碧 青
(へきせい)




 春が一足先に訪れたような暖かな一日だった。
 櫂瑜を初めとする州牧邸の面々は、主だった家人も引き連れて遊山へと出かけた。
 とは言っても、行き先は琥lの街の川辺である。
 琥lのややはずれをゆったりと流れる川の両側は広々とした土手になっており、見晴らしがいい。ちょうど、琥山と琥lの街並みを両方目におさめることができる、街の人々の憩いの場所でもあった。
 まだ風は少し冷たいけれど、陽射しはぽかぽかと暖かく、気持ちがよい。
 用意した弁当を平らげた後は、敷布の上で昼寝する者あり、魚釣りを試みる者あり、銘々が思い思いにくつろいで、去る日も近い冬の休日を楽しんでいた。


(あー、なんて言うか、平和?)
 ごろりと地面に横になった燕青は、ぼんやりと流れる雲の行方を目で追っていた。
 ふと頭を巡らすと、そこではまるでままごとのようなやり取りが繰り広げられている。

「まあ! お顔に小豆がついていましてよ」
「あー、気が付きませんでしたー」
「あなたという方は!」
 香鈴が甲斐甲斐しく袖で影月の顔を拭いてやっている。
 食後の菓子を前に、かわいらしい恋人たちがじゃれあっていた。
 それがあまりにも微笑ましくて、知らず燕青の口元も緩んだ。

「うらやましいですか?」
 ふいに頭上から降ってきた美声に、燕青は虚をつかれた。
「櫂のじいちゃんか。驚かすなよー」
 誰を相手にしようと、燕青の人懐こい態度は変わらない。
「うらやましいかって? うーん、ちょこっと違う。見てるこっちまで頬がゆるむって感じかな?」
 燕青の視線の先を追って、櫂瑜の目も細められる。
「わたしは正直うらやましいですね。今でも恋ならできますが、あの二人のような一途でまっすぐな恋はもうできません」
 さすが色恋に関しては現役の櫂瑜である。燕青は素直に感心する。
「じいちゃん、あの年の頃なら、どんなだった?」
「わたしですか? さて、もう随分と昔のことですが。――そうですね、年上の麗しい女性への叶わぬ想いで胸を焦がしておりましたよ」
「そりゃまた劇的な」
「いえいえ、ただの片思いでしたからね。無力な自分に歯噛みしていた青い記憶です」
「ふーん」
 若き日の櫂瑜と年上の美女の取り合わせは、さぞかし絵になっただろうと燕青は想像する。
「あなたはどうですか?」
「俺? 俺は――」
 家族を失ってから、修行と復讐と。そしてがむしゃらに茶州を守ってきた。恋をしたことがないわけではない。だが、語るべきほどのものはないと燕青は思う。
「俺は、まだこれからということで」
「ふふ。それもまたうらやましいことです」
「なあ、じいちゃん。恋多き人生の秘訣って、なに?」
「おや、わたしはそんなふうに見られているのですか」
 どう見たってそうだろうと、内心燕青はつっこむ。
「秘訣などはありませんよ。ただ、女性という素晴らしい存在をあがめているだけです」
「それってどういうこと?」
「考えてごらんなさい。もしこの世に女性がいなかったら?」
 燕青は考えた。そしてあっさり白旗をあげる。
「すっげ、むさくるしい……」
「そうです。そんな世界などわたしなら絶望してしまいますね。ですから、すべての女性への感謝を常に忘れないことです」
「肝に命じます……」


 目の前の小さな恋人たちは、立ち上がって散歩に向かうらしい。はにかんで影月が差し出した手に少しそっぽを向いて自分の手を重ねる香鈴。
 その初々しいやりとりをそっと見守りながら燕青は遠い目をする。
「なんかさ、守ってやりたくなるんだよな。あいつらがちゃんと自分で立っていけるのは判ってるけど、それでも、俺のできることで丸ごと守りたいって」
「それが、我々年長者の役割でしょう」
「そうだなー」
 しばし、燕青は考えていたが、勢いつけて起き上がると、櫂瑜に手を振って走り出した。
 のんびり散歩していた二人にたちまち追いつくと、いきなり、後ろからまとめて二人とも抱きしめる。
「え、燕青さん?」
「な、なにするんですのっ!」
 さすがにじたばたする二人をおさえつけながら、燕青は笑う。
「だって、おまえら本当にかわいくてさー。ちょっと愛情表現してみたわけ」
「そ……そんな表現は、龍蓮様おひとりで十分ですっ!」
 その様子を見守っていた櫂瑜のつぶやきは、燕青の耳には届かなかった。
「もっとも、あなたとて、わたしから見ると彼ら同様かわいいのですけれどねえ」


 急いで大人になるしかなかった少年の自分を思うと、この二人がうらやましくないと言えば嘘になる。
 だが、何度同じ目に合っても、きっと同じ道を歩く。その途中で出会ったさまざまな人がいたから、今の自分がいる。
 人生は晴れの日ばかりではないけれど、今日の昊は澄みきってただ青い。
「まあ、悪くねえじゃん?」
 苦笑する影月と怒る香鈴を抱えながら、燕青は心から笑った。

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『碧青』(へきせい)


燕青から見たスケッチみたいな影月と香鈴を書こうと思いました。
しかし、櫂瑜様がいきなり話し出して、なんだかズレて。
まあ、たまにはいいでしょう。いちゃいちゃはしてるみたいですから(笑)

小品のわりにかなりでっちあげ度が高いです。
琥l付近に川があることは確かですが、場所がわかっていません。
もちろん、土手とかそこからの景色も不明。
櫂瑜の少年の日の恋も、「こういうのがらしいかな?」とでっちあげ。
燕青の恋愛事情はさっぱりなので、そのへんは追求しませんでした。

燕青は、好かれるけれど本命になれないタイプかな、と思うのです。
懐が大きすぎる男って、魅力的だけれど恋人には向かないかも?
案外、遅咲きの大恋愛とかするかもしれませんね。

ちなみに、和色で「青碧(せいへき)」というのはありますが、
「碧青」はありません。碧がかった少しまだ暗い冬の昊のイメージです。