影月の茶州酒宴体験記
(えいげつのさしゅうしゅえんたいけんき)




 秀麗さんが貴陽に戻ってしまって。茶州の州城は現在男の人だらけです。

 茶家の件に続いて虎林郡の病も治まり、櫂瑜様という頼もしい方が跡を引き継いでくださったこともあって、秀麗さんや悠舜さんがいらっしゃらなくなった寂しさも日々の忙しさに癒され、州城の雰囲気はいつしかぐっと明るく、どこかくだけたものになりました。


 僕の官位が下がったことも影響したのかもしれませんが、この頃から僕は茶州州官の皆さんにお酒の席に誘われることが増えました。
 州城で働いている皆さんは、全員僕より年上で、経験豊かな方ばかりです。なのに秀麗さんと州牧として赴任して以来、とても暖かく迎えてくださいました。州牧を解任されて残った僕にも、とてもよくしてくださってます。

 この日も仕事の後、誘われて酒席にお邪魔しました。
 陽月が眠ってしまったので、僕もお酒が飲めるようになりましたが、あんまり積極的に飲もうとは思いません。
 燕青さんは、「そのうち馴れる」とおっしゃいますが、どうなんでしょう?
 陽月は底なしだったみたいなので、身体は受け入れられると思うのですが、少し飲んだだけでもふわふわします。あんまりみっともないことにはなりたくないと思ってるんですけどね。

 夜も更けて皆さんお酒がまわってくると、話題が女の人の話になっていくことが多いです。元気な男の人ばかりなので自然なことかとも思いますが、そうなるとまだ僕には居心地悪くて、なるべく早めに退出させてもらうことにしてるんですけど、そういつも早く帰してもらえるわけでもありません。

 絡み酒……というわけでもないでしょうけど、僕を引き止めて、どうやって女の人に好きになってもらうとか、女の人はどういうものが好きとか、あとかなり際どい話まで、色々教えてくださいます。
 実年齢が若すぎる上に、同じ年頃の子供と比べても小さいからでしょうか。どうも皆さんは、僕に色々教えなければ……という使命感を持たれてるみたいなんですね。
 早く州牧邸に帰らないと香鈴さんが心配すると思うんですけど、皆さん親切から僕に接してくださってるのが判ってますからあまりムゲにもお断りできなくて、結果、とんでもないことまで教わってしまうことになります。

 聞いてるだけで僕なんか顔が赤くなってしまうのに、皆さん平気なお顔で話されるんです。
 それが不思議だったので、今日は思い切って訊ねてみました。
「皆さんはこういうお話の時、最初から僕みたいに顔が赤くなったりしなかったんですか?」
 そうしたら。
 皆さん無言で僕の頭や肩を順番に、ぽん、と叩いていかれました。
 中には、
「がんばれ、少年」
 と言ってくださった方もありました。
 えーっと。つまり。どういうことなんでしょう?

 酒席はどんどん盛り上がっていって、大声で好みの女の人の主張が始まりました。
 黙って聞いてるだけですけど、好みって本当にばらばらですねえ。む、胸の大きい方がいいとか、小さい方がいいとか、全体にふくよかな方がいいとか、ほっそりしてる方がいいとか。
 色っぽい女の人がいい……というのを聞いて、貴陽で会った胡蝶さんを思い出しました。清楚な女の人が…という人もいて、春姫さん……? とか思いました。
 ……僕、あんまり女の人のお知り合いっていないんですよね。

 僕がぼーっとしてる間に、誰が一番女の人を悦ばせたことがあるか……という体験談大会になってました。『喜ぶ』じゃなくて、『悦ぶ』だそうです……。
 なんかすごいお話が飛び交ってて、どうしていいか判らなくなります。身の置き所がないっていうか。でも、耳には入ってきちゃうんですよね……。

 ふと、克洵さんが春姫さんとの初夜のことで泣きついて来られたことを思い出しました。
 僕みたいな子供にまで意見を求められて、どうしようかと悩んだものです。
 克洵さんと春姫さんは今もとっても仲良しで、お会いするととても嬉しいんですけど、時々春姫さんの口からこんな酒席で出るような単語がこぼれたりするのは、気のせいじゃないかもしれません……。克洵さんも大変だとは思いますが、お幸せそうで何より……というとこでしょうか。

「影月、ちゃんと起きてるかー?」
 燕青さんが僕の頭を小突いてこられました。
 お酒も強いはずだから、まだ酔っていられないと思うんですけど、にやにやしながら僕にお酌してくださいました。
 以前、悠舜さんが、
「燕青は、君と秀麗殿を弟妹のように思っていて、可愛くてしかたないのですよ」
 と、笑いながら話してくださったことがあるんですが、それが本当なら、すっごく嬉しいです。
 でもこんな時は、喜んでばかりもいられません。
「おまえもなー、そう遠くないうちに必要になることだから、よく聞いとけよー?」
 ……そう遠くないうちって? 必要って?
 そりゃ僕だって興味がないわけでもないですし、女の人の好みだってしっかりありますけどー。
「男として、ちゃんと嬢ちゃん悦ばしてやらんといかんだろー?」
 ……燕青さん、脂下がってますが。
 ――って。
 香鈴さんをそんな目で見るだなんてっ! ……見たことがないとは言えませんけど……。

 さらに顔を赤くした僕に何を思ったのか、燕青さんは続けます。
「まあ、本命との本番の前に予行練習したいってんなら、俺がちゃんと連れていってやるぞ?」
 ほ、本番って! 予行練習って!
 僕があわあわしてる間に、周りをぐるりと取り囲まれてしまいました。
「そうだなあ。いっぺん経験しといた方がいいぞー?」
「いっそ、今からでも繰り出すか?」
「繰り出したいのはおまえだろう」
「おまえだって、ご無沙汰のはずじゃねえのかっ!」 
 ――いえ、あの。どうかお構いなく……。
 そう言えば、と気が付いたことがあったので、矛先を変えるためにも聞いてみることにしました。

「あのー。皆さんのお話を聞いてるとですねえ、なんだかずいぶん前のお話が多くありません?」

 ぴしり、と場の空気が凍ったのを感じました。
「影月、おまえ、それ禁句……」
 どこか顔色が冴えない燕青さんの発言のあと、周りの皆さんも、うんうんとうなずいています。中には涙を浮かべている人まで……。
「まあ、なんだ。茶州の州官ってのは、茶家の目の敵にされてたからな。州官のまわりは危険だってんで、女も寄ってこなくてな……」

――つまり、皆さんの体験談は、州官になる前のお話ってことなんでしょうか。
「で、でも。最近は落ち着いてきましたしー。例の学舎のお話だって進展してますし、州官なら本来安定してますから、女の人も喜んでお嫁に来てくれそうな気がするんですけどー?」
 いきなり右隣の人が泣き出しました。えっ!?
「燕青の元、茶州州官として、わき目もふらずに早十年。ようやく落ち着いたら、女の知り合いもいやしないっ」
「たしかに、州官の嫁になりたいって女はいるのよ。でもな。嫁が欲しい州官の数の方が、圧倒的に多くってだな――」
 ああ。需要と供給が……。
「おまけに、長年の荒廃のせいで茶州にはよそに比べて若い女が少ない」
「そこに追い討ちかけるみたいに、虎林郡の病だろ?」

 また空気が凍りました。
 といっても大丈夫です。あの件に関しては、皆でできるだけのことをやったんですから。それに――。
「影月がいなかったら、もっと茶州から女が少なくなってたわけだよなー?」
 燕青さんは場の雰囲気を変える天才だと以前から思ってたんですが、このときもあっという間に空気が暖かくなりました。
「僕だけじゃなくて、皆さんのおかげですってばー」
 それでも一応言っておきます。本当に僕一人でできたことじゃありませんから。
「いや、やっぱり影月君がだな――」
「うん、功労者だよなあ」
「功労者にはご褒美だっ! ――ってことで、漣花楼に連れていってやろうぜ」
「漣花楼は高いぞ? そりゃ、いい妓女が揃ってるが……」
「なあに、燕青のツケにしてしまえば問題ないだろ」
「ちょっと待て! おまえらっ!」

「いきなり漣花楼はなあ……」
 と、燕青さんが渋りだし、周りから非難が殺到します。
 漣花楼――よくわかりませんが、貴陽の胡蝶さんとこみたいなのでしょうか? あそこは、都で一番のお店だったから、もう少しおとなしい感じかもしれません。ああ、でも琥漣にもやっぱりあるんですね、そういうお店……。
「いやいや、実践の前に影月にはまず心構えだとかをしっかり教えこんでだなあ――」
 本当に漣花楼って高いんでしょうねえ。
 でなかったらさっきの連れて行ってやるって台詞と矛盾しますしー。
 あ、まわりからもそのへん、つっこまれてます。
 ……どうやら、このまま今夜は『実践』とやらに連れていかれずにすみそうです。贅沢かもしれませんけど、僕にだって希望というものが――。やっぱり、好きな人とがいいと……。
 あ、今はまだ駄目です! 自信もないし、やっぱりもう少し大人になってからじゃないと……。
 ――あれ? な、何、考えて……っ!

 ――ところで誰か、いくらなんでも僕には早すぎると言ってくれる人はいないもんでしょうか?
 とか思ってると、比較的良心的な方が発言してくださいました。
「実践はまだ、早いんじゃないか?」
 僕は思わず嬉しくなりました。
「まず、いい春画本をだなあ……」
 ……はあっ?
「俺のおすすめは、乱要明だ!」
「乱かあ……? ちょっと上品すぎないか?やっぱり談作申だろう」
「談作申ねえ。実用的と言えば実用的だが」
「影月君には刺激が強すぎないか?」
「ここは無難に、盛天貝だろう」
「みんなで持ち寄ったら、影月君へ贈るのもすぐ集まるな」
「……おまえ、それ、使用済みとか言わんか」
「せめて新品にしてあげようよ」
「じゃあ、今度の宴会までに準備するってことで――」
 い、いえっ! お気持ちだけで十分です!
 僕は必死に首を振りました。
 それまで黙って飛び交う作者名を聞いてた燕青さん、いきなりにやりとします。
「いいや。影月には一巻でいい」
「そりゃ、一度に沢山は使えないだろうが」
「そうじゃない。影月には泉江西が一番だ」
 自信満々に燕青さんが言い切ります。
「泉江西……って、名家のお嬢様風の女ばっかり描く作風の……ああ!」
 なんか周り中、勝手に納得してるんですけど――。
「決まりだな」
「そうだな」
「じゃあ、今度でも……」
 えーっと。つまり、僕に、その…女の人がどうこうしてる(どうこうされてる?)絵のある書物を贈ってくださるってことですか――っ!?
 もらっても困るんですけど――っ!

「ただし」
 燕青さんは僕に向かって言い聞かせるように続けました。
「州牧邸に持ち帰りは禁止」
「はあっ!? 自宅の臥室に置いてないと意味ないだろうっ!?」
「あのな。影月の部屋には掃除に入るお嬢ちゃんがいてだな――」
「……そうか!」
 ぽんっと、手を打ったのは一人じゃなかったです。
「見つかると、まずいよな……」
「しかも、若い女の子じゃあ、『不潔っ!』ってことになりかねんし」
「まあ、州城は野郎ばっかりだし」
「政務中には、見るんじゃないぞー?」
 ……皆さん、お気遣いありがとうございます。
 ――って、言っていいものでしょうか……。

 さらにおまけがつきました。
「いいオカズができたからって、あんまり熱心にふけるのはそれはそれで弊害があるぞ」
「ん……? ああ、遅ろ……」
「でも早い方が問題だろう」
「初心者は、あっけなかったりするしな」
「いやいや。影月君なら、そのあたり、性格的にも我慢がきくはずだ」
「おまえと違ってかー?」
 僕はもう何も聞きませんってば。意味がわかってしまうだなんて、ああ……っ!
「まあ、今夜はこれくらいで開放してやるとするかー?」
「そうだな。楽しみにしててくれよ」
「俺にも少しは覗かせて欲しいな」
「馬鹿か!? いたいけな少年から取り上げるんじゃない!」
「横から眺めるだけだし問題ないだろう。泉江西、見たことないんだよ」
「あー、結構いい値するしな」
「楽しみだなー」
「だから! 楽しみにしていいのは影月君だけだ!」
 と、とりあえず、今夜はこれで失礼します――。


 酒楼からの帰り道、燕青さんは上機嫌でした。
 ふと、あれだけ盛り上がってるのに、燕青さんは案外自分の話をしてないことに気付きました。燕青さんだったら女の人にすごく好かれると思うんですよね。
 きっと、僕の知らない燕青さんのお話はたくさんあるんだと思います。――女の人絡みのお話だけでなくって。
 僕は隣を歩く燕青さんをしみじみと見上げました。
「なんだ? 影月。見とれるほど俺ってばいい男ってかー?」
「僕が知ってる中でも上位に入ると思いますー」
 あっさり同意されたせいか、頬を掻きながら、
「ちなみに、映えある第一位は誰よ?」
「僕的には堂主さま……と言いたいところですけど」
「違うんだ?」
「実際のところは――」
 僕の知り合った人たちは、みんなすごいひとたちで。静蘭さんも燕青さんももちろんだけど、主上も、藍将軍も李侍郎も、悠舜さんも、柴彰さんも、それからまだまだ沢山の皆さん、すごいかっこよくて。
 でも、一番というなら――。
「で? 誰?」
「櫂瑜様ですー」
 思わず、といった感じに、燕青さんは天を仰ぎました。
「櫂のじいちゃんかーっ! そりゃ、確かに。あれは、相当、場数踏んでるしなあ。おまえ、そっちの方も色々教えてもらえよ?」
 ……だから。どうしてそっちに話がいくんですか?


 たどり着いた州牧邸で、玄関に入ると香鈴さんが出迎えてくれました。
「おかえりなさいませ」
「おっ、嬢ちゃん、こんなに遅くまで起きてたのか」
「……燕青様。あんまり影月様を悪いお席に誘わないでくださいませ」
「――って、酒飲んできただけだってば。男のつきあいには必要な……」
「お夜食にお雑炊を用意しておきましたの。」
「気が利くねえ!」
「でも。燕青様の分はございませんから! ――さ、影月様、参りましょう!」

「そんなーっ」
 と嘆く燕青さんを後に、僕は香鈴さんに引っ張られていきました。
 香鈴さんの用意してくださった梅と紫蘇の入ったお夜食はとってもさっぱりとしておいしくて。それはそれで幸せだったんですけど。
 ――さっきの席で交わされたお話とか僕が考えてしまったこととか思い出したら、なんだか香鈴さんに悪い気がして、早めに引き上げました。


 ああ、今夜。妙な夢を見てしまったりしたらどうしたらいいんでしょう……。

                           (終)


目次




















―後記―

『影月の茶州酒宴体験記』(えいげつのさしゅうしゅえんたいけんき)



時期は、櫂瑜が正式に茶州に赴任して数ヵ月後くらい。
たぶん、初夏頃。
燕青初めとする、茶州の州官たちに
無理矢理(?)オトナの知識を植え付けられる…影月のひとり語りです。

これの最大の苦労は、燕青しか名前を出せないということ。
茶州の州官の名前って、あと茗才しか出てこなくて。
茗才は、「なんだかすごいらしい」くらいでほのめかされて終わってるので
実情がわかりません。
なので、無名の無個性の輩がぞろぞろしてるわけです。

ちなみに、胡蝶姐さんのこうが楼、「こう」の字が「?」になってしまうため、
名前を出せませんでした。PCが馬鹿なのか、ビルダーが馬鹿なのか。
作中の妓楼とか、春本作家名とかは、その場の思いつきで。
作家名は、きっと、ペンネームなのよ、と、
思いついた響きに、それっぽい漢字をあててみました。
ちょっと楽しかったです。

明確な筋のある話ではないので、どこまで続けていいのかにも困りましたが、
なんとか収まって、一安心です。