り立てられた自分は、それほど悪くないようには見える。だが、琥漣一の美女と、言えるほどではないと正直思う。
「努力もせずに諦めるんですの? 諦めきれるほどの思いですの? あなたが同意してくださるなら、大会までもっと磨きあげるお手伝いをいたしますわ」
 ここまで自分を変えることができる香鈴に手伝ってもらえたならまったく不可能ではないかもしれないと、梨映は思い始めた。何もせずに手に入るものなどない。努力だけでもする価値はある。
 だがそれでも勇気が足りず、長い逡巡の果て、
「お願いします……」
 ようやく梨映は頭を下げた。


 香鈴の部屋に戻って、化粧を落とし着てきた着物に着替える。香鈴がまだ衣装に手を入れるから、これで出場するように言ったからだった。
「借り物では、その方にとってよくないと思いますの。着慣れているもののほうが、のびのびできますでしょう?」
 着慣れてはいても、ここまで変わったら借り物のような気はする。
 だが自分のものだと、余計な気をつかわなくてもいいのは確かだった。
 こうして、香鈴による”梨映改造計画”は始まった。
「では毎日、夕食前にこちらにいらしてくださいね。美容法と立居振る舞いをお教えいたしますわ。美女と呼ばれるには、仕草や雰囲気も大切ですの。
 幸い、梨映さんはお顔立ちも悪くありません。ご自分に合ったお化粧方法も覚えましょうね」
 香鈴の指導は細かいところまで行われた。
「寝る前には必ず、顔と手にこの美容液を使ってください。たくさんは使いません。手のひらに少しですわ。特に手は、そのあとこちらの絹の小袋にいれて、ひもで縛っておやすみになってね。髪も、香油をお渡ししますから、毎日少しずつつけて、ていねいに梳かしてください」
 美容液と香油、そして夜よく眠れる香を持たせた。
「それでは、本日よりがんばりましょうね」
 香鈴は、梨映に向かってきれいに微笑んでみせた。


 そうして当日を迎えるまで、香鈴は梨映を磨きたて続けた。
 香鈴の指導は、なかなかに厳しい。立ち方、座り方、歩き方の立ち居振る舞いを重視したからだ。
「手の先まで神経を使いますのよっ」
 実際に香鈴は手本を見せてまねをさせる。
 簡単そうに見えて、これらは実は難しい。しかも、身体が痛い。
 音を上げそうになる梨映を香鈴は叱り飛ばし、励ましながら続けた。逃げ出すことは許さなかった。
「あたしなんかに無理だよっ。香鈴さんみたいにはできないよ」
 泣き言を言う梨映に、香鈴は苦く笑う。
「簡単にできないことはわかってますわ。わたくしだって、最初は途方にくれましたもの。でも、できなければ見捨てられるのでは……という思いが怖くて、必死で身につけましたのよ」
 香鈴は自分の素性を話してはいない。だが、元々はお嬢様でもなんでもなかったのだ、とだけは言ってあった。
「それから、言葉遣いも少し直しましょう。“あたし”よりは、“わたし”の方がよろしいですわ。乱暴な言葉は使わないようになさってね」
 梨映の言葉使いは荒れてはいたが、それほど口汚いものでもなかったので、その点に関しては最小限に留めた。
 一度に全部はどう考えても無理であるし、大会で重視されるのははっきり言って見た目である。もちろん外見を磨くための顔や全身への手入れには一番時間をかけた。中身である教養にまで手を出したいところだが、それは諦めた。また別の機会もあるだろう。


 こうして、あっという間に半月は過ぎた。
 連日夕食を共にすることになり、香鈴は食事にまで気を配った。栄養があり、肌や髪によいものを選ぶ。
 畑仕事で荒れた手も、毎晩の手入れのためざらつきが収まり、幾分白くもなった。
 日に焼けた顔も同様である。
 香を焚いて眠ることで深い睡眠が取れ、肌は見違えるほどになった。化粧ののりが段違いだ。
 丹念に梳られるようになった髪も、艶を増して輝いた。
 仕草も言葉遣いも、少しずつではあったが変わってきた。
 梨映の両親も娘の変化にさすがに気が付いたが、悪いことではないとむしろ歓迎した。
 嫁に出してもおかしくない年頃であるが、十分な嫁入り支度もしてやれない。
 内気すぎた娘はこれまで人目から隠れるようにしていたので、縁談そのものもなかった。
 だがこのままいけば、いい家に侍女として勤めることができるかもしれない。そうなれば案外、望まれての輿入れだってありえないことではない。


 香鈴は多忙だった。
 州牧邸での仕事をこなす一方、梨映の衣装にさらに手を加えていったり、親しい人たちへの贈り物を用意したり。
 この時期、官吏たちは秋祭りの準備に追われている。
 州牧である櫂瑜も、その補佐をする燕青も、櫂瑜に学ぶ影月も、州城での泊り込みが増えたが、梨映が毎晩やってくることで香鈴の寂しさだとか不満だとかは、幾分紛らわすことができた。
 今では二人はかなり打ち解け、気安い雰囲気が流れるようになっている。
 考えてみれば、香鈴にも年齢の近い同性の友人は少ない。思いつくのが秀麗と春姫ではあるが、二人ともに単なる友人とは言いかねる。
 いつしか香鈴は梨映の訪れを心から歓迎し、一層梨映を磨きあげることに尽力するのに喜びを感じるようになっていた。


 祭りまであと数日と迫ったある晩、門まで出て梨映を乗せた軒を見送っていた香鈴は、帰宅した影月と顔を合わせた。どうやら、影月ひとりが先に返されたらしい。
 香鈴は、いそいそとお茶の準備をして影月を労った。
 ふたりきりになるなど、ずいぶん久しぶりである。
 影月の顔には疲労が見えたが、昨年のようにくっきり隈ができるほどではなかった。
 香鈴が茶請けに出した胡麻団子を頬張って、影月の笑みがこぼれる。
「なんか、こうして過ごすのって、久しぶりですよねー」
「秋祭りの準備は、進んでますの?」
「はいー。やることが次々見つかって大変ですけど」
「もう少しですわね。今年も、見回りに行かれますの?」
「その予定です。香鈴さん、一緒に行きましょうね」
 もとよりそのつもりでいた香鈴である。意地を張りそうになるのを抑えてうなずいた。
「じゃあ夜になったら、ここまで迎えにきますねー」
「その必要はありませんわ。大会のお手伝いと後片付けで、わたくしも州城にいると思いますから」
「ああ、大会。そう言えば一度お会いしただけですけど、梨映さんはどうですか?」
 影月も、香鈴が梨映を大会に出場させるつもりで日々がんばっているのを知っている。帰宅が遅いので会わないだけだ。
「優勝候補に近づいたと思いますわ。楽しみにしてらして」
「……香鈴さんは出場しなくてもよかったんですか?」
 香鈴ならば、贔屓目抜きにしてもいいところにいくのはわかっていた。もしかしたら、優勝だってしてしまえるかもしれない。
 影月はそう思っていたが、出場して欲しくない、という気持ちも強かった。
 州城でも香鈴は官吏に人気が高い。
 きれいで、有能で、上品で。
 影月と香鈴のことを知っているひとたちの中には、正直に羨む者もいた。
 もし出場したら、もっと大勢に香鈴が知られてしまう。
 影月には香鈴を手放すつもりなどなかったが、色々と悩みもあるお年頃だ。
 恋敵が現れないなどと、そうそう楽観もしていられなかった。
「特に、興味もありませんし、お米もお酒もありますし」
「香鈴さんは、きれいな着物はいらないんですか?」
「もちろん、好きですわ。でも、今は着る機会もありませんでしょう?」
「ちょっと、見てみたかったです」
 影月が見たいと言ってくれるなら、香鈴も気合が入るというものだ。
「それでは、お正月にでもお見せいたしますわ」
「えっ、香鈴さん、あんな着物持ってるんですか?」
 そういえば、影月の前では盛装などしたことがない。
「ええ。鴛洵様が用意してくださったものがありますの」
 香鈴の目が遠くを見つめるものになった。
「――香鈴さん、今、しあわせですか?」
 唐突に影月が問う。
 今の自分では、香鈴をお姫様のように暮らさせることはできない。そんな負い目もある。
「そうですわね――」
 香鈴は、傍らの影月に視線を投げた。
「どなたかがこちらにきちんと戻ってらして、ご一緒にお食事できればもっとしあわせですわ」
 影月は少し赤くなり、秋祭りが終わったらと貴重な約束をくれた。
 そのまま香鈴の隣に座って手を取って。肩を寄せ顔を寄せて。なんだかいい雰囲気になった途端――。
 門の方からざわめきがして、慌ててふたりは離れた。
「じゃ、じゃあ、おやすみなさい」
 影月は足早に部屋を出て行き、残された香鈴は握られた手をそっと胸に抱きしめた。
 茶器を片付けて自室に戻った香鈴は、再び針箱を取り出した。
 祭りまで、あと少し――。 




 秋祭りの前夜、香鈴は梨映を州牧邸に泊めた。
 櫂瑜たちは州城に泊り込みになると最初から告げられていたし、翌日は朝から忙しい。
 肌の手入れをして、寝るばかりの準備も早めに済ませる。
 ここまできたら、あとは肌の調子を整えるくらいしかすることがない。
 二人の娘は、香鈴の部屋でとりとめのない会話をしながら、少しばかり手作業をした。
 自分の一張羅に施された刺繍が香鈴の手によるものだと知った梨映が教えてくれるよう頼んできたので、数日前より簡単な刺繍を始めていた。
 以前、秀麗の指導ではじめた時には苦手だった香鈴の刺繍も、今や格段の進歩をとげていた。
 今年の贈り物も、刺繍を多用したものにした。
(気に入ってくださればよいのですけど……)
 去年とは事情が違うから、今年はなんの屈託もなく受け取ってもらえるはずである。
「梨映さんも、どなたかに贈り物されますの?」
 そうだったら、作るために必要な時間を香鈴が奪ったことになりかねないと、今更ながらに思った。
「いえ、そんな人いません。香鈴さんには、いらっしゃるんですか?」
 毎晩香鈴と会話していたせいか、梨映の言葉使いもていねいになっていた。学ぶというより、うつったという方が正しいだろう。
 所作にも立派なお手本があるわけで、こうして針と格闘する姿も、なかなか淑やかだ。
「そうですわね。たくさんいらっしゃいますのよ」
「えっ? たくさん?」
 普通なら、好きな男性にだけ贈るものなのだが、ここ州牧邸では去年より拡大解釈がまかり通っている。香鈴がそう説明すると、梨映はうなずいた。
「そうですね。本来大切なひとって、ひとりじゃありませんし。わたしも来年からそうしようかしら」
「来年までには刺繍の腕もあがってらっしゃるから、きっと喜ばれると思いますわ」
「でも、香鈴さんから贈り物をもらえる方はしあわせですね」
 梨映の素直な賞賛の言葉に、香鈴は“本命”を思う。
 どんなものにも、どんなことにもしあわせを見つけることができる人だ。きっと喜んでくれるに違いない。
 自分にそう言い聞かせると、適当なところで刺繍をやめさせて、早い時間に臥台に追い立てた。豪華な客間にひとりで眠るのは落ち着かないと梨英が言うので、香鈴の部屋で一緒に休むことにしたのだ。
 灯りを消した部屋の中で、安眠を誘う香が漂う。
「明日は――」
 梨映が緊張した声を出すのを静かになぐさめた。
「大丈夫です。明日は、きっと梨映さんにとって忘れられない一日になりますわ。朝が早いですから、もうお休みになって」
 やがて優しい香りに包まれて、ふたりはぐっすりと眠った。




 秋祭り当日――。
 この日は朝からさわやかに晴れ上がって、昊は高く、青かった。
 気持ちよく朝を迎えたふたりは仲良く食事し、浴室に向かう。梨映をそれこそ爪の先まで磨き上げると、香鈴自身も湯を使った。
 部屋に戻って、すっかり晴れ着に生まれ変わった着物をていねいに着せる。
 あれからさらに、小さな刺繍を布いっぱいに刺し、琥珀のかけらを組み合わせた小花を散らした。
 着物には品のいい香を燻らしておいたので、動くたびにふわりと香った。
 やわらかい布で梨映の足に合わせた沓も、今回は間に合った。こればかりは専門職にまかせたが。
 そして宮女として得た化粧術を駆使して、梨映を飾りたてる。
 ほっそりと整えた眉。紅を刷いた唇。頬にも紅を少しのせる。
 もともと、顔立ちは悪くなかった梨映だ。化粧ののりもよく、香鈴も腕をふるい甲斐があった。
 髪も艶やかに輝いて、ただ垂らしているだけでも目に快い。
 この半月で、梨映に似合う髪形を研究しきった香鈴は、派手すぎず、若々しくなるよう、ちいさく髪を結う。髪紐と生花のかんざしを組み上げて、華やかさを出した。
 爪をやわらかな桜色に染める。指の形ばかりはどうにもならなかったが、薄く染まった爪がちいさな貝のようにかわいらしい印象を与える。
 すっかり支度の整った梨映は、始めて会った時とも、若手官吏に紹介した時とも、比べようがないほど美しかった。
 香鈴はできばえに満足して微笑むと、手早く自分の支度を始めた。


 数刻後、州牧邸の軒で会場に向かうふたりの姿があった。
 軒の中で香鈴は最後の助言をする。州城に着けば、香鈴は大会の手伝いに奔走することになる。一緒にいてやれるのはこれが最後の機会だった。
「ご自分に自信を持って。うつむいていては、誰にも気付かれません。背筋を伸ばして、堂々としてらっしゃい」
 緊張した面持ちで梨映はうなずいたが、この機会をのがしては、と質問を投げかけた。
「本当に、わたしがあの衣装を気にいったのが嬉しかっただけで、ここまでしてくれたんですか?」
 香鈴は少し考えてから口を開いた。
「正直、すべて自分のためだったのですわ。もうひとりの、そうだったかもしれない自分をあなたに重ねたかったのかもしれません」
 梨映が、目で理由を問う。
「わたくし、幼い頃に親とも死に別れ、飢え死に寸前のところをある親切な方に拾っていただきましたの。それこそ、お姫様のような暮らしをさせていただいて。
 でもあのまま、あの方にお会いしないまま生き延びていたとしたら、やはりあなたのようにお姫様のような衣装や生活に憧れていたと思います」
 香鈴は息を継ぐ。
「努力で得られるものがあることをあなたに知っていただきたかったのも本当ですし、毎晩あなたが来られるのを楽しみにお待ちしていたのも本当です。――この時期、放っておかれて寂しいというのも、少しはありましたけど……」
 そう、どれも本当のこと。理由はひとつではない。特に、これほどまでに梨映と親しくなった後では。
「本当に楽しんでお手伝いさせていただきましたけど、わたくしにできたのは、あくまでもお手伝い。今日の梨映さんは、あなたの努力が作り出したものです。胸を張っていってらっしゃいませ」
 香鈴はそっと会場に梨映を送り出した。


「嬢ちゃん、あれ、どんな手使った? 梨映、ますます美人になってたぞ」
 控え室を覗いたらしい燕青が、忙しく最後の飾りつけを指示する香鈴のもとにやって来た。
「女の底力ですわ」
「……女は魔物って、よーくわかったよ」
 首を振りながら、燕青は足早に立ち去る。彼とて今日は忙しい。
「あーっと、時間になったら、ちゃんと影月に迎えに来させっから」
 捨て台詞に香鈴の頬は朱に染まった。
 だが、お楽しみの前にまだやるべきことがあった。
(もう少し、がんばりましょう)
 自分を励まして、香鈴は作業に戻った。


 正午が近づくと、会場になる広場に会衆を入れる。
 審査員を兼ねる観衆は、それぞれ州城の門で小さな木ぎれを渡されていた。
 審査方法は簡単だ。
 会場には一段高くなった舞台がしつらえてあり、壇上に女たちが並ぶことになる。
 審査をする大衆は、順番に、舞台に近づいて、自分が一番と思った出場者の前に置かれたかごの中に木ぎれをいれていくだけだ。それを係の者が集計して優勝者が決まる。


 ――正午。広場は人で埋め尽くされていた。上々の盛り上がりだ。
 公然の秘密として賭けも行われているようだったが、悪質なもの以外は取り締まっていない。会場の外、州城の門の外にも、入れなかった多くのひとが集まっていた。
 大会が終わると、州牧が優勝者を連れて軒に乗って琥漣内を回るのだが、州城の入り口あたりが一番よく見えるのだ。
 やがて銅鑼が鳴らされ、開始が告げられた。


 控え室で、梨映は必死で緊張と戦っていた。
 ひとりずつ番号と名前を呼ばれて、舞台に消えていく。
 自分の順番はもうすぐ。
「女は、度胸と愛嬌ですわ」
 そう言って送り出してくれた香鈴の言葉を心の中で繰り返す。
 控え室にいた女たちはさすがに皆美しくて、容姿に関して自信など持てそうにはなかった。
 だが、別の自信ならあった。
 この半月、香鈴と一緒になってがんばったという自信だ。
 あの衣装には手が届かないかもしれない。けれど、あの衣装に恥じないだけのことはしてきたのだ、と。
 番号と名前を呼ばれた梨映は背筋を伸ばし、しっかりと前を向いて、教えられた通りすべるように歩き出した――。


 香鈴は舞台脇でその様子を眺めていた。
 なかなかの美女揃いだ。
 貴陽で、宮城で、香鈴が見知っていた女たちに比べると、いささか見劣りするのは仕方がない。だが、活き活きしているという点では負けてはいなかった。
 ひと括りに美女と言っても、それぞれが違った魅力を振りまいている。 
 皆、精一杯飾り立てているのがわかる。
 その中で、梨映は決して目立つ存在ではなかった。
 香鈴が尽力したとは言え、衣装だとて派手ではない。もっと高価な衣装の女たちの方が多い。
 だが綺羅綺羅しい衣装と華やかな化粧の中で、ふと梨映を見た時の印象は、決して悪くはなかった。牡丹や薔薇の華やかさではないが、野の百合のような美しさなのだ。
 おまけに、何気ない所作も指先まで意識されていて、実に品がよく見えた。
(わたくしなら間違いなく梨映さんを選びますけれど、どなたが選ばれるかはわかりかねますわね)
 審査しようと集まったのは、大半が男性である。
 女性と男性では感性が違う。
 香鈴にはもちろんそれが判っていた。そして、ある程度は狙っていた。
 かつて、彼女がいた王宮の宮女たちはそれこそ最高級の美女揃いであった。
 そして彼女たちは、男を虜にする技術もまた、最高級であった。
 香鈴は宮女としては年若くその点に関しては未熟だったが、先輩諸氏からの助言は今も役立っている。
 痩せている梨映に、肉感的な魅力は乏しい。
 だが、だからと言って女らしさを出せないわけではない。
 香鈴が狙ったのは、男性の庇護欲をそそる方法だった。清潔感ある楚々としたやさしげな雰囲気。引き寄せれば自分の腕の中に頼りなく納まって、すがりつくよう見つめては羞恥に頬を染める。――そんな想像をたやすくさせるのが今の梨映だ。元々内気な梨映にはその素質があった。
 一番には選ばれないかもしれないが、多くの男性から好感を得られるであろうと、香鈴は予測した。
(それに……)
 たとえ優勝できなかったとしても、その時には梨映に“ご褒美”として、自分の秘蔵の衣装の一枚を貸すつもりでいた。
 出会った時の梨映には、そこまでするつもりはなかった。
 だが今の梨映であれば、努力の成果として“ご褒美”をあげてもいいと思う。
 香鈴は静かに会場を見守り続けた。




 出場した美女たちの前に、すべての札が揃った。出場者と同数の係員が、銅鑼の音に合わせて木ぎれを別の篭の中に入れていく。十や二十ではないのでそれなりに時間がかかるが、会衆の前で数えることで公平さを強調しているのだ。
 梨映も、他の美女たちも、目の前の篭から札が取り出され、投げ入れられるのをじっと見つめていた。
 百を超えると、札のなくなる者も出始めた。二百を超えると、まだ札の残っている者の方が少ない。あとわずか五人……。
(まだ、残ってる――)
 自分に札を入れてくれるひとがいるだけでも信じられないと思っていたのに、これほどの数のひとが、自分を選んでくれた。
(もう、十分――)
 香鈴が言った通り、この日を一生忘れることはないだろう。きっと、たびたび思い出す。
 梨映は、集まった人々に向けて感謝をこめた微笑を送った。


 結果が出る前から、香鈴は舞台脇より州城の入り口に程近い小部屋に移動していた。
 優勝した美女はこちらに案内されて、香鈴の手によって着付けされるのだ。
 香鈴は衣装を土台から脱がせて、しわにならないように丁寧に扱う。
 香を焚くことはできなかったので、袖の中に香袋を忍ばせる。
 卓案の上には、鏡と化粧道具、装身具を使いやすいように並べる。
 もう間もなく、琥漣一の美女が現れる。誰であろうと、精一杯美しく装わせること。それが今日の香鈴の役目。
 香鈴は扉が開かれる時を静かに待った。


 やがてひとりの女が案内され、香鈴の目の前に立つ。
 緊張を隠せない女に、まず今着ているものを脱ぐように告げる。震える指先を見かねて、結局香鈴が手伝った。
 濡れた手巾で顔を拭かせて、化粧を一旦おとす。
 素顔に下着姿の女に、まずは裾をひく下衣を着せた。淡い色の極上の絹が流れるように肌に沿う。その上から透ける同色の軽い下衣を重ねて付ける。
 同じ色目の上衣には、たっぷりとした袖がつく。ぬめるような絹が肌をすべる感触が快い。衿まわりには、透き通った薄い布が首元を飾るようになっている。前を軽く合わせて、胴衣を重ねていく。同系色の少しずつ違う色目が薄い色から濃い色へと重なる。一旦紐で結び、ようやく表衣にかかる。彩七家の盛装であるから、威厳をかけて枚数が多いほど良しとされるのだ。
 金茶を基本とした表衣は、金糸と同系色の絹糸で小さな牡丹文様の刺繍がふんだんにほどこされている。縁飾りの紅玉を組み合わせた複雑な文様の刺繍が豪華だ。
 帯は、おさえた赤に金糸の刺繍。複雑な決まった結び方をし、長い端は前にと垂らす。
 着付けが終わると衣装に合わせて化粧にとりかかる。派手すぎず、品よくまとめた。
 髪は大きく結い、華やかさを強調する。金と琥珀と紅玉からなる簪は、琥珀でできた小鳥が紅玉の木の実をつつこうとして揺れていた。
 首飾りと耳環りは簪と揃いで、小ぶりな耳環りは紅玉の木の実。細い首飾りは琥珀の葉と紅玉の花が組み合わされたものだ。
 仕上げに、表衣と同じ色目の絹の布沓を履かせる。実は沓だけは足に合わせることが重要なので、似た色目の規格違いをいくつか用意してあった。
 用意の整った女にも、鏡を手渡して検分させる。その口からこぼれたのは、ただため息だけだった。
 まさに、茶家の姫君のできあがりであった。


「さあ、櫂瑜様のところに参りましょう」
 香鈴は、女の手をひいて広場に向かう廊下へと導いた。
 素直に歩き出した女だったが、数歩進んだところで立ち止まる。
「大丈夫、素敵なお姫様におなりですわ」
 緊張と不安が足を止めさせたのだろうと判断した香鈴は、女を励ました。
 だが女は香鈴から手を離し、ふいに抱きついてきた。
 ――“梨映”は、涙をこらえながら告げた。
「わ、わたし、あなたにとても感謝してるわ。言葉にできないくらい。色々なもの、たくさん、あなたからもらったこと、一生、忘れない」
「大げさですわね」
 香鈴はなぐさめるように、梨映の背を叩く。梨映は首を振ると香鈴をまっすぐ見つめて言った。
「わたしが男だったら、きっとあなたに恋をしたわ」
「そ、それは……ちょっと……」
 ふいにどこからか口をはさまれた。
「影月様……っ!?」
「えーっと、準備が終わったかどうか確認にきたんですけどー」
「今参りますと、お伝えいただけます?」
「わかりました。香鈴さん、また後でー」
「お待ちしておりますわ」
 衣装の重みと慣れない裾さばきのため、ゆっくりとしか進めない梨映とつきそう香鈴を残して、影月はそのまま去ろうとし、ふと気付いたように振り返った。
「梨映さん、おめでとうございます。とってもおきれいですよ」
 かろうじて頭を下げた梨映と香鈴に微笑んで、影月は今度こそ足早に立ち去った。
 梨映は香鈴を顧みて首をかしげた。
「今の方は、前の州牧の……?」
「ええ。影月様ですわ」
「その……、もしかして、あの方が香鈴さんの一番大切な方?」
 意外と鋭い梨映に、香鈴はただ花のように微笑んでみせるのみ。
 それを見て、梨映はしみじみと思った。
(香鈴さんが出場してたら、間違いなく優勝できたと思うのに)
「香鈴さん……、今の顔、すっごくきれい……」
「まあ、ありがとうございます。梨映さんにも大切な方ができたら、もっときれいになれますわ」
 そうして二人は、今日の主役を待つ広場へと向かった。




 櫂瑜と、櫂瑜に導かれた梨映によって祭りの始まりが告げられ、その声に応えて大勢が歓声をあげた。
 待ちに待った、秋祭りである――。
 秋祭りは、本来収穫を祝う祭りである。琥漣のいたるところに、花と供物に埋まる祠が見かけられた。
 街の大通りには出店が立ち並び、夜の帳が下りるとともに一斉に火が灯される。
 道をゆくと陽気なお囃子が耳に入り、うきうきした気持ちで人々は祭りの空気に浸った。
 呼び込みの威勢のいい声、楽しげに語らう声、楽士の奏でる調べ。
「いいお祭りになりましたねー」
 のんびりした口調の影月と並んで、香鈴も祭りを楽しんでいた。
 祭りそのものももちろん楽しいのだが、こうして影月と過ごせることのほうが香鈴には重要だった。何しろ久方ぶりである。
 しみじみと幸せをかみ締めていると、人ごみにふと影月の姿を見失う。小柄な香鈴には人の壁に囲まれているようなものだ。
「え、影月様っ」
 心細くなって、小さく叫ぶ。
「こっちですー」
 前方から声が聞こえて、香鈴は人波を縫って必死に進む。
「ああ、よかった。はぐれたかと思いました」
 香鈴の姿を見て、影月もほっとしたような声を出し、手をさしのべた。
 香鈴はしっかりとその手をとった。ぬくもりにようやく安堵する。しばらく二人は無言で歩いく。
 やがて、影月がぽつりともらした。
「去年のお祭りを思い出しますよね」
「ええ……」
 去年の秋祭り。香鈴が自分の想いを自覚し始めた頃。厳しい占者の託宣と、陽月からの不吉な言葉に揺れ、影月の態度に変化が現れた頃。
「あの晩に、僕にはもう本当に僅かな時間しか残されてないってわかってしまったんです。正直、あんまり楽しめなかったんですよね……」
 励ますように握った手に力を入れた香鈴を見下ろして、影月は続ける。
「こうやって香鈴さんと手を繋いで歩くのは僕じゃないんだって、思い知らされたっていうか」
 影月はそっと香鈴の手を握り返す。
「だから、まるで今が夢みたいに、何もかもががきれいに見えて。幸せすぎて死にそうですー」
「こ、こんなことで死なないでくださいっ! 影月様には、もっともっと幸せになっていただいて、お祭りだって何度もご一緒して、ずっとずっと手を――」
「はい。繋いでいきましょうね」
 こぼれそうになった涙をこらえて、香鈴は影月に笑顔で答えてみせた。繋いでいきたいのは影月の手だけなのだと。
「大会――、梨映さんが優勝して、香鈴さんにとってもすごくよかったと思いますけど」
 滅多に見られない香鈴の笑顔に照れた影月は、そっと囁いた。
「大会に出なくても、香鈴さんが琥漣の誰よりもきれいだって、僕がちゃんと知ってますから――」


 そのまま二人は仲良く出店を眺めて歩いた。歩き疲れて茶店に腰をおろす。間もなく、運ばれてきた茶州名産の甘露茶を口にしてから、香鈴は手提げを開ける。
 取り出した手巾で人に押されて茶をこぼした影月の手を拭い、そのまま押し付ける。
「また濡れないよう、持っててくださいませ」
 見ると、月を文様化した複雑な刺繍が目に入った。
「香鈴さん、これ――」
「今年も、皆様に刺繍の手巾を差し上げることにしましたの」
 “皆様”の一言に、影月の顔を複雑な表情がよぎる。
 それは本当で、香鈴は櫂瑜、燕青、克洵、春姫らにも、手巾を用意していた。万が一、龍蓮がふらりとやってきた場合にも備えていた。龍蓮が香鈴の大切なひとのうちに入るかというと微妙であったが、影月にとって大切なひとであり、どのみち嫌でも長いつきあいになる可能性は高かった。
「ですから――」
 香鈴は言葉を継いだ。
「影月様に残りをお渡しするのは、帰ってからにいたしますわね」
「残り、ですかー?」
 実は香鈴が手作りを始めたのは、夏がくる前からであった。あれがいいか、これがいいかと悩みながら作っているうちにとんでもない量になってしまったのだ。編んだり、縫ったり、刺したりと、持てる技術をすべてつぎ込んで、知らない技術は研究して。
(全部一度にお渡ししたら、影月様、きっと驚かれますわよね?)
 楽しい予感に、香鈴の口元はそっとほころんだ――。




 櫂瑜とともに、街を練り歩く(軒に乗って、だが)大役を果たし終えた梨映は、街のひとたちのように出店をのぞいたりせず、まっすぐ帰宅した。
 姫君のように飾り立てた娘に驚く両親に、大会で優勝してしまったことを告げると、疲れたからと自室に引きこもる。
 着付けの際に香鈴から教えられた通りにすると、半月前どうやってもほどけなかった帯も、するすると解けた。
 脱いでいった衣装をできるだけ丁寧に畳んで、髪をおろし化粧も落として夜着に着替える。
 臥台に座った梨映は、だがすぐに横たわることなく、ちいさな布を取り出し、教わった刺繍を仕上げた。初心者ならではの簡単な図案につたない腕ではあったが、心がこもっていることには自信があった。
(明日になったら、また州牧邸を訪ねよう。そうしてこれを渡して、今度こそ香鈴さんに本当の友達になってもらうのだ――。)
 上治四年の茶州琥漣の秋祭りの夜は、そうして更けていった。


 その後、大会で優勝した梨映の元には、振るように求婚者が殺到することになるのだが、彼女の手を取った幸福な男は、州牧邸で最初に彼女に見とれた生真面目な文官の青年であったという――。


目次



















『金の衣・夢の灯り』(きんのころも・ゆめのあかり)


なんの疑いも持たず、まずえっち話(「早花月譚」ね)から書いてしまったのですが、
その後、同作品のファンサイト様を眺めますと、
しみじみ己の汚れ具合を反省するはめになりました。
そこで、本来萌えたはずの可愛いふたりを書こう、
目標は、ほのぼの・らぶらぶ・甘々だーっ、と考え始めました。
秋祭り、なんてものがありますし、舞台にするには格好です。
今年も手作り(小)物でより甘々なふたりなんていいかも…と
ネタをこねくり回してる間に、出来上がったものは。

中華風マイフェアレディ…?しかも、香鈴が教授?
おまけに、影月の出番がありません。
なるだけ増やして、すこしでも甘々に…なってるかな?
香鈴が男前です(笑)
ラスト、このまま百合ちっくに走ろうかと思ったのは内緒です(苦笑)
しかし、当初の予定ではもっと短いはずだったのにな。

衣装に関する記述はでっちあげ。
原作には、ほとんどまったく衣装の仕組みも形も出てきませんし。
おまけに、何より、準禁色が憎いです。
彩七家以外の人間は、どんな色を着ているかさっぱり不明ですし。
官服の色さえわからないのは、お手上げです。
あと、一部風俗に関しても、自己解釈で望みました。
そのあたりも、原作の描写、少なくてねえ。

オリキャラは、本来出したくなかったのですが、出さないと話が転がりませんでした。
そんなわけで梨映(りえい)という女の子をでっちあげたわけですが。
優勝させると話がうますぎるとは思いましたが、
優勝してくれないと衣装の説明ができないので、ご都合主義に走りました……(汗)
梨映はその後、どこかのお家の侍女になって、香鈴と仲良くやっていくみたいです。
お嫁にいくより、香鈴選びかねないのがちょっと……(苦笑)

最後に。
燕青には狂言回しっぽく動いてもらって、非情に申し訳なく思っていることを述べておきます。賢くて、シビアなはずなんだけどなー……。ごめん。私には無理(汗)