片翼のゆくえ
(かたよくのゆくえ)

『光降る碧の大地』223ページから239ページまでの間の話。



 その鳥は雌雄で二つの翼を持つという。
 だから、片翼を失ってしまってはもう飛ぶこともできない。あとはただ衰弱していくばかり。
 あまりにも失い難いから、失くした翼の行方を尋ねずにはいられない。
 それが、どれほど愚かであろうとも。尋ねゆくその声がどれほど人の心を掻き乱すかも気付かぬままに――。



 絶望に打ち砕かれた心が、ただ痛くて。翼を毟られたように、目に見えない血は流れ続けて止まることがない。

 香鈴の手を振り払い、たった一言で香鈴の心を壊したあの人物はどこに消えたのか。すべては彼が知っている。今回とて術を持っている可能性があるのは彼だけだ。
(聞かなくては――)
 直視してしまえば立ち上がることもできなくなる。認めてしまえば、後はもう壊れるしかない。
 壊れた心のかけらをそれでも掻き集めて、香鈴は誰もが呆然としている間に姿を消した陽月を追って駆け出した。
 どこにそれほどの力があったのかは自分でもわからない。だが、ここで陽月を捕まえなければ、おそらくあちらから現れることはないだろう。陽月にとって自分は意味のない人間だから。
 彼に出会ったのはわずか四度。その度に香鈴を傷つけた。その意図がどうであろうと。

 邪仙教に囚われていた人物から聞き出した情報と照らし合わせることさえ思いもつかないで、香鈴はただ闇雲に飛び込んだ場所で足をすくませた。
 両手に直接杭が打たれていた。両脚の腱さえ切られ、血まみれで彼が捕らえられていた、その場所。
 あまりにも痛々しくて、ようやく再会できた喜びさえかき消すような光景のあった場所。
 あの時には影月の姿しか目に入らなかったから、床に描かれた消えかけた紋様に初めて気付く。それがどんな意味を持つのか香鈴にはわからなかった。それでも何か忌まわしく感じられて、そっと避けて通った。
「影、月、さま――」
 ようやく香鈴は言葉を紡ぎだす。たまらず膝から崩れる。
 あの姿であっても、彼はまだ影月でいてくれた。その状態でも彼は彼以外の何者でもなかった。
 それなのに、信じろと言うのか。もはやこの世のどこにも彼がいないということを?
 助けたかったのに。少しでも長く彼のままでいて欲しかったのに。そして、彼の傍にいられればよかったのに。
 地面に爪を立てて、香鈴は慟哭した。一度流れ始めた涙は留まることも知らない。
「影月様、影月様、影月さま――!」
 香鈴の声は坑道に反響し、自分の声と思えぬほど変貌して耳に届いた。

 手が、それに触れたのは偶然だった。
「これ、は……!」
 慌てて近くを探すともう一つも見つかった。
 香鈴は手の中に収めた二本の杭を見つめる。元は白木だったのだろうが、黒く変色している。それは、影月の血を吸った証。
 おそおそる、黒くなった先端に指を這わす。
 いっそ、この杭で喉を突いてしまおうか。
 そうすれば、きっと彼の傍に行ける。その考えは、甘く香鈴を誘惑した。
 けれど、彼が欲しくて欲しくてたまらなかった命を、彼を追うためだけに捨てた香鈴を、死した後とは言え影月は決して許すまい。そんな香鈴を受け入れてくれることなどありえない。だから、それだけは香鈴がしてはいけないこと。これほどまでに心が血を流していても。
「わたくしの……命を、魂を、差し上げてもよろしいのに……」
 彼が戻ってきてくれるならば、惜しむものなど何もない。彼ならばきっと、自分の命を上手に使ってくれるだろうに。
 だが、香鈴にはその手段がない。さらに、その手段を持つはずの陽月を未だ見つけられずにいる。
 鴛洵を失って、香鈴の世界は一度崩壊した。その世界を修復してくれたのは影月。今また影月を失って、今度こそ自分は壊れるだろう。完膚なきまでに。肉体の死を迎えずとも、心は死ぬだろう。それでも生きろと彼は言うのだろうか。
「どこで――、どこで希望を見つけられると言うんですの? あなたを失って、この目にはもう、どんな光さえ届きませんのに!」
 魂の底から叫びながら香鈴は虚空に問う。答えるのは歪んで反響する自分の声ばかり。絶望に打ちひしがれて、香鈴はそのまま意識を失った。



「――馬鹿女。おまえの声は本当に耳障りだ」
 いつの間にか現れた陽月が、つま先で香鈴をつつく。だが、心も身体も疲弊しきった香鈴は気付かない。
 香鈴の握り締めた杭に気付き、陽月はため息をつきながら香鈴を抱き起こす。
「――なんだ、その顔は。おまえの取り得はその多少見られる顔くらいだろう」
 僅かな光の中で浮かび上がる香鈴の顔は、疲れきり涙のあとばかりが目立つ。
 陽月は首を振って、香鈴を抱き上げてその場所を後にする。消えかけた縹家の仕掛けをにじり消しながら。

「――馬鹿女。なんだって影月はお前なんかが良かったんだ? お前もお前だろう。男運の悪さは彩雲国一なんじゃないか?」
 歩きながら陽月はつぶやく。意識を失ってはいるものの夢を見ているのか、また一筋、腕の中の香鈴の閉じた瞳から涙が零れ落ちた。
 陽月は爬虫類を思わせる動きで反射的にその涙を舐め取った。
「――不味い」
 だが、香鈴がまた涙を流すと、陽月は同じように舐め取った。まるで、乾きを癒すものが他にはないかのように。それほど、陽月の渇きは激しかった。止まらない血を流し続けているのは香鈴だけではなかった。彼もまた――。

 陽月はそのまま坑道を進む。どの道がどこに通じているのか、見えているように迷うことなく。
 やがて、ふいに外に出た。場所は榮山の中腹か。沈みかけた太陽が世界を朱に染めて広がっていた。
 陽月は香鈴を抱えたまま手近の岩に座り込んだ。そして視線を遠く昊に向けながら言葉を発した。
「俺は最初からあいつが消えることを知っていた。あいつの魂があまりにも生に執着するのが面白くて手を貸しただけだ。長くないことは判っていたんだ。それなのに何故、今更これほどまでに失うことが耐え難い?」
 陽月の手が香鈴の髪に触れ、おそらくは無意識に指に絡ませる。
「お前が欲しがったのはあいつ。今、俺が失い難いのも――。
 何が違う? 俺の方ができることは何倍もある。生きてきた年数だって桁違いだ。それなのに、何故あんな消え損ないに俺は負けているような気がするんだ?」
 陽月の視線が香鈴の顔に落ちる。まるで口づけするように顔を寄せた。
「このまま、影月が望んだようにお前をさらってしまおうか? 影月の顔で影月でないことを思い知らせてやろうか? 俺を憎んで、憎んで。お前は他の感情を忘れてしまうだろうか?
 それとも。ここでお前を縊り殺してやろうか?お前の魂はきっと嬉々として影月の後を追うだろうな。だが、俺は二つの虚ろな亡骸を抱え込むだけ。
 どちらもごめんだ。それでは俺は失うばかり――」



 ひとつ頭を振って、陽月は腕の中の香鈴にそっと囁いた。まるで別人のように。まるで恋人のように。この上もなく優しく。
「香鈴さん、起きてください」
 それまで一切の反応を見せなかった香鈴の瞼がゆるゆると開く。黒目勝ちの瞳が眼前の人物を見据えるとかすれた声を漏らした。
「陽月様、それは何のお遊びですの――」
 陽だまりのような微笑さえ浮かべていた表情がたちまち一変する。同時に、抱えていた香鈴の身体を乱暴に地面に降ろした。
「お前は、俺とあいつを間違えないな。どんな時も」
 身体の痛みよりも心の痛みが勝る香鈴は、その扱いにではなく、陽月の発言にこそ腹を立てた。
「違うと判りきっているものをどうして間違えられましょう!」
「そうだ。俺とあいつは違う」
 口角を上げて笑みに似た表情を作りながらも、陽月の声には自嘲の響きがあった。
 香鈴がこれまで陽月に会ったのはいずれも短い時間だったが、いつだって陽月は迷いなど見せなかったように思う。気にならないと言えば嘘になる。だが、今の香鈴にはもっと切迫して知りたいことがある。
「あなたにお訊ねしたいことがございます。影月様を――」
 香鈴の質問など陽月には判りきっていたことだろう。陽月は香鈴にすべてを言わせずに遮り、逆に問いを投げかけた。
「もし俺を殺せば影月が帰って来られるとしたら、お前はどうする?」
 香鈴は目を見開いて、瞬きさえ忘れたように陽月を見つめた。長い睫毛を震わせてやがて瞼を閉じ、首を振った。
「あなたを――殺したいと思うでしょう」
 陽月は片眉を上げて香鈴を窺う。てっきり、自分を殺すと即答が返るものだとばかり思っていたからだ。
「思うだけか?」
 重ねて問うと、香鈴の視線に非難の色が混ざった。
「あなたを殺して、そうして戻られて、それで影月様が喜ばれるとでもお思いですのっ!? きっとわたくしを責めずに、影月様はご自身を責められるんですわ! 影月様に生涯消えぬ枷を負わせることにしかなりませんのに、そうと判っていてどうしてあなたを殺せましょう!」
 そうだ。きっと影月なら香鈴を責めないだろう。そうして影月の心に縹家の者が刺したよりはるかに鋭い杭を打ち込むことになるだろう。陽月は無意識のまま香鈴が未だ握り締めていた杭を奪い、遠くへ投げ捨てた。
「そうだ。きっとそうなる。――では。俺を殺さず影月が戻ってくる方法があるとしたら、おまえはどうする?」
「それを教えてくださいませ! そのために必要とあれば、わたくしの命、魂も身体もすべて差し出しますから!」
 それまで地面に直接座り込むような形になっていた身体を起こし、香鈴は激しい勢いのまま陽月に詰め寄った。
「生憎、お前の命などまったく使えない。ましてや、魂も身体もな」
 まるで虫けらを蔑むように陽月の釣りあがった双眸が香鈴を見下ろす。
 ――おそろしいと思った。目の前にいるのは人ではない。人を超える何か。自分が本来立ち向かえるような相手ではない。それでも、彼しか鍵を持たないのであれば。どれほど軽蔑されようと香鈴に引く気はなかった。だが、抑えきれない恐怖が香鈴の声を上ずらせた。
「……それでも。わたくしにできることが何かひとつでもあるなら! いえ、例えできないことだとしてもやってみせますわ!」
 祈るように両手を組み、香鈴は陽月を見上げる。
「そのために何を失っても?」
 はじめて香鈴の存在を知ったかのように、陽月の瞳に好奇の色が滲む。
「ええ。そのために何を失っても」
 ふたつの視線がぶつかりあい、ただ沈黙が流れた。沈み行く夕陽がふたりの顔を血のように赤く照らした。


 沈黙が長く感じられたのは、主観的なものだったのかもしれない。夕陽はまだ沈みきってさえいない。再び香鈴の身体を引き寄せながら陽月はようやく口を開いた。
「――おまえに、できることを教えてやろう」
 反射的に抗おうとした香鈴の動きが、その一言で止まる。そうして、どんな言葉も聞き逃さないように、どんな仕草や表情さえも見落とさないように、ただ一心に陽月が言葉を続けるのを待った。
「もし、だ。――影月が。戻ってくることが……あったら」
 陽月はその一言一言が苦痛ででもあるかのように何度もためらいながら言葉を継いだ。
「その時は――――離れるな」
「離れません!」
 香鈴は視線を逸らさずに受け止めて即答する。
「その時こそ、決してお側を離れたりいたしません!」
 あの短い時間をただ寄り添うことさえ許してくれなかった影月の姿が香鈴の中に刻まれている。もう、あんな思いはしたくはない。陽月に言われるまでもないこと。その時こそ、伝えられなかった言葉と共に決して――。
 陽月はそんな香鈴の心中などとうに見透かしていた。それこそ、予想していた言葉。
「そうだ。そして俺のことを」
 苦渋の表情で陽月は香鈴の耳に口を寄せた。
「――忘れるな」
 香鈴の薄い耳朶に歯を立てて、同時に首筋に手を当てる。最後の一言を香鈴が聞き取れたかどうかは陽月にすら判らなかった。香鈴はそのまま意識を失わされたからだ。
 香鈴の身体を地面に横たえ、陽月は踵を返す。もう香鈴を振り返りもせず山中に分け入って姿を消した。


「ちょっ! 嬢ちゃん!?」
 香鈴が燕青に発見されたのはそれから間もなくのことだった。太陽が最後の光を細く遠く広がらせて消える前。意識を取り戻した香鈴は慌ててまわりを見回す。
「陽月様はっ!?」
「俺はあれから見てない」
 山の斜面には陽月の姿を隠すようなものは何もない。ならば、彼はもっと遠くへと去ったのだ。
「たった今までいらっしゃったんです!まだ追いつけるはずですわ!」
「って、宛てはあんのかっ!?」
 燕青の言葉も耳に入らない様子で香鈴は駆け出そうとする。
「陽月様! まだ方法を伺っておりません!」
 急激に暗さを増した瓦礫の上を進もうとした香鈴はたちまち足を取られてよろめく。
「灯りも宛てもねーんじゃねーか!」
 燕青は香鈴に容易に追いついて受け止めると、その鼻をつまんだ。驚きに開かれた口に何かを放り込み、強引に飲み込ませた。
「葉のおっちゃん特製の即効性の眠り薬だ。陽月は俺らが探すから、無茶してこれ以上姫さんを悲しませるな」
「どうしても陽月様にお訊ねせねばならないんですの!」
 だが急激な眠気が香鈴を襲う。眠っている暇などないのに。一刻も早く陽月を探して。そうして聞いて、そのためなら――。
「悪い、嬢ちゃん」
 燕青の声が遠くなっていく。手足から力が抜けていくのを必死にこらえようとしてこらえきれず、香鈴の意識は闇に包まれた。



 陽月は夜へと向かう山中を飛ぶように駆ける。初めはただ歩いていたはずが、それでは治まらない気持ちにつられて速度が上がっていった。もはや人の為すところではなかった。
 千里山脈。その厳しい人を拒絶するような峻峰も、陽月にとっては何ほどでもない。そのままの勢いであれば茶州を超え黒州に達することさえ容易だろう。そう、例え西華村までであろうとも。

(俺は戻ろうとしているのか?)
 ようやく足を止めて陽月は振り返る。榮山はとうに見えない距離。
(戻ってどうなる? あそこには誰もいない。俺を面白がった村人も、子供扱いする坊主も、そして――)
 ふと、華眞の遺体はどうなったのかと考える。あの場にいた人間で華眞を知っている者はいない。お人よしが集まっていたからそのままということはないかもしれない。元より死体などに意味がないことを一番知っているのは自分だ。
 それでも陽月は放っておくことができなかった。しかるべき扱いをされているのか確かめずにはいられなかった。第一、縹家が同じ轍を踏む可能性は消えたわけではない。今度は陽月を罠にはめる為に。
 気が付けば普通の人間ではありえない、鹿ですらありえなような速度でたちまちに駆け戻っていた。

 人から姿を隠して坑道の入り口の様子を観察していると、折りよく意識を失っている香鈴と、そして華眞の遺体が運ばれていくのを見ることができた。おそらく行き先は石榮村だと思われた。
 陽月はそれだけを確認すると踵を返す。しゃにむに山を駆け上がり、丁度香鈴と別れた場所で足を止める。あたりに人の気配はない。昇り始めた三日月だけが照らす、死んだような世界。
 生きることに飽いていた。人など、軽蔑の対象でしかなかった。だが、陽月にとってこの十年という月日のなんと長く、なんと短かったことか。
 影月と華眞。これまで知っていたどんな相手とも違った。そして影月の目を通して見る世界は、陽月の知っていたものと違うものを写し続けた。人も、景色も違って見えた。世界は美しいのだと、人は愛しいのだと、繰り返し陽月に見せ付けてきた。どんなものも素晴らしく、どんな人も愛おしい。どれほど陽月が否定しようと、あのよく似たふたりは決して意見を曲げなかった。そうして陽月に感謝していると、愛していると言うのだ。
 もしかしたら、陽月自身もそれを信じたいと思い始めていたのかもしれない。だが、それもあの二人が存在してこそだ。失ってしまえば、知る前よりもさらに世界は荒涼として映った。
「くそったれ!」
 そのまま座り込み、膝を抱える。自分はどうしたいのか。その答えならとうに出ている。だが認めたくはない。それしかないと、方法すら判っているのに、踏み出すことさえできない。
『できないことでもやってみせますわ!』
 香鈴がもし自分の立場であったなら、きっと躊躇いさえしないだろう。男と女の違いはある。そして影月に向ける感情は同じものではない。それでも、己のすべてを犠牲にしてでも影月を取り戻したいと自分に食って掛かってきた香鈴の気持ちには嘘がなかった。
(馬鹿女。お前が死んでそのおかげで戻れたとしたら、それで奴が喜ぶと思うのか)
 そう、香鈴でも。陽月でも。誰かが死んでその代償として生き返るならば、影月が納得することはあるまい。だが、死ぬわけではなかったら? ただ深く深く眠るだけであったなら?
 心はほぼ決まっている。自分はただ足掻いているだけ。それでもそのたった一歩を踏み出せないのは何の躊躇であり、何の未練だろう。
 残酷な三日月がただ何も語らず陽月を照らす。陽月の抱え込んだものを曝け出し、嘲笑うかのように。

 消える間際の魂が最後に愛を囁き、久方ぶりに再会した同類に背中を押された。
「これは俺のただの気まぐれだ。お前のためなんかじゃない」
 陽月は掴みあげた影月のかけらに告げる。そうして死にも似た眠りへと落ちていった。それが、後悔をしないたったひとつの方法だから――。



 やさしい気配だった。知らないはずの人のもの。届いた声には感謝が込められていた。
(ああ、きっとこの方は――)
 会ったことはなかったけれど、会いたいと思ったことなら何度もあった。彼を育て、慈しんだひと。
(ずっとお話してみたいと思っていたんですの)
 だが、その気配はすぐに消えうせ、香鈴はまた眠ったまま涙を流した。
 すべてが香鈴の指をすり抜けていく。もはや奇跡でも起こらぬ限りこの魂まで刻まれた傷は癒えないと思われた。世界は干上がり、ひび割れ、絶望に染まっていた。
 だが奇跡は起こる。香鈴を揺り起こした手の主がたちまち世界を修復してのけた。希望も未来も光も。失ったと思われたものすべてを引き連れて。
 どうやって戻ってこられたのかと、訊ねるよりも先にしがみついた。もう二度と離さない、離れないと誓いながら。これが例え都合の良い一瞬の夢にすぎなくとも。香鈴がその誓いを破ることは決してなかった。

 幸せな夢は、まだ醒めないまま続いている。
 香鈴は陽月が何者なのか未だ知らない。それでも構わなかった。陽月の選んだ道は可能でさえあれば自分が選んだ道。だから――。

(忘れませんわ、わたくし。あなたのことを。もちろん、影月様も。あなたは影月様の翼の一部だから。これからずっと一緒に生きていくんですもの)



 比翼の鳥は飛ぶ。取り戻した片翼は以前よりもさらに力強くはばたく。共に、どこまでも飛ぶだろう。
 何度となく満ち欠けし、これから幾夜も巡りあう三日月も、きっと表情を変えて柔らかく鳥を照らすだろう。
 真実の眠りが訪れるその時まで――。

(終)

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『片翼のゆくえ』(かたよくのゆくえ)


影月は香鈴にとっての片翼、同時に陽月にとっても片翼というわけで考えた話です。
『光降る碧の大地』223ページから239ページまでの間の話。
意図的に影月は出てません。
捏造による香鈴と陽月の苦悩の一昼夜です。


ところでふと思いついたのですが。
陽月が香鈴の身体を奪って、香鈴の魂を使って影月を生き返らせるという方法も可能なんじゃないでしょうか?
つまり、影月の魂を使って華眞を生き返らせたのと同じ方法になると思うのですが。
もちろん香鈴の魂は陽月によってやはり早く衰弱はするでしょうけれど、香鈴の場合はすべての魂魄が失われているわけでもないので、二人分だとしても10年や20年くらい保てるんじゃないかと……。
この方法は取られなかったので実現可能かどうかもわかりませんが。

この話の困ったところは。
展開上と言え、香鈴、意識失いすぎです。
でも、影月と再会するまでにも疲弊していただろうし、再会してからもゆっくり休めるような状況でもなかったし。
それに、高貴な出の女性はよく気を失うと相場が決まっていますし?

最初に書き出した分では、燕青とシュウランという異色のコンビが影月と香鈴のことを長々と話していたりして自分でも新鮮でした。
香鈴と陽月のみに絞ったので全部消すはめになりましたが。
いつかコンビを組ませることもあるかもしれません。