満月以上 〜変わりゆく僕ら〜 (まんげついじょう〜かわりゆくぼくら〜) |
―1.影月― それが気になるかと問われれば。 「気になりますー」 と、影月は答えただろう。 夏が近い。 薄着の季節だ。 薄着と言っても官服の素材が変わるくらいで、外観はあまり変わらない。 影月はふと、自分の周りで忙しく立ち働く官吏たちを眺めて疑問を抱く。 (みんな、どうしてるんだろう――?) ゆったりとした官服は、その下がどうなっているのかなど窺うことはできない。 いや、普通であれば男の服の下などどうだっていいのだが、今の影月には悩みがあった。 それは、無駄毛を処理するか否か――。 まさか自分がこんなことに悩むなどとは思ってもいなかった影月である。そもそも、処理している男性がいるということすら驚きだったのだから。 もちろん、すべての男性が処理しているわけではないらしい。だが、聞いてまわるには抵抗がある。何しろ、あまりにも個人的すぎるではないか。 影月がそういった個人的なことでも相談できる人間は、身近に二人ほどいる。けれど、こればかりは相談するまでもなく答は予想がついた。 「女性はたいていあまり好まれませんからね。私は若い頃から処理してましたよ。見えない所にも気を使うことは大切です。処理することをお勧めしますね」 櫂瑜ならきっとこう言うだろう。洒落者の櫂瑜だ。彼が無駄毛処理をしてる派なのは間違いないと思われる。 「馬鹿野郎! 無駄毛こそ男らしさの象徴! 手入れなんかするな!」 髭を愛する燕青ならきっとこう言う。実際に言っていたのも聞いた。彼が処理しない派なのもこれまた明確。 あまりにも判りやすくも極端で身近な二人には相談できないとの結論に達して、影月は肩を落とす。 影月が知りたいのはごく一般的な男性の意見なのだ。そしてある意味もっと重要なのがそれに対する女性の意見だった。 秀麗は「ない方がいい」と言っていた。 それが若い女性一般の感覚だとすれば……。 影月は今は官服に包まれている自分の脚を思い出してみる。 自分でもあまりきれいな脚だとは思えない。 ほとんど筋肉もついていない、どちらかというと貧相な脚は、官吏になる以前の山中の生活で小さな傷がいくつも残っている。 傷はもう仕方がないが今問題なのは。 素足で風に吹かれればそよいでしまう長い脛毛であった。 他の場所はそれほど目立たないのだが、脛毛はわりと濃い気が影月はしていた。かすかに覚えている実父もまたそうであったから、きっと遺伝なのだろう。 育った山村では、誰もそんなことは気にも留めていなかった。敬愛する堂主様もまた放置されていた。だから、それが当たり前だと思っていた。 影月自身とて自分では気にならない。無駄毛は身体を保護する大切なものでもある。 だが。だが――。 そう。影月の恋人が例えば同じような山村の少女であったとしたら、こんなことは考えなかっただろう。 だが、香鈴は。彩七家の姫君同然に育てられた香鈴は。 (やっぱり、香鈴さんも嫌だろうか――?) そんなことをつらつら考えながら州牧邸に帰宅した影月は、門前に櫂瑜の家人である二人の武人を発見した。 暁明は武人にしては細身である。対して慶雲はがっしりとした体格だ。 「おかえりなさい、影月様」 影月に気付いた暁明が声をかけ、慶雲もまた笑って会釈してくれた。 二人、共に三十台前半の見事な男振りである。 ごく一般的な男性のうちに入るかどうかは疑問だったが、同じ州牧邸に起居する者同士、影月は彼らに親しみを覚えている。 そこで、軽い雑談の後、思い切って聞いてみた。二人は無駄毛をどうしているのか。自分はどうしたらいいだろうかと。 「は? 無駄毛、ですか?」 あまりにも飛躍しすぎただろうか。暁明はさすがに目を丸くし、その後で慈しむような視線で影月を見た。 「まあ、俺の場合はやったりやらなかったりですね。仕事が忙しい時はそれどころじゃないですし」 慶雲は軽く噴出した後、それでも表情を引き締めて答えてくれた。 「私がこれまで知っている女性はたいてい気にしませんでしたよ。ですから、あるがまま、何もしてません」 影月は礼を言って考えこんだ。この二人の発言は何か答えに近いものを与えてくれた気がする。 処理をするとしても、影月だとてそのようなことにいつも時間を取れるとは限らない。また、影月よりつきあいの広いであろう人物が、気にする女性が少ないと言うのだ。 (でも結局、香鈴さんがどう思うか、なんだよねー) 影月の悩みはまだ出口に辿り着いていなかった――。 ―2.香鈴― それが気になるかと問われれば。 「気になりますわ」 と、香鈴は答えるのだろうか。 夏が近い。 薄着の季節だ。 香鈴は影月の室で夏物の官服を整えながら、昨日のことを思い出していた。 門の傍で聞こえた声で影月の帰宅を知ったのだが、そこでは何やら妙な会話が交わされていた。 (あれは、もしやわたくしへの配慮なのかしら?) 図らずも武人二人がどうしているかまで知ってしまったが、影月がそんな質問をしたのは自分への気遣いなのだろうと思う。 それならば、まあ、嬉しくないわけでもない。 ただ、香鈴としては実はそれほど気にしたことがなかった。 たいてい衣服の下で目に付くものでもなし、見る場合と言えば――。 香鈴は思わず手にした官服を握り締めて一人赤面した。 それは、共に夜着姿であるとか、もしくは何も身に纏っていない場合でしかなく――。 そんな状況で気になるのは、相手の無駄毛などではなく、むしろ自分のことだ。 肌の手入れには気を使っているし、無駄毛は目立たないよう常に気を払っている。だが、どこかに残っているかもしれないし、そうだったら恥ずかしくてたまらない。 そもそも、それ以前に裸身を晒す方が余程恥ずかしく、むしろ体型への批判の方が怖ろしい。 影月の口から不満は聞かないが、内心自分を見てどう思っているのかの方が、影月の無駄毛などよりはるかに問題だと香鈴は思っていた。 その時までは。 ――満月の夜だった。 その夜、香鈴は急激な不安に襲われ、影月の室へと急いだ。 何故かと聞かれても女の勘としか言いようがない。 「影月様! 影月様!」 無事な姿が見られればよいと、それのみを思いつめて扉を叩く。 薄く開かれた扉からはしかし、影月の姿は見ることができなかった。 「すみません、今夜は――」 夏も近いというのに毛布を深くかぶった影月は、くぐもった声で答える。 「具合でもお悪いんですの!?」 もしや不安が的中したかと、香鈴は強引に室に入り込む。 「お熱はありますの? お薬は飲まれましたの?」 ところが、毛布をかぶった影月は香鈴を避けるかのように後ずさっていく。 「影月様?」 「……来ないでください」 その言葉は香鈴の胸に突き刺さった。影月が自分を拒否した。それは全世界が崩れ落ちるほどの衝撃で――。 「わ、わたくしのこと、お嫌いになられましたの?」 声が絡んでうまく出せなかった。知らず涙声になっている。 「違います! そうじゃありません!」 即座に影月から否定の言葉が飛び出し、香鈴は安堵のあまり座り込む。 「では、どうして姿を見せてはいただけませんの?」 毛布の固まりを仰ぎ見ながら香鈴は問う。 「それは……」 変わらずくぐもった声の主は、香鈴に近寄ろうとし、そして何かに気が付いたかのようにまた後ずさる。 「具合がよろしくないのであれば看病させていただきたいですし、そうでないのでしたらどうぞお顔を見せて安心させていただきたいんですの」 嫌われてはいないというのに、近寄ってきてはくれない。それが淋しくて香鈴はこらえていた涙をこぼす。 「ああ! 泣かないで!」 香鈴の傍らに膝をついて、影月の手がそろそろと香鈴の涙を拭おうと伸びてくる。 その動きのせいだろうか。被っていた毛布がすべり落ちた。 窓から差し込む月の明かりが、その姿を暴き出した。 香鈴の目に映ったのは、顔といい身体といい、ともかく全身が毛に覆われた異様な姿。その顔立ちは確かに影月のものであるのに。 「影月様、ですの?」 おそるおそる訊ねるとため息と共に答えが返る。 「香鈴さんだけには見られたくありませんでした。満月の光を浴びるとこんな姿になってしまうだなんて――!」 「えい、げつ、さま――?」 そのまま気が遠くなった香鈴を支えたのは、毛むくじゃらな手ではなかっただろうか――? 「い、嫌ですわっ!」 叫びながら香鈴が飛び起きたのは、馴染み深い自室の臥台の上だった。 「夢、だったんですの――?」 窓からの朝日を浴びながら、香鈴はあれが夢だという確証が欲しいと心底思った――。 ―3.影月と香鈴― それが気になるかと問われれば。 両者はただ黙ってうなずいたであろう――。 夏も近い夕暮れ時。 いつものように帰宅した影月をいつものように香鈴は出迎える。 だが、どことなく影月を見上げる香鈴の表情は微妙だった。 そう言えば、今朝見送ってもらった時もそうだったと影月は思い出す。 怒っているという表情ではない。それはどちらかというと困惑しているような――。 (僕、何かしたっけ?) 思わず考え込んでしまった影月だが、これと言って心当たりはない。確か、夕べは普通に接してくれていた。夜のうちに何かがあったとも思えない。 「そう言えば、今夜は満月なんですよねー」 少しでも香鈴の表情を和らげようとそんな雑談を振ってみたのだが、影月の一言に目に見えるほど香鈴が動揺するのが判った。 「わ、わたくし、お夕飯の準備をお手伝いして参ります!」 そして、逃げるように駆け去って行った。 後に残された影月は、当たり障りのないはずの満月の話題のどこが悪かったのだろうと、一人首をひねった。 州牧邸の夜は更ける。 後はもう寝るだけとなった影月は、月に誘われるように夜着姿のまま庭院に向かった。 庭院に面した回廊まで来て、影月はそこに香鈴を発見する。 手すりにもたれた香鈴は不安気な表情で月を仰いでいた。 「香鈴さん?」 声をかけられた香鈴は飛び上がるように驚いて振り返る。 「今晩は。いい月ですねえ?」 「そ、そうですわね……」 視線を合わせてこない香鈴はどう見ても挙動不審だった。 「香鈴さん、何かありました? もしかして何か悩みでもあるんですか?」 それが女性特有の理由であるなら影月にはどうしようもないが、香鈴が悩んでいるとしたら力になりたい。 「いえ、そういうわけではありませんの――」 何か言いにくいことでも聞いてしまっただろうか。 そう思った影月は、ここで思い切って言いにくいことを聞いてみようと思い立つ。 「僕の方はちょっとした悩みがあるんですー」 香鈴の肩がまたもや動揺で震える。 (もしかして、やっぱり何か僕絡みなのかなあ?) それなら何とかしなくてはと考えながら、ともかく話を続けてみる。 「誰に聞いても答はバラバラで。僕がいくら考えたって答も出ませんし、ここはもう香鈴さんに直接聞くしかないんですけど……」 さすがに自分でも歯切れが悪くなる。 「わたくしに、何を――?」 「すっごい変なこと聞きますよ? あのですねえ、僕の、その脚ですけどー。む、無駄毛は処理してる方が香鈴さんはいいですかっ!?」 最後は勢いで何とか言い切った。 香鈴は、妙な表情のまま、それでもようやく影月をまともに見据える。 「影月様は――どちらがよろしいんですの?」 そうして反対に問いかけてきた。 「僕は――うん、僕は別に処理とか手入れとかしなくってもいいかなあって。そんなこと男でもする人がいるなんて知ったのも最近ですし。ただ、女の人は毛深いのとか嫌いって聞いて、香鈴さんも嫌いかなあって……」 香鈴はしばらくためらう素振りを見せていたが、やがて口を開いた。 「――影月様。それは、月の満ち欠けで変わったりいたしますの?」 「はあっ!?」 あまりにも予想外の質問に影月は自分でも間抜けな声を出した。 「その……ふさふさと言いますか、もこもこと言いますか、そんな風になってしまわれたりしますの?」 どこからそんな考えが出てきたのだろうと影月こそ戸惑った。だが、香鈴の表情は困惑しながらも真剣のようだ。 (香鈴さんて、お父さんは小さい頃に亡くしてるし、育ててくれた鴛洵さんはそんな姿見せなかっただろうし、だから男の脚がどうなのかなんて実はよく知らないのかな――?) そう思うとかわいらしいような気もして、影月は微笑みながら答えた。 「いや、そこまでなったりしません。ええと、あんまりきれいじゃないもの見せますけど、これくらいなんですが――」 多少はふさふさかもしれないが、もこもことまでは言われまい。影月は夜着の裾をめくって、自分の脛をさらけ出す。 香鈴はじっとその脛を見つめている。 「これ以上にはなられないんですのね?」 「さすがにこれ以上にはならないと思いますけど」 思い余った表情で香鈴は再び妙なことを訊ねてきた。 「お月様は関係ありませんのね?」 「ええ? お月様、ですかー? それは全然というかまったく――」 「……変身されたりはなさいませんわよね……」 「はあっ!?」 影月もまた再び間抜けな声を上げる。 「その、全身が毛だらけになられたりとか……」 一体どこからそういう発想になったのだろう。妙な書物でも読んだのだろうか。 「そんな風になる予定はありませんよ? でも、香鈴さんが毛むくじゃらな方がお好きなら毛生え薬でも使って――」 「ちがいます!」 たちまち真っ赤な顔で香鈴は否定してきた。影月も全身毛むくじゃらはどうかと思うのでさすがに安堵する。 「違うんですか? ええと、男らしいからって、好きだという人もいるって――」 そう教えてくれたのは燕青だっただろうか。 「毛むくじゃらがいいだなんて申しておりません! そういう風になられないならいいんですの!」 毛がある方がいいのか、ない方がいいのか、影月は混乱してきた。 「すみません、ちょっと整理させてください。結局、香鈴さんはどっちがいいんですか?」 「今以上に変わったりはされないんですのよね?」 「ええ。何でそんな風に思っちゃったのかは判りませんけど、なりませんから」 香鈴は深くため息をつき、そして気まずそうな表情でそれでも微笑みらしきものを向けてくれた。 「それでしたら、どちらでもかまいませんわ。今くらいでいらっしゃるんでしたらそんな、ものすごく嫌というほどでもありませんし――」 「それは、つまり、今のまま、何もしなくていいってことですかー?」 「……違うように聞こえましたかしら」 香鈴が拗ねたような声を出したので、影月は安心させようと笑ってみせる。 「嬉しいですー。すごく馬鹿なこと聞いてるって、自分でも思ったんですけど、香鈴さんに少しでも嫌われたくなくって」 「べ、別にそんなことくらいでは嫌ったりなんて――! え、影月様こそ、わたくしのどこかにご不満とか、お持ちではありません?」 「不満、ですか?」 「その、例えば、わたくしの身体のこととかで……」 香鈴の声は途中からどんどん小さくなり、耳まで赤くなっている。 (香鈴さんの――? そんなのあるわけないじゃないか!) そのまま口にしようかと思ったが、香鈴が自分の脚を気にしないと言ってくれたことで軽くなった心にいたずらな気持ちが沸いてきた。 「ええと、香鈴さんのねえ?」 わざとじらすように言って顔を覗き込む。 「ありますよー? 魅力的過ぎて困ってますー」 「な、何をおっしゃいますのっ!?」 影月は香鈴を引き寄せる。恋人は容易く影月の腕の中に納まる。 「あんまり魅力的だから、満月なんか関係なしに変身しちゃいます」 赤くなった耳元に囁いてみせる。 「自分でも信じられないですからね。こんな風に大胆なことしちゃったり、こんなこと言ちゃったり。香鈴さんがいつだって僕を受け入れてくれるから、いい気になって変身してしまうんです。だから――」 「きゃあっ!」 いきなり抱き上げられて小さく悲鳴を上げた香鈴を抱え込むと、影月は月の光に満ちた庭院を後にする。 「僕がこんなことしてしまうのも香鈴さんの魅力のせいですからね?」 傍から見れば他愛のないこと。それでも悩んでいる本人はいつだって真剣だ。 後には。 二人のそんなやり取りを微笑んで見守っているかのような月だけが静かに残されていた――。 |
『満月以上〜変わりゆく僕ら〜』(まんげついじょう〜かわりゆくぼくら〜) はい、無駄毛話です(笑) いつかは使いたいと思っていました。 今来るとは思ってもいませんでしたが……。 女性が無駄毛は嫌だというのを聞いて影月が動揺したシーン。 あれで私は思いました。 「そうか。案外影月は毛深いのか」と――。 で、香鈴はどう思うか考えました。 香鈴だったら、影月がどうあろうとそう気にならないんじゃないか。 影月が自分のために気を使ってくれたと判ったらそれで十分嬉しいんじゃないだろうか。 だから、こんな展開になりました。 毛深いと言えば、で、狼男ネタが浮かびまして。 影月の場合なら狼男というよりイメージ的にオランウータンですが(苦笑) なんとかいつも通り(?)にまとめましたが、 でも時々、香鈴はあれは本当に夢だったのかと疑いの目で見てたりするかもしれません(笑) ラストは「お持ち帰り影月君」です。 お後は皆様のご想像のままに――。 個人的な話ですが。 自分よりきれいに処理してる男は嫌かも(苦笑) |