微笑みの系譜 (ほほえみのけいふ) |
時代は巡る。川の流れのように留まることなく。 人は変わる。同じものなどひとつとてなく――。 一人の青年が屋根のない車で辺境を旅していた。あたりは、単調な光景が延々と続いている。 お世辞にもよく整備されているとは言いがたい田舎道をやはりよく整備されているとは言いがたい車で、青年は行く。 後に最上治と言われた国王、劉輝の時代より、文明は爆発的な発展を遂げた。産業の発達は、あらゆる人の生活を一新する。たいして裕福でもないこの青年が、ボロとはいえこの車を手に入れたように。 交通の発達は、人の足跡を知らぬ場所を無くした。 それでも、辺境と呼ばれる地域が文明より取り残されることはいつの世も避け難かった。 上機嫌で鼻歌混じりにハンドルを握っていた青年は、ふと助手席の人影に気付いた。 走行中の車の中。しかも、さっきまで誰も乗せてなどいなかったのは確かで。 怪談というには、時刻は真昼間。 しかも、その相手は影が薄いなどとは正反対の気配を発していた。 「おい、酒はないか」 闖入者は、悪びれる様子もなく、自分に気付いたらしい青年に話しかけてきた。 「お酒、ですか?」 ありえない事態に一瞬だけ硬直した青年だったが、相手の言葉に素直に答える。 「運転中なんでお酒は持ってません。ああ、荷物の中に薬用アルコールならありますけど、もちろん飲むお酒ですよね?それでしたら、もうすぐ次の村に着きますから、そこで買うまで待っててください」 「……普通、もっと警戒するだろう」 それを闖入者が言うのもおかしなものだが、青年の反応は確かに少しずれていた。 青年はにこにこと笑いかける。 「あなたから悪人の気配はしませんし、このところずっと一人で旅してたんで、話し相手ができて嬉しいんですよ。どうせなら、旅は道連れといきませんか」 やや吊りあがり気味の双眸で、闖入者は青年をねめつける。 「……お前、お人よしとか言われるだろう」 「うーん、でもうちの一族は大抵こんな感じなのでー」 青年の返答はどこかのんびりしていて、とてもではないが無断乗車の謎の人物に対するものではなかった。 しばらく無言のまま車は道を進んでいたが、闖入者は再び唐突に口を開く。 「おい。薬用アルコールとか言ったか」 「まさか、それでもいいからって飲むつもりですか? まずいですよ?」 「誰があんなまずいものを飲むかっ」 双方、まずいと知っているということは、飲んだことがあると言っているようなものである。 「飲むなら美味い酒に決まってる。お前、医者か?」 「ええまあ。まだ駆け出しですけどー」 闖入者は、青年と車内を見回してつぶやく。 「最近の医者は金持ちだと聞くが、少しもそうは見えないな」 「僕は駆け出しですし、もちろん貧乏です。お金持ちの医者っていうのは、都会の大病院の話でしょう? うちの一族は医者も多いですけど、地方に行きたがる者が多くてあまりお金持ちはいませんねえ」 青年は話し相手ができたのが心底嬉しいらしく、微笑みを浮かべたままだ。 「お前も地方に行きたがった口か」 「ええ。都会には医者が結構いますけど、地方だと医者不足の所も多いです。だから僕みたいな駆け出しでもいいから来てくれ、なんてお声がかかるわけで。望まれて赴任できるなんて、医者としても幸せですよねー」 青年の微笑みからはどこにも欺瞞は感じられない。闖入者の青年を見る目つきは反対に険しくなった。 「……お前、名前は」 「ああ、すみません。名乗ってませんでしたね。僕は杜涼月(と・りょうげつ)と言います」 それは、当に予測された答えを裏付ける名前。 「やはり、影月の養い子の子孫、か――」 闖入者のつぶやきを耳にした途端、涼月は急ブレーキを踏んだ。当然、乗車していた人間の身体は強く前に押し出される。 「お前! もっと上手く運転しろっ!」 隣の席からの文句など、涼月には耳にも入っていなかった。 涼月は、闖入者を食い入るように眺めていた。 「あなた、陽月さんですかっ!?」 「何故、そう思う」 しばしの沈黙の後、闖入者がようやく口を開く。 「だって、杜家は医者と官吏を輩出する一族として少しは知られていますけど! 影月の名前なんて、歴史に詳しいとか古い医術を研究してるとかでもないとまず知りませんよ!」 涼月の声はやや興奮の色を見せていた。 「……俺が陽月だったらどうする」 涼月は闖入者の言葉に少し考え込んでいたが、やがて顔を輝かせた。 「僕の赴任する村ですけど、住む所も用意してくれてるんですよ。良かったらそこに居候しませんか?」 闖入者の顔は、なんとも妙に歪んで見えた。苦虫を噛み潰しているようでもある。 「……何故、そうなる」 「それは、僕がずっとあなたに会いたかったからです」 涼月は、少し遠い目をして語りだす。 「杜家にはご先祖から伝わってることがありまして。その、例の影月からなんですけどね。 ご先祖と言っても、血は繋がってません。杜家の人間はみなしごとか拾って養子にしちゃう癖があって。だから僕だって、兄弟全員と血が繋がってません。 でも、愛情いっぱいに育てられるせいか、血が繋がってなくてもなんか似てきちゃうんですよね。もしかして、影月とも似てるんじゃないでしょうか」 闖入者は沈黙を守ったままだ。涼月は気にせず続ける。 「で、肝心の言い伝えですけど。『時も場所も選ばず、陽月という男に出会った杜家の子は、必ず影月とその妻香鈴よりの永遠の愛を伝えよ』って言うんです」 涼月の闖入者へ向けた視線は、限りなく暖かかった。 「ねえ、陽月さん。僕と一緒にいてください。僕はあなたとたくさん話をしてみたいんです。 子供のころ、はじめてこの言い伝えを聞いた時から、ずっと会いたかったんです。 ご先祖の愛したひとなら、僕もきっと好きになる。いえ、きっともう、ずっと好きだったんです」 陽月は長い沈黙のあと、顔を背けたままようやく声を出した。 「……いいだろう。俺が飽きるまでならな」 弾んだ声が車内に響く。 「それでもいいです! それに、僕に飽きちゃったら、一族を紹介しますから。うちの一族は国中に散らばってますから、一族中に飽きるまでずいぶんかかりますねえ。言い伝えが話題になる度、皆、あなたに会いたいって言ってましたし」 涼月の言う通り、血は繋がっていない。繋がるはずがない。 仙の器は死人(しびと)のもの。子孫を繋ぐ術はない。 ――それなのに。 目の前の青年は、かつてのあの男やあいつと同じ笑顔を向ける。 時が、これほど流れた後でも――。 影月は予測していたであろうか。 自分の器を陽月が使い続けていると。 仙の名でもなく別の名でもなく、陽月と名乗り続けていることを――。 生命(いのち)は巡る。 血よりも濃い何かが、それでも伝わるものならば。 ――ねえ、陽月。例え僕が消えてしまっても。 僕の子供たちのそのまた子供たちも、きっと君が好きになるよ。 君の望む形ではないかもしれないけれど。 君はもう、独りじゃないよ――。 |
『微笑みの系譜』(ほほえみのけいふ) 彩雲国物語の時代から200年くらいか、 そんな未来の話です。 だから、車もハンドルもブレーキもアルコールも あえてそのまま書きました。 双月が書きたかったんです。 でも、普通に書こうと思うと意外に制約があって。 何しろまず普通に会話が難しい。 一方的に告げるか、第三者を介するかになってしまって。 ですから、影月の子孫を出しました。 彼なら、個別の存在として陽月の傍にいてやれるから。 ……BLじゃないですから(苦笑) 周りからは疑われるかもしれないけど(爆) 最初に『早花月譚』を書く前から、 影月自身の子孫を残せないだろうと確信してまして。 で、自分が拾われて幸せだった影月と香鈴ですから、 自然と子供を拾って育てます。 その子供も、自分がそうだったからとまた、子供を拾って。 そうして、杜家はずっと続いていくのです。 涼月の先もまた――。 これなら、陽月も少しは淋しくないかもしれませんよね? 裏設定としまして、 そうして引き取られた子供たちは、自然と医者か官吏の道を選びます。 時代が下ると女の子であっても。 |