花待宵月〜海棠の章〜
(はなをまつよいのつき〜かいどうのしょう〜)




 あれは、一目ぼれだったのかもしれない。
 貴陽の秀麗の家で、茶州へ同行するのだと、紹介された一人の少女。

(うわあっ、なんか、滅茶苦茶きれいでかわいいっ)
 年上であろうことはわかっていたが、それでも影月は素直にそう思った。
 幼い頃、華眞が繰り返し話して聞かせてくれた物語。
 登場するのはお姫様。きれいなきれいなお姫様。
 一生懸命想像してみたけれど、幼い影月には想像すらおぼろげで。
 なのに、彼女を見た瞬間に判った。ああ、きっとこんな姿だったのだと。
(僕は、ずっと会ってみたかった――)
 嬉しくて、ただ眩しくて。
 なのに、思いつめた彼女の硬い表情は崩れない。
 憂いを帯びたその乙女の、姿はまるで“海棠の雨に濡れたる風情”。
 うちしおれたその様も、ひどく心騒がせられて。
 けれど。
(笑ったら、もっと花が咲いたみたいにきれいだろうな)
 視線は少女から離せない。目を離した隙に彼女が微笑むもしれない。見逃したくなんて、絶対に、ない。
(いつか、僕が笑わせられたらいいのに。僕に、笑ってくれるといいのに――)




 名実共に恋人同士となった夜が明けて。
 腕の中で眠る香鈴の身体が熱いことに気が付いた。
(これって、やっぱり僕のせいかなー)
 などとも思う。
 気付いた途端に影月は臥台からなるべく静かに起き上がった。
 未だ寝静まった州牧邸。香鈴の室からあたりを伺いながら退出し、自室と厨房からあれやこれやとかき集め、またそっと香鈴の室に戻った。


 臥台の上で、彼女は赤い顔でうなされていた。きっと苦しくて恐い夢に捕らわれているのだろう。
 それが痛々しくて肩をゆさぶって起こす。丁度、薬を飲ませたいところでもあった。
「香鈴さん? 大丈夫ですか? ずいぶん、うなされてましたよ」
 ぼんやりと覚醒した香鈴は重たげな瞼を押し上げて影月の姿を認めた。
「影月さま…」
「お熱、だいぶ上がってきましたね。喉、渇いてませんか?」
 無言でうなずいた香鈴のために、用意していた吸い飲みを取り上げるが、とても一人で起き上がれそうになかったので香鈴を手伝って起き上がらせてから吸い飲みを渡す。
 夜着を通して伝わる体温がかなり高い。よほど喉がかわいていたのだろう。たちまち空になった吸い飲みを眺める香鈴の表情がどこか幼くて、思わず顔がゆるんだ。
「少し、待っててくださいね」
 手早く再び満たした吸い飲みを渡す。炉にかけた湯が沸騰しかけていたので水でうすめたが、先ほどよりは熱めになった。薬はさきほど入れたので、今度は甘味を垂らしておいた。
 待ちわびたかのように吸い飲みを干して、満足気な顔を確認すると、また横たわらせた。
「さあ、もう少し眠りましょう」
「影月様、ここにいてくださいます……?」
 かすかに揺れる長い睫毛の下で、瞳が不安を訴えてくる。
「今日は僕はお休みですから、香鈴さんさえよければ、ずっと傍についていますよ」
「どこにも行かないで……」
 言葉だけでは足りないと思ったのか、繊手に袖を引かれる。うるんだ瞳で見上げる恋人の、頼りなげな風情がたまらなく影月の保護欲を刺激した。
「大丈夫。ここにいます」
 笑いかけると安心したように香鈴は目を閉じた。たちまち寝息がこぼれる。
「ずっと、いますから。早くよくなってくださいね――」
 起こさぬように注意しながら、そっと頬に口づけして。心から影月はそうつぶやいた。




「あのね、影月君。香鈴と仲良くして欲しいのよ。私、彼女とは色々あって。まだ結論が出てないからうまくできないっていうか。訳は、まだちょっと言えないんだけど――。ほら、一行の中では影月君が一番年も近いし。すごく、いい娘なの。お願いしてもいい?」
 香鈴を紹介された翌日。宮城で二人になった時、秀麗は影月にそう頼みこんだ。
「もちろんいいですよ。昨日、少しお話しましたけど、きっと仲良くなれると思いますー」
 きれいな、きれいな少女。下心があるとかそういうのでもなくて。
 でもいつか笑った顔が見たいと思った。
 だから、二つ返事で引き受けた。


 邵可邸でも、旅が始まってからも、影月は何かと香鈴に話しかけた。
 静蘭の注意は第一に秀麗に向けられていたし、燕青は一行全体を注意していた。秀麗は香鈴を気にしながらも、やはり何かが引っかかっている様子で。
 結局のところ、香鈴を気にかけるのは、自然に影月の役割になっていた。

 これまで、影月には女の子の知り合いが極端に少なかった。
 今はもう眠りについた故郷の村は老人ばかりであったし、華眞について出向いた近隣の村や町でも、出会うのは病人とその家族がほとんどで。
 秀麗が始めての少女の友人だったが、四歳も年上である。おまけに秀麗には、少女という括り以上に、仲間であるとか、友人であるとかの意識が強かった。

 影月は、少しずつ香鈴が自分への警戒を解いていくのを見守った。
 表情は相変わらず硬いままだったが、時に、意地っ張りな口調で反論してきたりもして、でも他の誰にもそんな態度はとらない。
 静蘭と燕青は年上の大人で。秀麗との間には何かあって。
 だから。
(僕が一番気楽につきあえる相手だったんだろうな)
 とは思う。だが、自分にだけ少し砕けた態度を取ってくれるのはくすぐったいような嬉しさもあった。
 何がそんなに彼女を追い詰めているのか。
 彼女には、秀麗が喉を突いて死ねと言えば、実行してしまいそうなところがあった。
 この二人の間に何があったのかを影月が聞くのは、ずいぶんとあとになる。

 紫州からもう少しで茶州に入るというところまで来て、彼女が発熱していることに気付いたのは、誰より影月が彼女を注意して見ていたからだろう。
 大切に、大切に。
 外の風にもあてぬよう育てられたとしか思えない彼女に、茶州から貴陽への往復の旅はどれほどの負担であったろう。それも、心に傷を負った状態で。
 茶州に入った頃には、もう夏になろうとしていた。忘れられない夏だった――。




(そういえば、崔里関塞でも、こうやって香鈴さんの看病したっけ)
 香鈴の臥台のそばで、本を片手に影月は気付く。
 磨り減っていく寿命の絶えそうになる足音を感じながら、もっと直接的な死と対面しそうになった場所だった。
 殺人賊の首領という冥祥という男は二人を試したあと、さっさと金華に向かってくれた。あの男が同行していたとしたら、あれほど長く本物だと信じさせることは出来なかったかもしれない。
 茶草洵――親しくなった克洵とは似ても似つかぬ凶暴な長兄。
 単純だが沸点が低く、いつ自分や香鈴を激昂のまま死へと追いやるかもしれなかった男。
 だが、その彼ももういない。
 彼よりよほど弱い自分が、沢山の人に助けられて、未だ生きながらえているというのに。


(考えてみると、本当に僕って警戒されてなかったんだよなー)
 崔里関塞では、ずっと香鈴と一室に閉じ込められていたのだ。
 もちろん、香鈴の看病があったし、他の信用できない誰にも任せる気にはなれなかったが、しかし。
 香鈴――彼らは秀麗と思い込んでいたのだが、どのみち年頃の若い娘で。
 しかも、朔洵と婚姻をさせようとしていたはずだ。
 そんな娘を少年とはいえ男と同室にして監禁しておくなんて、別の危険性を考えなかったのだろうか。
(ヤケになった僕が秀麗さん――のふりをした香鈴さんに襲いかかるとか)
 たぶん、誰も思い当たらなかったのだろう。
 影月は苦笑して、臥台の上の香鈴に視線をやる。
(まあ、状況が状況でそれどころじゃなかったし、僕だって余裕があったって病人に襲いかかったりなんか――)

 香鈴の熱はまだ高いようで。汗で額に髪が貼り付いていた。
 気付いてそっと髪をはがして。絞った布で汗を拭いてやる。
(かなり、汗が出てきたみたいだ)
 発熱した際には、汗を沢山かかせて熱を下げる。だが、その汗が冷え切ってしまうと逆効果で。
 手巾で顔をぬぐうと、首筋も少し拭いてみた。
(汗は、拭いた方がいいよな。できれば着替えさせて――)
 そこで、はたと気が付く。
(誰が――?)
 手を宙に浮かせて、影月は固まった。
(ええと、一、香鈴さんに起きてもらって自分で―って、無理か。二、女の人を呼んでやってもらうか―)
 現在の州牧邸には、女性の家人もいる。頼めばもちろんやってくれるはずで。
 でも、香鈴は影月の大切なひとで。できれば他の誰の手も借りたくない。
(三、――僕?)
 恋人とはいえ、結ばれたとはいえ、やはりためらいが先立つ。逡巡した指先が、香鈴の夜着の衿に触れる。
(濡れてる――。これは、やっぱりすぐ拭いた方がいいよな)
 なんだかだんだん自分に言い訳しているような思考に、影月は気付かない。
 そっと襟元に手巾を差し入れて、少し開いて。
(やっぱりかなり汗かいてるし――)
 もう少し衿を開けて。
 そうすると目に入るのは、白い肌と、胸の谷間と、汗と、そして――。
(虫刺され、じゃないよな、どう考えても……)
 香鈴の肌の上、首筋から胸元へと所々咲く鬱血は、夕べ、影月が夢中でつけたもので――。
 それが記憶を呼び覚まして、どくん、と何かが目覚めそうになって。慌てて視線を逸らす。
 目をそらしたまま、それでも手巾で汗を拭いて。当然のごとく柔らかい感触に辿り着いて。
 そうすると、どうしても直接触れたくて。
 自分のものではないかのように手が伸びそうになるのを影月は必死で抑えた。
(やっぱり、意識がない時にってのは、どう考えても卑怯だし)
 理性の糸にしがみついて、影月は香鈴の夜着の襟元を正して、ぶつぶつと複雑な法案を唱えだした。まるで、それだけが頼みの綱であるかのように。
 そうして、せめてもと、掛布を交換して臥台から離れた。
 さらに、そのままでは危険な気がして、室を出て足早に厨房へと向かった。

「おや、おはようございます、影月様」
「おはようございますー」
 厨房で、主に料理をとりしきっているのは、やや恰幅のいい中年の女性である。
「今日は珍しく香鈴ちゃんはまだですよ。寝坊なんてめったにしない子なのにねー」
 不自然でないように注意しながら、影月はそれに答える。
「香鈴さん、いつももう起きてますしね。僕、今日がおやすみなんで、どこか出かけようって誘いにいったんですけど、なんか、具合悪いみたいなんですー」
「風邪ですか?」
「たぶん――。僕、看病しようと思うんですが、お粥か何かお願いしてもいいですか?」
「すぐに用意しますよ。影月様、その間に朝ご飯食べててくださいな。食堂に用意してありますからね」
「ありがとうございます。いただいてきますー」
 一度空腹に気付くとたまらなくなって、影月は朝食の席につく。
 だが、あまり長く香鈴の側を離れるのも心配で、大急ぎで片付けた。
「ごちそうさまでしたー。櫂瑜様や燕青さんは?」
「お二人とも、今日は早くにお出かけでね。そうそう、伝言を預かってますよ」
「伝言、ですか?」
「お二人から、今日はゆっくり休んで、香鈴ちゃんと過ごしなさいって。残念ですねえ、香鈴ちゃん具合悪くて」
「そうですね。看病しながら、僕もゆっくりさせてもらいます」
 粥を受け取るとさらに付け加える。
「他の人にも、室の近くでうるさくしないよう伝えてもらえますか?」
「風邪には静かにぐっすり眠ることが一番ですからねー。室の近くには近寄らないように言っておきます。何か手伝えることがあったら、呼んでくださいよ」
 一瞬、香鈴の着替えを頼もうかと思った影月だったが、すぐに、そうするわけにはいかないことに気付いた。香鈴の肌の上に自分が残した痕を見られるわけにはいかない――。
「あ、ありがとうございます。何かあったら呼びにきますけど、たぶん僕一人で大丈夫ですからー」
「影月様なら、そこらのお医者よりよっぽど頼りになりますから安心ですよ」
 そこまで言われて、かすかに後ろめたさを感じながら、影月は香鈴の室に戻った。


 室に戻ると、香鈴はぐっすり眠っていたので起こさずにおくことにした。
 影月は、持ち込んだ書物の中から一番難解なものを選んで、そちらに集中した。


 どれくらいたったであろう。気が付けば昼も過ぎていた。
 小さな声が影月の注意を引いた。
「約束を――まだ果たしていませんでしたわ……」
 夢を引きずったままの彼女は、“海棠の睡り未だ足りず”といった風情で、病にやつれているはずなのに、たまらずなまめかしくて、影月の鼓動は早まった。
「なんの約束ですー?」
 視線を影月に向けて香鈴はつぶやく。
「熱がさがったら、茗茜子の詩を暗誦するとお約束しましたのに――」
(茗茜子――?)
 少し考えて。その名前がいつ二人の間で交わされたのか記憶を辿る。と、鮮やかに記憶が蘇って、影月は手を打った。
「あー、そういえば、お願いしましたっけ。崔里関塞で」
 そっと額に手を当てると、まだかなり熱いが、朝方よりは少し下がったようだった。
「さっきよりは熱が下がりましたね。お粥をもらってきましたけど食べられそうですか?」
「少しなら……」
 あわてて炉に少しだけかけて、手を貸して香鈴を起こす。
「じゃあ、早くよくなって、今度こそ香鈴さんの暗誦を聞かせてくださいね」
 少し温めた粥の盆を手渡し、香鈴が素直に粥を口にしているのを見守った。
「影月様?」
「はいー?」
「そう言えば、いつか聞きたいと思っていたことがございますの」
 まだ夢を見て思い出したことでもあったのだろうか。首をかしげながら先をうながす。
「なんですか?」
 粥の器を香鈴は無言で遠ざけた。もともと食は細いほうだから、黙って受け取る。
「始めて貴陽の秀麗さまのお宅でお会いした時のこと、覚えていらっしゃいます?」
「それは、覚えてますけどー?」
「あのお夕食の時、影月様、わたくしの方をずっと気にしていらっしゃいましたよね?あれは、どういうことだったんですの?」
 いきなり二年近く前のことを持ち出されるとは思っていなかった。というより、出会ったばかりのそんな自分の態度を覚えていられたことも驚きだ。
「どうって……」
「得体の知れない女がいきなり加わって、危惧でもされてましたの?」
 得体が知れないどころか、自分はただうっとりと――。
「それは……そういうんじゃなっくって、ですねえ……」
「あの時、わたくしは確かにかなり思いつめておりました。やはり不穏な印象でしたでしょうか?」
 ごまかしたいところであったが、影月の視線を捕らえた香鈴は真剣そのもので。
(うーん、逃げ道はないか……)
 観念して重い口を開く。
「……たんです」
「はい?」
「香鈴さんは、そのー、僕が思い描いていた物語のお姫様そのものでー」
 少し赤面しながら影月は香鈴を見つめた。 
「あんまりきれいで、ずっと見とれてたんです……」
 途端に、香鈴の頬が朱に染まるのをながめながら、慌てて言葉を継ぐ。
「あ、でもですねー」
「……なんですの?」
 顔を赤くしたところもかわいいのに、何も隠さなくても――と思いながら、影月は告げる。華家の家訓もあることだし。
「あの時の香鈴さんもきれいでしたけど、今の方がずっときれいですからー」
 そっと反応をうかがっていると、いきなり枕が飛んできた。
「生意気ですわ!」
 あまりの香鈴らしい台詞に枕越しだというのに、笑いがこみ上げた。


「それだけ元気があればすぐ直りますね」
 枕を香鈴の手に戻すと、またぶつけられそうな勢いだった。痛くはないのだけれど、そんな目にばかり合うのもどうかと思い、手で押し留める。
 華奢な香鈴の力など、影月にはどうということもないのだが、この時の香鈴はかなり意地になっていたようで、なかなか力を抜いてくれない。仕方がないので枕を取り上げる。
「返してください!」
 見ると、上気した顔で息を切らしている。そうして、上目遣いににらんでくる。
 なんだかその表情が、妙に幼くも感じられて、たまらなく愛おしくて、影月は微笑む。
「今日の香鈴さんは、僕よりずっと子供みたいですよねー」
「そ、そんなはず、ありませんわっ」
「だって、どう見たって……」
 わざと怒らせるようなことを言って反応を楽しんでしまう。まさか、自分にそんな面があったとは……と、新鮮な驚きさえあった。
 枕を取り上げられた香鈴は素手で影月の胸を打つ。さすがに力は入っていないので少しも痛くないのだが、病人を暴れさせるわけにもいかない。影月は両手を取り押さえると、そのまま香鈴の身体ごと引き上げて、臥台に倒した。
「香鈴さん、病人の自覚、あります? あんまり暴れると、おしおきしちゃいますよ?」
 いたずらな気持ちがむくむくわいてきて、気が付くと両手をつかんだまま至近距離で告げていた。
「子供扱いしないでくださいっ」
 思った通りの反応に、影月はつと顔を寄せる。
「じゃあ、大人なんですね?」
「……そうですわっ」
「んー。たしかに、子供じゃないですよね」
 暴れたせいで少しはだけた夜着の内側にそっと口づける。
 たちまち、ぴくりと反応があり、うろたえた声が聞こえる。
「な、何するんですのっ」
「香鈴さん、おとなしく寝ててくれませんしー、やっぱり少しおしおきが必要かなーって」
「そ、そんなおしおき、ありませんわっ」
 わざと笑って、唇でもっと深いところをつついた。
 実際のところ、ふざけておとなしく眠らせるように仕組むつもりだった。
 だが。
 たちまち上気した白い肌とうっかり広げすぎた胸元が目に飛び込んできて。
(あ――ちょっと、まずい、かも――)
 何というか、あっさり理性の切れる音が聞こえた。
 どうやら、一度切れると切れやすくなるらしい、とどこか他人事のように思った。


 気が付くと、自分の唇が香鈴の胸に触れており、かすかに塩辛い白い胸を舌で味わっていた。狼狽した香鈴の抗議も途中で掻き消え、軽い喘ぎとなって耳に届く。
「や……んっ!」
 唇を離して、そっと香鈴の様子を伺うと、熱とあいまって紅潮した顔の中、うるんだ瞳が抗議している。
「や、ですかー? じゃあ、おしおきになってますよねー?」
「影月さまっ!」
「あー、足りませんか?」
「そんなこと、申しておりません!」
 香鈴の目に涙が浮かび上がる。
(ちょっと、いじめすぎちゃったかなー)
 だが香鈴は知らないのだ。そんな表情すら、影月を駆り立てることを。
「じゃあ、おしおきじゃなくて。治療にしますね」
 訝しげに香鈴の視線が問うてくる。
「もちろん、お薬で熱を下げることもできます。でも一番確実なのは沢山汗をかいて熱を下げることなんですよ」
(なんか、もっともらしいこと言ってるなー)
 とか思ったけれど、本音がどのへんにあるのか、というと限りなく下半身にあるような気がした。
「実を言うと香鈴さんがずっと誘ってくるんで、僕の理性も限界みたいで。汗をかいて香鈴さんのお熱も下がりますし、一石二鳥ということで――」
 “治療”の内容に思い当たったのか、香鈴は必死で首を振る。
「誘ってなんかいませんっ」
「そうですか? 気付かないでやってるんですか?」
 抗議を聞き流して、影月は香鈴の上に身を沈める。
「香鈴さん、あなたが僕に見せるどんな表情も」
 影月は香鈴の涙を舐めとると、言葉を続けた。
「僕を誘ってしまうんですよ――」


 絶句したままの香鈴の顔を両手で包んで、そっと口づける。
 いつもより熱い息に、片手を小卓に伸ばして吸い飲みを取り上げ、ぬるくなった液体を自分の口に含んだ。
 口移しで流しこむと、小さく嚥下する音が聞こえた。
 かすかにこぼれた液体は、唇からつつ…と流れ、その後を追うように、顎から首へと唇を這わしていく。
(ええと、たしか、このへん……)
 首筋に進むと、香鈴の身体がびくんと反応を返した。反対側を同時に指で辿る。
「やっ……! そこはやめて……っ」
「じゃあ、他のとこならいいんですねー?」
「どうしてそうなるんですのっ」
 軽く笑って、夜着の下に潜り込ませた両手でやわらかなふくらみを包んだ。
 たちまち香鈴の息があがり、甘い喘ぎがこぼれる。
「あ……ぁん……」
 今度こそ思う様時間をかけて、まろやかな双丘を手と舌で心ゆくまで味わった。
(さっき、あのまま触らなくてよかった……。香鈴さんのこんな声、意識のある時じゃないと聞けないしー)
 香鈴が弱い乳首は特に丹念に責めたてた。
「香鈴さん、すっごい色っぽいです。もっと声、聞かせてください」
「なっ……! やっ! あ……っ! あっ―――!」
 押し殺そうとして殺しきれない声に、影月はいっそうそそられるものを感じた。


 唇と舌と歯で乳房を責めながら、両手でゆっくりと肌理の細かいすべらかな肌の上をあますところなく探っていく。
 所々で香鈴の身体が震える。
(感度良好……ってやつかなあ。助かるなあ)
 まだまだぎこちないという自覚はある。
 何と言っても、経験不足は一朝一夕に補えるものではない。実際、夕べがはじめてだったのだから。
(香鈴さんが経験済みじゃなくて、本当に良かった)
 お互い不慣れなら、比べる対象が他にないのだから。
 やがて、ささやかな茂みの下に辿り着いた指先が、濡れた秘所に潜り込む。
「ん……っ!」
 こらえきれずに洩らされた喘ぎ声が、わずかにかすれていた。
(んー、これだけ濡れてたら大丈夫……だよな、たぶん。でも――)
 そのまま突き進みたい衝動を抑えて、少し考えて華奢な身体を裏返す。
 夜着を引き剥がして、白い背中を露にすると、首の後ろから背中にかけて唇をはわせた。
 同時に、つつ…と指先でなぞると、かすかな反応が返る。
 そのまま下へ下へと腰まで辿ると、抱え上げて膝をつかせた。
 影月の身体の下で、香鈴の膝は簡単に崩れた。ほとんど力が入らないようだ。
 割れ目を後ろから指で辿り、一番敏感な小さなふくらみを攻めると、たちどころに朱唇から声が漏れる。
「あんっ……」
 溢れた蜜が、つ……と、太腿を伝った。
(うまくいくかな……)
 逸る気持ちを押さえつけ、膨れ上がったものをゆっくりと、香鈴の中に沈めていく。
 夕べほどの困難はなく、収まるべき場所にぴったりと収まったような気がした。


 頭のどこかに、かすかに労わらなければという気持ちが残っていて、初めはそっと揺さぶるように腰を動かしていた。
 だが、暖かく柔らかい襞に締め付けられて与えられる刺激に、やがて我を忘れた。
 激しく打ち続けながら、華奢な腰に添えていた両手を回し、きつく胸を揉みしだいて。
 何もかもがたまらなくて、目の前の肩に歯をたてる。
 時間の感覚もとうになく、ただ夢中だった。
 自分の荒い息が聞こえて、まるで野生の獣が乗り移ったかのような錯覚さえあった。
 こらえて、こらえて、でもどうしようもないところまできて。
 ようやく中に吐き出した時のあまりの悦楽に、影月の頭は真っ白になった――。


 香鈴の身体を強く抱きしめて、荒い息が収まるのを待った。
 やがて小さなすすり泣きが聞こえて、影月は香鈴の顔を覗き込んだ。
「香鈴さん……?」
「ひどい……っ、あんまりですわ、影月様……」
 かぼそい声と次々こぼれる涙
 うっと影月は怯む。まったく言葉もない。
「あの、ですねー」
「もう、あなたなんか知りませんっ」
「すみません……。許してください」
「許しませんわっ」
 影月は少し途方にくれたが、さすがにこのままではまずいと思った。もしここで許してもらえなければ、香鈴を失うなんてこともあるかもしれなくて――。
「許してください――。反省してます……」
 抗う香鈴を自分の方に向かせて。逸らそうとする視線を受け止めて。
「許されると思ってらっしゃいますのっ」
「えーと、でも、許して欲しいです……。僕は香鈴さんがものすごーく好きなんで」
 きっ、と香鈴は影月を睨み付けた。
「あ、あなたなんて嫌いですわ!」
「僕は好きです」
 言葉と同時に右の頬に口づける。
「きらいっ!」
 今度は左頬に口づけて。
「好きです」
「きらっ……!」
「好きです」
 全部を言わせず、唇をふさぐ。ついばむように熱で皹割れた香鈴の唇に何度も触れた――。


 口づけから解放されると、ちいさくため息を落とした香鈴の白い手が伸びて、影月の首に回された。
「ずるい方……」
「すみませんー。でも、香鈴さんが好きだから……なんです」
 目の前に現れた耳朶をそっと噛んで告げる。
「本当に、なんて、ずるい……」
 香鈴は、影月の肩に頭を乗せて、くぐもった小さな声で続けた。
「もっともっと、反省してくださらないと許しません……」
「たくさんたくさん反省してます」
 そのまま影月は香鈴を抱きしめて、そっと耳元で囁く。
「あなたが好きです……」
 もはや、香鈴から抗議は返らなかった――。


 そのまましばらく抱き合っていたが、ふいに気付いて、影月は額と額をこつんと合わせて、熱を測る。
「あ、すっかりお熱、さがりましたよねー」
「ばかっ!」
 たちまち香鈴は眦を吊り上げる。
 笑いながら影月は香鈴の髪の中に顔をうずめた。
 誰よりも愛しい少女の香りを思う様吸い込みながら――。


 甘味を垂らした薬湯入りの吸い飲みを手渡すと、香鈴は夢中で飲み干した。
「このまま眠ってくださいね。ずっと側にいますから」
「もう、何もなさいませんわね?」
 吸い飲みを返しながら上目遣いで香鈴が口を開いた。
「ええと、たぶん……」
 歯切れの悪い影月を香鈴は睨み付ける。
 視線を逸らしながら影月は、ごく正直に答えた。
「香鈴さんが本当に元気になるまで、我慢、しますー」
「あ、あなたなんて、もう知りませんっ!」
 苦笑した影月は香鈴の顔に手をやると、目をふさぐ。
「眠って。次に起きたら、もっと楽になってますから。僕はここでずうっと手を握っていますから――」




 香鈴の風邪は、きっとすぐよくなるだろう。
 そうしたら、約束の暗誦を聞かせてもらって。
 春になったら、二人でたくさん出かけよう。
 数え切れないくらい、幸せな時を過ごそう。


 本当の春は、もうそこまで来ていた――。
 

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「花待宵月〜海棠の章〜」(はなをまつよいのつき・かいどうのしょう)


この話は、『早花月譚』の翌日の話で、
「立葵の章」をうけた、影月視点のその後の顛末です。




……すみません、すみません。
書かない方が良かったかもしれない…(滝汗)
って、今更ですが。

影月だったら、病人にここまでしないだろうと思う一方、
いや、押さえのきかない年頃(笑)だし――、とかも思ったり。

そもそも、看病からえっちへ雪崩れ込むことを最初から想定してた時点で間違ってるんですが(汗)

書いてるうちに、うちの影月がですね、どんどんSっ気出てきて。
ちらっと、早々に言葉責めもやり始めたようです(苦笑)

で、すっかり影月同様、「やりすぎた…」と焦って、
その分、ラストで怒涛の(?)「好き好き」コール(爆)
これ、ここまでやられたら、たいていの女の子は負けると思います……。


タイトルは、
「香鈴がよくなるよう待つ影月」くらいの感じでつけたのですが、
「立葵の章」ならともかく、こちらは、別の意味で待ってるんじゃないかと(泣)
あと。時間軸を改めて考えると、宵どころか昼過ぎ…(汗)
すみません、自分でつっこんでおきます。


ちなみに。運動すると汗をかくんで、熱は本当に下がるらしい、です……。



章タイトルに使用した海棠(かいどう)。別名、花海棠。
(このページと入り口の壁紙が海棠です)
バラ科リンゴ属の落葉低木で、春に咲く、桜に似た花です。
ただ、桜よりも色味が強く、赤に近い桃色。
花の枝が長くて、下に垂れ下がるように咲きます。
そのため、垂糸海棠(すいしかいどう)とも呼ばれます。
やはり、中国原産です。

「唐書(楊貴妃伝)」で、玄宗皇帝が楊貴妃をたとえて、
“海棠の睡り未だ足らず”と言ったそうです。
(意味は、眠りが足りず夢から覚めきっていない美女のなまめかしい風情)
とにかく、美人の代名詞。
花言葉も、艶麗・美人の眠り・妖艶…となかなか色っぽいです。
本文中に使った
“海棠の雨に濡れたる風情”(帯たる、の場合もあり)というのもよく使われますが、
花枝の長い海棠の花が下向きに咲くのを
憂いを帯びてうつむく美人の様子に例えてあります。