ヘンゼルとグレーテル

ヘンゼル?=楸瑛 グレーテル?=龍蓮 魔女?=胡蝶


 ある夜、四男は両親がこっそり話しているのを聞いてしまいました。
「もう食べる物がない。小さくてまだ働けない四男と末っ子を可哀相だが森に捨てて来よう」
 四男はそれを聞いて、こっそり白い石をたくさんポケットに詰めておきました。

 翌日、四男と末っ子は父親に連れられて森に行きました。父親は森の奥まで来ると
「ちょっと……」
 と二人から離れると戻っては来ませんでした。

 そのまま暗くなるまで待っても父親は帰って来なかったので、自分たちは捨てられたのだとわかりました。
「大丈夫、目印があるから帰れるよ」
 四男は末っ子に向かってわざと平気ぶって言いました。実際に捨てられたというショックは大きかったのですが末っ子の手前、お兄ちゃんだからと頑張ったのです。
 しかし末っ子の反応は妙でした。
「愚兄その四は帰りたいのか?……ならば付き合おう」
 自分の頑張りはなんだったのかと肩を落としながらも、四男は末っ子の手をひいて目印に道道落としてきた白い石を辿って家に帰ることができました。
 両親は驚いてはいましたがさすがに追い出したりはませんでした。

 けれど、やはり暮らし向きは苦しく、両親は苦渋の選択をしたようです。
 数日後、今度は四男は何も聞いていなかったのですが、いきなり父親に
「森に行こう」
 と言われました。
 咄嗟に、
(また捨てられるんだ)
 と思いましたが、目印を用意している暇はありませんでした。仕方なしに四男は最後に与えられたパンをちぎって道々落としていきました。
 先日よりもっと森の深いところで父親は消えました。

「大丈夫、帰れるよ」
 四男は末っ子に言いましたが、末っ子は哀れむような目で兄を見ます。
「愚兄その四。目印はなんだ?」
「パンくずだよ」
 処置なし、と言わんばかりに末っ子は首を振ります。
「本当に愚兄だな。それでは残っているはずがない」
 反論しようと四男は道を辿ろうとしますが、どこを見回してもパンくずは残っていません。
「我々の後に小鳥が度々ついてきているのに気が付かなかったのか?」
 ……四男は気がついていませんでした。
 つまり、せっかく食べずにいたパンなのに、小鳥が食べてしまったのです。こんなことなら自分で食べてしまえば良かった……と思いますが、後の祭りです。

「これからどうしよう?」
 すっかり心細くなった四男はつぶやきます。
「森の中で食べるものを探すしかあるまい」
 この幼い弟は、不安そうな表情すら浮かべません。もしかしたら本当は非常に聡い子なので、すべてを諦めているのかもしれません。
「そうだね。森の中を探してみよう」
 今は、家へ帰るより何か食べる物を見つけるのが重要でした。もうとてもお腹がすいてきたからです。
 けれど、両親とて森で食べる物が見つかるくらいだったら、幼い兄弟を捨てる必要はありませんでした。
 木の実もきのこもまったく見つかりません。動物の姿さえ見えません。
 パンくずを食べてしまった小鳥たちもさえずりさえ聞こえず、あたりはどんどん暗くなっていくばかりです。
「愚兄その四、いざとなれば木の皮でも草の根でも食べようと思えば食べられる」
「そうだね……」
 自分でもそういう物を食べるのは気が進みませんが、幼い弟にそんなものを食べさせるのももっと気が進みません。生意気で可愛げがないとは言え、たった一人の弟です。繋いだ手はまだ小さくて、だから自分ががんばらねばと四男は心に誓いました。

 そうして森のさらに奥へ奥へと入っていきました。たくさん歩いて足は棒のよう。おなかも空きすぎて、もう言葉も出ません。
「愚兄その四」
 不意に末っ子が声を上げました。
「灯りが見える」
 たしかに、木々の隙間から灯りが洩れておりました。
 幼い兄弟は一生懸命灯りを目指して歩きました。
「お菓子の家だ!」
 ふいに視界に映った家を見て、四男は叫びました。
「……愚兄その四。よく見るといい」
 改めて見ると、その家はお菓子でできているわけではありませんでした。
 けれど、壁は上部は生クリームのように真っ白。下部はビスキュイのよう。屋根はチョコレート色。窓を飾るのは赤や青の果物のようなステンドグラス。
 こんな森の奥にあるのが不思議な、かなり大きなお邸です。
「なんでこんな所にこんな家が?」
 四男は悩みましたが、弟は頓着せずに繋いだ手を引きます。
「あちらから食べ物の匂いがする」
 言われてみれば、裏口と見える扉の方から美味しそうな匂いが漂ってきました。
(こんな大きな立派な家なら僕たち二人にも何か食べさせてもらえるかもしれない)
 そう思って四男は裏口の扉を叩きましたが、誰も出てきません。扉に手をかけると、鍵はかかっていませんでした。
 思わず中に入り込むと、そこは大きな台所でした。テーブルの上にはたくさんのご馳走が湯気をたてています。
「すみません、誰かいませんか?」
 四男はごちそうから目を離せなくなっていましたが、それでも大きな声をあげてみました。けれど、やはり誰も現れません。
 ふと見ると、いつの間にか手を離していた末っ子が、ごちそうにかぶりついています。
「駄目だよ!」
 断りもなくよその家の食べ物を食べるわけにはいかないと、弟を叱りつけますが、弟は罪のない顔で答えます。
「後であやまればよいのだ」
 そうしてまた食べ続けます。
 もう、四男も我慢できませんでした。夢中で一番近くのお皿を引き寄せます。
 それは、貧しい家では出されたことがないような素晴らしいごちそうでした。
(少しだけ。少しだけ)
 そう思っていたのに、ついついお腹一杯になるまで食べてしまいました。

 お腹が一杯になるとたくさん歩いて疲れていたので眠くなってしまいます。小さな弟もうつらうつらし始めています。
 台所から別の部屋に続いていると思われる扉には、しかし鍵がかかっておりました。
 四男は弟を抱えて暖かな台所の片隅で丸くなって眠りました。


「誰だいっ!?せっかくのごちそうを食べ散らかしたのは!」
 そんな叫び声が聞こえて、四男は眠い目をこすって起き上がります。そこには見たこともないようなきれいな女の人が、見たこともないような怖ろしい形相で立っておりました。美人なだけに怒るととても迫力がありました。
「すみません、誰もいなかったから……」
 一向に起きる様子のない弟を庇いながら、四男はおそるおそる言いました。
「お前たちかい!裏口の鍵をかけ忘れて失敗したね!……にしても、これは大事なお客のために用意したものだったんだよ!また作り直さないといけないじゃないか!第一、おまえたち払えるお金なんか持ってないんだろう?」
 お金なんて、兄弟のどちらも持ってはいませんでした。四男は悲しくなりながら首を振ります。
「そんなことだろうと思ったよ。さて、どうやって弁償してもらおうかね?」
 女はとくとくと兄弟を眺めます。
「まだ女の子なら良かったのに!よりによって二人とも男の子かい」
 弟がようやく目を覚まして女を見ます。
「だけど、二人とも顔立ちは悪くないね。そういう趣味の客も、まあいないではないけれど。でも少しばかり幼すぎるか」
 女の言う意味は四男にはわかりませんでした。でも弟の方はそれを聞いて嫌そうな顔をしました。
「よし。兄の方はもう少し栄養をつけさせて綺麗にしてからなら使えないこともないだろう。弟の方はまだ無理だから当分下働きだね」
 女はそう一人決めすると、無理矢理四男を別の部屋に連れていって閉じ込めました。

 それから四男には弟がどうなったかわかりません。ただ、毎日おいしいものを食べさせられ、風呂にも入れられ、きれいな服を与えられました。
 扉には鍵がかけられ、窓には鉄格子がはまっています。
 それでも数日もいると、この家には最初の女以外にも、きれいな女が沢山いることもわかるようになりました。そして時々、こっそりとお客を迎えます。お客は顔を隠していたり地味な服装をしていたりしますが、誰もがお金持ちそうです。でも、四男にはそれがどういうことなのかまだわかってはいませんでした。

 一月ほどたって最初の女が四男の部屋に現れました。
「いいかい、今晩お前に客がつく。どんなことをされてもお客に逆らっちゃいけないからね。逆らったりしたらお前の弟を獣に食べさせてしまうから」
 弟をひどい目にあわせたくない四男は必死でうなずきました。

 その日の夜になる前に、ふいに窓の外に弟の姿が現れて、四男は慌てます。
「危ないよ!」
 器用に鉄格子にぶら下がった弟は平然として言います。
「愚兄とはいえ我が兄。このまま見捨てるのも気の毒だ。私は先ほど音楽の神の啓示を受けた。そこで客とやらが着いたら天上の楽の音を聞かせてやろうと思う。その隙に愚兄その四は逃げ出すように」
 昔から末っ子の言うことはさっぱりわかりませんでした。今もまるで意味不明です。言うだけ言って、弟が姿を消しました。

 さて、夜も深まって、一台の馬車が着きました。大きな帽子で顔を隠した男が今晩のお客のようです。
 あの女に連れられて、男は四男の部屋にやってきました。
「ふむ。なかなかきれいな子じゃないか」
「そうでございましょう」
 なんだか嫌な目で眺められて四男は落ち着きません。

 と。その時です。
「うわっ!なんだこれは!」
「ひいいいいっ!」
 突然不快な音が響きはじめました。まるで地獄から聞こえてくるようです。
「やめてくれえええ!」
 家中の者が耳を押さえてころがります。それはもう耳への暴力と言っていいほどで、次々と人々は失神していきます。

 さて、四男ですが、最初こそ音に驚いて倒れそうになりましたが、弟の発言を思い出しました。あの弟は普通ではありません。そこで咄嗟に布団を裂いて綿を取り出して耳に詰めました。そうすると随分違いました。
 やがて、横笛を吹きながら弟があらわれました。やはりあの悪魔の音は弟の仕業だったのです。
 弟は、倒れている男が完全に気を失っているのを確かめてから笛から口を離しました。そうして、おもむろに男の懐を探り始めます。いくつかのものを取り上げた弟はそれらを懐に入れて、四男を手招きします。
 四男は弟について走り出しました。

 外に出ると、馬車の御者もおつきの人物も気を失っていました。
「馬には天上の音楽は無意味かと耳栓をさせておいたのだ」
 弟は御者とおつきを馬車から突き落とすと、さっさと御者台に座り込みます。
「早くしろ、愚兄その四」
 言われて四男も隣に乗り込みました。

 馬は怖ろしいほどの速さで森を抜け、やがて街が見えました。知らない街です。弟は馬車をそのまま走らせて通り過ぎます。
「どこまで行くんだい?」
 四男は弟に尋ねます。
「残念なことに我らは子供だ。この国に留まっていてはあの家の者たちに見つかるかもしれない。そこでこのまま国を出ようと思う」
 四男は慌てました。
「それじゃ家に帰れない!」
「今帰ってもつかまるだけだ。愚兄その四が帰りたいなら大人になってからにするといい。私は旅を続けるつもりだ。何、この笛があればどこででもなんとでもなる」
 末っ子はそう言って大事そうに笛を取り出します。
「……頼むから僕の前では吹かないで」
「天の楽の音は愚兄には理解できぬか、嘆かわしい。だが凡人であれば是非もないこと。ともかく当分はあの客からせしめた金品でどうにかなる。何、どうせ後ろ暗い金だ。問題ない」

 弟が持ち出していたのは、たいへんな大金でしたので、兄弟は異国で暮らすのに不自由はしませんでした。
 やがて大人になって、四男は弟と別れました。手に入れたお金を元に教育も受け、やがて商売に成功した四男は国に帰ります。すっかり大人になった四男をあの時の子供だと思う者は誰もいないでしょう。
 そうして生家を探し当てます。年老いた両親はなんとかまだ生きていましたが、それはもう目を覆いたくなるくらいの生活ぶりでした。
 両親は捨てたはずの息子が立派になって帰ってきたことに驚き、また深く詫びました。大人になった四男は仕方のなかったことだと理解して両親を許し、最後までその面倒をみました。
 末っ子とはその後会うことはありませんでしたが、四男は遠くを旅しているであろう弟の身をいつまでも案じていました。

 ただ。自分がもう少しで娼館で客を取らされるところだったということだけは、生涯誰にも話さなかったということです。


メルヒェン・フェストにもどる
目次  トップ