幸福の王子

王子=劉輝 つばめ=秀麗


 ある国のある街を見下ろす丘の上に、それはそれは立派な王子様の像が建っていました。
 とても美しい容姿と立派な体躯の王子像です。
 青いサファイアが両目にはめこまれ、腰に佩いた剣には見事なルビーが輝いていました。
 その身体は金箔に包まれていて、どこから見てもまばゆいほどでした。

 そんなある日、一羽のつばめが王子像に止まって休んでおりました。
 つばめは王子の様子がおかしいことに気が付きます。
「ちょっと!あんた何泣いてるのよ?」
「うむ。ここから見ていると街の人の中に貧しくて不幸な人がたくさんいるのが見えるのだ。なのに、余は何もしてやれぬ。だから泣いているのだ」
 これまで世間にもまれてきたつばめは、少し呆れました。
「あのねー、貧富の差なんてあって当たり前なの!それにそういう人がいるってことは、行政が悪いんであって、ただの像のあんたに責任があるわけでもないでしょう!」
「それでも余の目には写ってしまうのだ。だから悲しくてしかたがない」

 思い余ったような声で王子はつばめに頼みごとをしてきました。
「つばめよ、どうか余の代わりに剣についてるルビーをはずして、貧しい人たちに分けてはもらえぬか?」
「必ずしも施しがいいわけじゃないんだけど……。いいわ、ルビーね?」
「頼まれてくれるか!」
「しょうがないわよ。あんたすっごい世間知らずだし、あんたに任せてたらこのルビーだって買い叩かれるに違いないもの」
 世渡り上手なつばめは、ルビーを高額で売りさばき、そうして王子の目に入る地域の貧しい人たちの家にそっと配ってまわりました。
「ありがとう、つばめ」
 とろけるような笑顔を向けられ(像ですが)つばめは少しどきどきしました。
 ルビーは剣から消えましたが、王子はずっと幸福そうに見えました。


 渡り鳥であるつばめは王子の元から旅立ち、そうしてまた一年後に帰ってきました。
 ところが、この王子はまた泣いているのです。
「何よ!別れる前は幸せそうだったじゃないの!」
「ああ!つばめ!また会えて余は嬉しい」
「嬉しそうに見えないって言うの!」
「そなたが旅立ってしばらくは幸せだったのだ。だが余は知ってしまったのだ。余の目の届かぬところにも貧しい不幸な人たちがたくさんいるのだと」
「そりゃまあ、あんたが見える範囲だけが世界じゃないもの」

 王子はまたつばめに話しかけました。
「つばめよ、つばめ。頼みがある」
「……今度は何?」
「余の両目にはまるサファイア、これを貧しい人たちに」
「いいの?あんた、何も見えなくなるわよ」
「よいのだ。見えていても見えなかったことがたくさんあった。見えなくても見えることもあるだろう」
「……あんたって。……いいわ、行ってくる」
 つばめは王子の両目のサファイアをくり貫いて、それをまた売りさばいて、今度はもっとたくさんの人の家にお金を撒いていきました。
「私、もう行くけど、また泣いてちゃ嫌だからね?」
「つばめ、大好きなつばめ。そなたのおかげで余は幸せなのだ」
 つばめはちいさくため息をつくと、目が見えなくなっても美しい王子に向かって肩をすくめました。
「……いいけど。じゃあ、また来年ね」


 つばめはまた旅立ちました。しかし、ずっと王子のことが気になっていたので、翌年まっすぐ王子の元に渡っていきました。
 王子は……また泣いておりました。
「もう!信じられない!なんだってまた泣いているのよ!」
「おおっ!その声は余の大好きなつばめの声なのだ!また会えて嬉しいのだ」
 一瞬、涙を忘れたかのように王子は見えない瞳で笑いかけます。
「……今度は何」
「実は目が見えなくなってから耳がよくなって、以前聞こえなかった声まで聞こえるようになったのだ。そうしたら、この国にはまだまだ貧しくて苦しんでいる人がいると判ったのだ。それなのに余は……」
「あんた一人で国中の貧しい人たちを助けられるわけないの!」
 つばめが叫ばずにいられなかったのは、王子が次に言う言葉が予想できたからです。
「つばめよ、つばめ。余の身体を覆う金箔をはいで、貧しい人たちに分けてくれぬか」
「……あんた、相当、みすぼらしくなるわよ」
「何、余には見えぬから大丈夫なのだ」
「重労働ね。……いいわ。やってあげる」

 王子の全身の金箔をはがすのはつばめにはかなり大変なことでした。そもそも、つばめは王子に何の縁もないのです。面倒なら引き受けなければ良いのです。
 それでもつばめはやり遂げました。そうしてはいだ金箔を売って、たくさんの貧しい人たちの元に配ったのです。

「行ってきたわよ。もう、これで泣いちゃだめ。これ以上あんたにできることなんてないんだから」
「うむ。余はそなたに会えて本当に幸せだ」
 身を飾る宝石も、まばゆい金箔もありませんでしたが、そう言って微笑む王子は、それでもたいへんに美しくつばめには見えました。



 そうして、最後の年がやってきました。
 すっかりくすんで見える王子像の元につばめが辿り着くと、やはり王子は泣いているではありませんか!
「もうっ!言ったでしょう!泣いちゃ駄目だって!」
「ああ!その声はつばめなのだ!」
「もう何が聞こえたって無視しなさいよ!あんたにできることはないんだし!」
「いや。余にはまだできることがあるのだ」
 聞きたくない、とつばめは思いました。それでも王子の声が届きます。
「つばめよつばめ。余の耳には人々の嘆きが届く。宝石や金箔はもうないのだが、余の身体を溶かして売れば、いくらかになるんではないだろうか」
「ばっ……!」
 さすがにつばめは絶句しました。ここまでお人よしでいいのでしょうか。
「それじゃあ、あんたはあんたでなくなってしまうのよ!?」
「それで少しでも幸せになってくれる人がいればよいのだ。……余は、ずいぶん長くこの丘の上に立っていた。それはきっと誰かが少しでも幸せになれるように、そのために作られたのだと思うようになったのだ」
「馬鹿よ!あんた馬鹿よ!」
 つばめは、自分が泣きそうになるのを必死でこらえました。
「馬鹿でよい。それでも幸せだと思う。余の一番の幸せはそなたと出会えたことだがな」
 すべてを投げ出そうとする王子は馬鹿かもしれませんが、それでもとても気高かったのです。
 長い長い沈黙ののちに、つばめはようやく答えました。
「……いいわ。乗りかかった船だもの!最後まで面倒見るわよ!」

 どういうツテだかはわかりませんが、やがて王子像の元に人々が現れて、王子の身体を運んで溶鉱炉で溶かしました。 溶かされた鉄の代金を受け取ると、つばめは泣きながら貧しい人々に授けました。
 すべてを配り終えたつばめが溶鉱炉に戻ると、親方から鉛の固まりを渡されました。
「これだけはどうしても溶けなかったんだ。持っていきな」
 それは、王子の心臓でした。

 つばめが鉛の心臓に耳を当てると、
「ありがとう、ありがとう、つばめ。余は嬉しいのだ」
 そんな風に聞こえました。
「……本当に馬鹿なんだから。ねえ、いい?私、あんたを一緒に連れて行くわ。この街からこの国から離れてうんとうんと遠くまで。
 そこではあんたはもう誰の不幸を嘆かないでもいいの。そうして、いつかあんたも私と同じつばめに生まれ変わるといいの。そうしたら、翼で風を切って、どこまでもどこまでも一緒に飛んでいきましょう。いいわね?」
 王子の心臓からは繰り返し繰り返し、
「嬉しいのだ。余は幸せなのだ。これからはずっと一緒なのだ」
 そう、聞こえました。


 その国のその街のその丘に、かつてきらびやかな王子の像があったことなど、やがてみんな忘れていきました。
 けれど、今も毎年、ひとつがいのつばめが、街を見守りに現れるということです――。


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