白 雪 姫 |
白雪姫=香鈴 小人(少年)=影月 |
その国のお后様は子供が生まれる前に強く望みました。 「髪は黒檀のように黒く、肌は雪のように白く、唇は血のように赤い、そんな女の子が生まれればいいのに」 お后様の願いは叶いました。お后様が産んだお姫様はまさにそのようでしたから。けれどお后様はその時に命を落としてしまいました。 その様子から白雪姫と呼ばれるようになったお姫様はすくすく育ち、その美しさは年々増していきました。 やがて白雪姫の父である王様は大変に美しい女性を新たな后として迎えました。 新しいお后様にとって、この世で一番大事なのは誰も並び立つこともできない自分の美貌でした。 このお后様は魔法の鏡を持っていました。 「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」 お后様がそう問うと鏡は答えます。 「この世で一番美しいのはお后様」 それを聞いてお后様は心から満足するのでした。 ところでお后様は継娘である白雪姫がはじめから嫌いでした。それはもしかしたら本能だったのかもしれません。 お后様は白雪姫を下女並に扱い、働かせました。 それでも白雪姫はきれいなお義母さまを慕っておりました。自分に足りないものがあるから厳しい仕打ちを受けるのだと思っていたのです。 だってお后様ほど綺麗な人はいません。そしてそんな綺麗な人の心が醜いなんて誰も思わないし、思いたくないものなのです。 そんな風に月日は流れました。 ある日お后様は魔法の鏡にいつものように問いました。 「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」 「磨きぬかれた金剛石のようなお后様が今は誰より美しい。けれど花びらの上で輝く朝露のような白雪姫もそれに次いで美しい」 お后様は鏡の言う「今は」という言葉にひっかかりました。それはつまりいつかそう遠くない日に世界で一番美しい女の地位を奪われるととれたからです。 お后様は白雪姫を呼びつけて、その様子を観察しました。粗末なドレスの白雪姫はただの下女のようです。 でもその髪の艶やかさ、その肌の透明感、その唇の柔らかさ――。憧れを湛えて見上げてくる黒目がちの煌めく瞳が長い睫毛に縁取られて瞬きます。まだまだ幼さが残るとはいえ、そこにいるのはまぎれもなくこれからさらに美しくなるであろう少女でした。 それに気が付いたお后様は白雪姫を憎みました。その憎しみの前には、白雪姫が寄せてくれる愛情など何の足しにもなりません。 お后様は狩人を呼んで白雪姫を森に連れて行って殺すように、殺したら証拠として肺と肝臓を持って帰るように命じました。 狩人に連れられて何の疑問も持たずに森まで来た白雪姫は、狩人がナイフを取り出したので、てっきり狩りをするのだろうと思いました。けれど、狩人のナイフは白雪姫に向けられています。 「狩人さん?ナイフをそんな風にされたら危ないですわ」 まったく自分を疑っていない白雪姫の様子に、狩人はナイフを取り落としました。 「狩人さん?お仕事に使うナイフを落とされましたわよ?」 そうして拾ったナイフを差し出されて、狩人にどうして白雪姫を殺すことなどできましょう。 「姫、どうぞお逃げください。私はお后様よりあなたを殺すように命じられたのです」 「どうしてお義母様がそんなことを?」 狩人は白雪姫から目をそらして答えます。 「それはあなたがいずれお后様より美しくなられるだろうからです」 「お義母様はどんな方よりお美しいですのに」 「ええ、今は。ですがあなたは太陽が昇るように日々美しくなっていかれる。それなのにお后様は太陽が沈んでいくように若さと美貌を失っていかれるからです」 まだ狩人の言葉が白雪姫には信じられません。この世で一番美しいのは大好きなお義母様のはず。自分がそれに敵う日が来るなんて、ありえないとも思いました。 「もしそれが本当でしたら、お父様がご存知になったら悲しまれますわ」 「王様はお后様に夢中であらせられるから、きっとお后様のおっしゃることを信じてしまわれるでしょう。現に、あなたが王女でありながら下女のように扱われていることも少しもご存知ではありませんし」 父王も助けにはならぬと知って、白雪姫は一筋涙をこぼしました。それではもうお城に白雪姫の居場所などありません。 「今は獣を狩って、あなたを殺したと伝えましょう。ですがお后様は不思議な力をお持ちです。いつか必ずあなたが生きていることは知られてしまうでしょう。その時、また別の者がきっとあなたがどこにいても殺しに遣わされるのは間違いありません。ですから、どうかどうか、できるだけ遠くにお逃げください。そしてできるならば用心を怠らずご自身をお守りください」 白雪姫は狩人の言葉をすべて信じることはできませんでした。けれど、まだ死にたくもありません。 「獣を差し出して、あなたは大丈夫ですの?」 「獣の肺と心臓をお后様に差し出したら、私はその足で国を離れましょう。ですから姫、あなたもできるだけ遠くへお逃げください」 白雪姫は狩人と別れると、一生懸命歩き続けました。それまでお城でしか暮らしたことのない白雪姫は、下女のような扱いをされていたとしても、やはりたくさん歩いたことなどなかったので、小さな足はすぐに痛み始めました。 それでも白雪姫は一心に歩き続け、七つの山を越えた森に辿り着きました。 疲れ果てた白雪姫の前に、小さな家が現れます。白雪姫が知っている普通の家よりも小さな家でした。 「まあ!なんて可愛らしいお家なんでしょう!」 白雪姫は扉を叩きますが、返事はありません。しかも、鍵がかかっていないようです。 少し罪悪感も感じましたが、白雪姫は家の中に入りました。 「……汚い、ですわ」 家の中はあまり掃除も整理整頓もされてはいませんでした。 事後承諾にはなってしまいますが、泊めてもらいたい白雪姫は掃除を始めました。幸い、継母の迫害のおかげで家事は得意です。 お台所と居間と寝室しかないようなごく小さな家です。せっせと掃除に励むとなんとか見られるようになりました。 森の中を走り回って、そのあと掃除に熱中してしまった白雪姫は空腹を感じました。そこで、貯蔵庫の食材を使って料理もいたします。 夕方になっても帰って来ない家主を待ちきれず、先に食事を済ませてしました。 そうなると、大変な一日でしたから、たちまち眠気に襲われます。 「ちょっとだけ……」 白雪姫は寝室のたったひとつしかないベッドに横になると、たちまち深く眠ってしまいました。 夜になって、小さな家の小さな住人が帰宅しました。まだ成長途上というだけで、実際は小人でなく少年です。 彼は扉を開けた途端、驚きました。 留守にしている間に家の中が綺麗になっていれば誰だって驚きます。しかも、台所には食事の用意さえしてあります。 「一体……?」 不審に思った彼は寝室を覗いてさらに驚きます。見たこともないような綺麗な女の子が自分のベッドで眠っているのですから。 「お姫様みたいだ……」 小人、もとい少年は、白雪姫に一目で心惹かれました。そうしてうっとりと寝顔を見守ってしまったのでした。 翌朝、目を覚ました白雪姫から事情をきいた彼は優しく微笑みながら告げました。 「じゃあ、危険がなくなるまでここにいてくださっていいですよ」 白雪姫は家の住人がやさしい少年ひとりだったことにも安堵していました。怖い人にたたき出されるんじゃないかとちょっと心配していたのです。 「では、お留守の間におうちのことなどさせていただきますわ!」 張り切る白雪姫を微笑ましく見守りながら少年は考えました。 (僕が留守してる時にも大丈夫なようにしておかなくっちゃ) そこで少年は白雪姫に自分が帰ってくるまでに決して家から出ないように、万一誰か訪ねて来ても、決して中に入れないようにと言って出かけました。 そうして、白雪姫には言いませんでしたが、家のまわりにせっせとたくさんの罠をしかけたのでした。 さて、白雪姫は死んでしまったと、狩人に渡された肺と心臓を塩ゆでにして食べてしまったお后様は、晴れ晴れとした気持ちで魔法の鏡に向かいました。 「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」 鏡は答えます。 「お后様、この国ではあなたが一番美しい。けれど七つの山を越えた森の中の家にいる白雪姫もあなたと同じくらい美しい」 お后様は狩人に騙されたことを知りました。罰しようと狩人を呼びましたが、狩人は逃げ出した後でした。 そこで今度は衛兵の一人に命じました。 「これは魔法の紐。これで胸をきつく縛って七つの山を越えた森の家の白雪姫を殺しておいで」 衛兵は野心家だったので、たくさんの報酬と引き換えに、さっそく出かけていきました。 衛兵が家のある森にたどりつくと、炊事の煙が上がっているのが見えました。 「ああ、森の家はあそこだな!」 衛兵は勇んでその方角に向けて走り出したのですが、ふいに足元が崩れました。そこには少年の仕掛けた落とし穴があったのです。元々地面の割れ目だったところをそうは見えないように細工してありました。割れ目の深さは相当のものです。おまけに、ご丁寧にも割れ目の壁には油が流してあり、滑って登ることができません。 焦った衛兵はお后様に渡された魔法の紐を取り出して、木の根っこに引っ掛けて脱出しようとしました。 けれど、それがただの紐でなく魔法の紐だったことが災いしました。紐は根っこでなく衛兵の首に絡み付いてきて、衛兵は助かることができませんでした。 夕方になって罠を点検しながら少年が帰ってくると、落とし穴に人が落ちているのを見つけました。赤と青と黄色の紐が見えます。その紐は、魔術の心得のない人間にも禍々しさを感じさせられるものでした。 また、衛兵の服装から、それが白雪姫の国のものだと読み取れました。 「あー、本当に刺客がきちゃったんだ。すみません、助けてあげられなくって」 少年は申し訳なく思いながらその割れ目を埋めて、衛兵を葬りました。 少年はそんなことをしていたので森の家に帰ると夜になっていました。 「ただいまかえりましたー」 「おかえりなさいませ」 少年はそうして迎えられてとても嬉しくなりました。長い間、誰も少年を迎えてはくれなかったからです。それも、こんな綺麗な女の子が待っていてくれるなんて! 「な、なにを笑っていらっしゃいますのっ!? お食事が冷めてしまいますわ!」 白雪姫は少年に見つめられて、顔を赤くして早口でまくしたてました。 「ありがとうございますー」 二人は共に食事をしました。白雪姫も下女のような扱いしかされていなかったので、誰かと食事をするのも久しぶりでした。それに、少年は白雪姫が何を話しても嬉しそうに聞いてくれます。これまでほとんどお城の中で無視されていた白雪姫にとって、何かくすぐったいような経験でした。 それに、話しているとのんびりはしているものの少年がたいそう頭が良いのもわかってきます。 (このお家に来てよかったですわ……) 白雪姫は心からそう思いました。 夜も更けると少年は白雪姫にベッドを明け渡して、自分は床に横たわりました。白雪姫がどれだけ抗議しても聞きません。 「そ、それでしたら!わたくしも床で眠りますわ!」 そうして本当に床の上で毛布にくるまって眠ってしまいました。 眠れずにいた少年は、白雪姫がよく眠っているのを確認して、そっとベッドに寝かしつけると、今度こそ朝までぐっすり眠りました。 朝になって、少年はいきなり白雪姫に怒られてしまいます。 「どうして余計なことをなさるんですのっ!」 「あなたが床に寝てるなんて放っておける訳ないじゃないですか」 この世にそれ以上の間違いはないとでも言うように少年は言い切ります。 「この家はあなたのものなんですのよ!わたくしは居候なんですから!」 「それでも。あなたみたいな綺麗なひとを床に眠らせるなんて僕にはできません」 面と向かって綺麗だなんて言われたことのなかった白雪姫はすっかり焦ってしまいます。 「もう!今晩も同じことされたら許さないんですから!」 白雪姫は朝食の用意をしながら怒っているふりをし続けます。でも、あんまり動揺していたので、あつあつのスープを器に注ぐ時、少し手に落としてしまいました。 「あつっ……!」 少年はそれまで見せていたのんきな表情をたちまち険しくして白雪姫を井戸の所まで連れていきます。冷たい水で白雪姫の手を冷やしながら常になく厳しい口調で言いました。 「気をつけてください。あなたに火傷なんかしてほしくないんです」 「申し訳ございません……」 「怒ってるんじゃないんです。僕はただ、あなたにどんな小さな傷だって負って欲しくないだけです。 さあ、朝ごはん、いただきましょうね?」 少年は白雪姫の火傷をしなかった方の手を引いて、家の中に戻りました。繋がれた手がとてもあたたかくて、白雪姫は鼓動が高まるのを抑えられませんでした。 衛兵であれば手際よく白雪姫を殺せただろうと、お后様はうきうきと魔法の鏡に向かいました。 「鏡よ、鏡。世界で一番美しいのは誰?」 「この国ではあなたが一番美しい。けれど罠にかかって死んだ衛兵のことも知らず、恋を知り始めた白雪姫こそあなたより美しい」 これを聞いてお后様は怒りました。あれほど大口を叩いていた衛兵が何の役にも立たなかったのですから。 お后様は腹心の侍女を呼び寄せました。この侍女はお后様が誰より美しくいられるようにとこれまでも色々協力してくれていたのです。 「いいかい、おまえ。女ならば白雪姫も警戒しないだろう。これは魔法の櫛。白雪姫の髪に刺したらたちまち死んでしまうだろう」 「お后様、どうぞおまかせください。お后様の邪魔をする者など許してはおけません」 そこで侍女は出かけました。 七つの山を越えて、侍女が白雪姫のいる森に辿りつくと、どこからか歌声が聞こえます。 「間違いない。あれは白雪姫の声だわ」 侍女は服の下に隠した櫛を握り締めながら歌声に向かって足を速めました。 と、枯れた草を踏んだ時です。いきなり足にロープが絡み、侍女の身体は高い木の枝の上に引き上げられてしまったのです。 これも少年の仕掛けた罠のひとつでした。枝は高くて、とても下りられそうにはありません。 ところでその枝にはカラスの巣がありました。侍女の手からきらりと光った櫛に興味を惹かれたのか、カラスたちが集まってきました。 「こっちへ来るんじゃないよ!」 侍女はカラスを追い払おうと手を振り回しました。そうしていると櫛はもっと光を反射して光りましたので、もっと大きな親カラスが近寄ってきます。 「しっ、しっ!」 侍女は自分を囲むように集まり始めたカラスに、すっかり怯えてしまいます。そうして、振り上げた手が、その手が持っていた魔法の櫛が、侍女の髪に刺さってしまいました。たちまち、侍女はぐったりとし、死体となって枝から落ちました。賢いカラスたちは、その櫛が危険なものと悟って、巣に戻っていきました。 夕方、少年が戻ってくると、罠がひとつ作動しているのに気がつきました。そして、枝からぶら下がる侍女の死体を発見します。 またも、白雪姫の国の衣装でしたし、その髪にささった櫛が禍々しく輝いておりました。 「……お后様ってこりない人なんですね。あなたも不幸でしたね」 そう呟くと、櫛に触らないように注意してロープを切って、死体を崖から落としました。木のすぐ横が崖だったからです。 少年はまた別の罠を追加して、それから家に帰りました。 「ただいまですー」 「おかえりなさいませ」 少年は死体を発見したことは口にせず、ただ侍女の服の切れ端を見せました。 「やっぱり誰かがこの家に近寄ろうとしているみたいです。だから、僕がいない間は絶対外には出ないでくださいね」 白雪姫はまだお后様が諦めてくれていないのと、この家を知られてしまっているのではないかと思い、すっかり怖くなってしまいました。 「ええ、出ませんわ。あなた以外の方が来られても、決して扉を開けたりはいたしません」 少年は震えている白雪姫の手を握り締めて誓いました。 「そんなに怖がらないで。僕じゃ頼りないかもしれないけど、精一杯あなたを守りますから」 白雪姫は顔が熱くなっていって、顔を上げることができなくなりました。 その夜も、どちらがベッドを使うかで少し言い争いになりましたが、少年は毛布で白雪姫をくるんで、強引にベッドに連れていきました。 「ずるいんですの!わ、わたくしより力があるからって!」 「そうですねー。ですから、床に寝ようとしても、こうやって何度でも連れ戻しますから。あなたでは僕をベッドに運ぶなんてできないでしょう?」 最後には白雪姫も根負けしてベッドで眠ることを承諾しました。けれど、少年が丸くなった場所が扉の前で、ずいぶんと離れていたのをなんとなく淋しいと思ったのでした。 腹心の侍女であれば、手際よく白雪姫を殺してくれただろうと、お后様は疑うことなく魔法の鏡に訊ねました。 「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」 「お后様、あなたはこの国で一番美しい。けれど、罠にかかって死んだ侍女のことも知らず、始めての恋にそうとは知らず惑う白雪姫はあなたの十倍美しい」 「もう誰も宛てにならないとは!」 お后様は激怒しました。そうして、白雪姫を殺すのは自分でやるしかないと心に決めました。毒入りのリンゴを作って身をやつし、お后様は誰にも言わず国を離れました。 お后様はせっせと歩きましたが、やはり七つの山を越えるのには時間がかかりました。ようやく森に差し掛かった頃には夕方になっていました。 「リンゴを売りに行こうと思っていたのに、夜になったら朝まで待たないといけないではないの!」 しかも、折り悪く天候が急激に悪化しました。黒い雲が立ち込め、大粒の雨が降り始めます。ですから、お后様はさらに急いで森の家に向かって走り出しました。 と、ある木と木の隙間を通り抜けようとしたところ、何かがさまたげました。よく見ると胸の高さあたりに細い金属の糸が張ってあります。 「なるほど。衛兵も侍女もこういう罠にはばまれたのだね」 お后様はそこを通るのを諦めて、隣の木の間を通ろうとしました。けれど、今度も進めません。腰の高さにまた金属の糸が張ってあったのです。 「一体誰がこんなふざけたことを!」 お后様の怒りも、雨と同じように激しいものになります。 それでもお后様は別の道を探すことにしました。今度は首の高さに金属の糸を発見します。 「こんなもの、くぐってしまえば何ほどでもない!」 お后様はその糸の下をかがんで通り抜けました。けれど、罠はそれで終わりではありませんでした。 頭上から金属の糸を編んだ網が落ちてきて、お后様に絡みます。 「なんて面倒な!」 網の糸はあちこちに絡んでどうしてもはずすことはできません。真っ赤になって怒ったお后様は常にない力を振り絞って、網にくるまれた状態で先に進もうとしました。そうして、森の中にある、ぽっかりと木のない場所に出ました。 「やれやれ、ここで網を切ろう」 お后様はナイフを取り出して網を切ろうとしますが、網はナイフでは切れるようなものではありませんでした。 そうして、お后様が網と格闘していた時です。 空を裂いて落雷が襲いました。まわりに高いものがない場所で、金属のものを持っていたから、もう、ひとたまりもありませんでした。 少年は夕方には帰る予定でしたが、大雨のせいで足止めされてしまいました。雨が小降りになった道をランプ片手に急ぎます。 そして、少年は森の空き地で黒焦げになった死体を発見しました。元々この森に人が立ち寄るようなことはありませんでしたし、自分の仕掛けた罠も発動していたようです。 「んー、まだ罠は除去できそうにないなあ」 もちろん、少年にはそれが元凶のお后様だなんてわかりませんから。 その死体にはもうどうすることもできませんでした。大雨で川のようになった流れが、死体を連れ去るのをただ見守りました。 そうして少年が家に帰ると、もうすっかり夜も更けていました。 「ただ今帰りました、遅くなって――」 少年が言い終わらないうちに、白雪姫が真っ青な顔をして走ってきました。 「お、遅いんですのよっ!雷だって近くに落ちたみたいですのに、あ、あなたに落ちたりしてるんじゃないかって……!」 そうして涙を浮かべながら少年にしがみついてきました。 「すみません。心配させちゃったんですね。僕は大丈夫ですからー」 少年はしっかりと白雪姫を抱きしめて言います。 「あ、あなたの心配なんて……」 我に返った白雪姫は少年の腕から逃れようとします。ですが、少年はただもっと抱きしめる手に力を入れます。 「僕は心配しました。あなたが無事で良かった」 そうして、少年は続けました。 「もう、ここからどこにも行かないでください」 「わ、わたくしがここにいても、よろしいんですの……?」 「ずっとずっと一緒にいて欲しいんです」 少年は真剣な眼差しを白雪姫に注ぎました。そして大切な言葉を贈りました。 「あなたが好きです――」 「わ、わたくし、は――!」 白雪姫はもう何も言えずに少年の胸に顔を埋めました。そうされて嬉しいのですが、少年は白雪姫の返事が欲しいと思いました。 「あ、あのー、あなたの方は……」 白雪姫は八つ当たりのようだと自覚しながら、すっかり朱に染まった顔を上げて抗議しました。 「もうっ!それくらい察してくださったらよろしいんですわ!」 「嫌い……じゃあない、ですよね?」 「では、あなたは嫌いな方に抱きついたりするんですのっ!」 「じゃあ、好き、でいいんですか?」 「ですから!好きでもない方に抱きついたりは――!」 少年はその言葉を聞き逃しませんでした。 「ええ、僕もです」 そうして白雪姫の赤い唇にそっと自分の唇を重ねていったのでした――。 誰もいないお城では、魔法の鏡がつぶやきました。 「愛し愛されることを知った白雪姫こそ世界で一番美しい」 そうして、少年の言葉通りになりました。 刺客が絶えたことを二人は知りませんので、それからも周囲から隠れるようにひっそりと暮らしていきました。 小さな家のまわりに少年によって張り巡らされたいくつもの罠はまだたくさんあって、森に普通に近づく人もいません。 もちろん、白雪姫が毒リンゴを食べたりするようなこともありません。通りすがりの危ない趣味の王子に遭遇することもありません。 心が通じ合った後、白雪姫は更に美しさを増し、誰も邪魔するもののない中、ふたりはいつまでも仲良く暮らしたということです。 |