贈り物大作戦
(おくりものだいさくせん)




 今も。部屋を見回すと、秋祭りの夜に渡された贈り物の数々が目に入る。
 驚きと、喜びと、いくばくかの困惑と。
 これほどまでに心を傾けてもらえるなんて。
 想いを寄せ、想いを返されることの喜び。
 こんな幸せが手に入れられるなんて、想像したこともなかった。
 だから、大切に。大切に。
 この想いを感謝とともに、ずっとずっと育てて行こう――。




「影月君、影月君!」
 州城の廊下をいくつもの巻物を抱えて歩いていた影月は、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「あ、克洵さん、こんにちはー」
 若き茶家当主は、今日も登城していたらしい。
「ここで会えてよかったよ。実は君に相談があって――」
「相談、ですかー?」
 克洵の”相談”と言えば、一年前の英姫による初夜強行作戦への終わりなき”お悩み相談”が思い出される。
(あの時の克洵さんには、燕青さんも静蘭さんも苦笑いしてたなー)
「影月君は、秋祭りで香鈴から何かもらったかい?」
 ――秋祭りの贈り物。この地方特有のその風習は、今年、影月を季節はずれの台風のように襲った。影月の目は、少し遠くなる。
「……ええ。いただきました」
(それはもう、いろいろと……)
「僕もね、今年も春姫からもらったんだけど」
「相変わらず仲が良くて、うらやましいですー」
「君と香鈴だって、仲良しだと思うよ」
 思わず、にっこり笑って顔を見合す。
「それでね。もらってばかりでもどうかと思うんで、何か僕からも贈り物をしたいと思ったんだけど――」
「僕、気が付かなかったんですけど、そうですよねっ。お礼とか、お返しとか、日頃の感謝とかで! 克洵さん、えらいです!」
 暮れの感謝の贈り物とかではないはずだが。
「えらいかどうかはわからないけど、とにかく贈り物をしたいんだ。でも僕は何を春姫が喜ぶか、さっぱりわからないんだよ」
 少し照れながら、だが困りきった様子で克洵は告白した。
「僕だって、香鈴さんが何を喜んでくれるかなんてわかりませんし。春姫さんが喜ぶものなんて、もっとわかりませんよ?」
「うん。女の人の欲しがるものって、わからないよね。でも正直、高価なものには手がでないと思うんだ」
 少し悲しげに克洵は続ける。
「はっきり言って、僕のなけなしのお小遣いは少ない」
 今年の朝賀の時。柴凛に財布を確認されて、『大根三本分にしかならない』と言われた言葉が頭をよぎる。だが、貴陽ほど琥lの物価が高くないのが救いだと、克洵は内心自分に言い聞かせる。
「僕だって今は州牧じゃないですから、お金はそんなに持ってないですー」
 とは言うものの。実際には個人的に自由になるお金なら、影月の方が多いだろう。
 短かったとは言え、三品位の州牧時代は高給が下されていた。だが仕事に追われる毎日では使う暇もなかった。
(虎林郡に急いだ時は、さすがにいくらか使ったけどー)
 それ以外では長年の貧乏生活のため、『贅沢は敵』が身に染み付いてしまっていて、それまで縁がなかった桁にとまどい、ほとんどを貯金していた。使う気にもなれないなんて、少しせつない。
 官位が下がった現在でも、国官であり州尹でもある影月の給与は少なくはない。そのほとんどを影月は現在も貯金に回している。
 だがそれは貧乏性ももちろんあるのだが、遠くないかもしれない未来への大切な資金にするためでもあった。自分ひとりならば貧乏だろうが影月は気にならなかったが、将来一家を構えるとなればいくらあっても多すぎるということはないだろう。
 だから今、自分に使うことを許せる金額というのは、克洵の”お小遣い”とそう大差がないことは予測がついた。
 片や彩七家の現当主。片や将来を嘱望される国試の状元及第者。
 ――その言葉の響きから遠い何やら悲しい現状に、ふたりは揃ってため息を落とした。
「だから、たいしたものは贈れないんだけど」
「大切なのは気持ちですよねっ!」
 気持ちならいくら込めてもタダである。
「そうだ! 克洵さん、次のお休みって開いてますか?」
「うん。今度は休めそうなんだ」
 克洵の休みが、終わらない仕事の処理で潰れてしまうことはよくあることだった。
「次のお休みにですねー、大きな隊商が琥lに来るんですよ。それで、郊外で結構大きな市を朝早くから開くんだそうです。出店とか沢山出て、珍しいものとかお買い得品なんかもあるんだそうですよー」
「朝市だね。うん、それはちょうどいい。ぜひお買い得の掘出物を探そう!」
「……でも、僕たちだけじゃ、贈り物を選ぶのは難しいですよね?」
「あ、そうか。じゃあ、春姫と香鈴も誘おう。さりげなく一緒にいて、ふたりが気に入ったものを後でこっそり買って贈るんだ!」
「いい考えです! きっと春姫さんも香鈴さんも、誘ったら喜んで来てくれると思いますー」

 こうして克洵と影月のふたりは、次の休みに出かける約束をして別れた。それぞれ帰宅してから意中の女性に同行を願うと予想通り、ふたつ返事で了承されたのだった。



 市が立つのは早い。まだ夜も明けぬ暗いうちから、決められた場所に、あっという間に店ができていく。隊商の店だけでなく、琥l近隣の農作物などの店も出て、なかなかの規模になった。
 太陽が顔を出す頃には、気の早い客も現れ始める。冬支度を兼ねた買出しもあり、早々に大荷物の者も目立つ。
 そこに、目立たない衣の四人連れの姿も加わった。
 克洵が一際眠そうなのは、今日の休みを確保するため遅くまで仕事を片付けていたせいだ。だが、周囲を飛び交う陽気で威勢のいい呼び込みや物珍しい品々に、たちまち目は開かれた。

「まあ、春姫様、ご覧になって! 見たこともない果物がございますわ!」
「本当に。変わった形ですわね」
「お嬢ちゃんたち、珍しいだろ? これはね、東方諸島から伝わった果物を改良したんだよ。よかったら、試食していくかい?」
 春姫と香鈴は果物屋で足を止め。
「あー! これは千里山脈の高いとこでしか採れないんですよね」
「そうそう。それも、とびきり険しいところに生えてるから、採取が難しいんだ」
「生薬にすると、いろいろ効能があるし。でも高いですねー」
「ちょっと効能は落ちるけど、これはどうだい?」
 影月は薬種屋で目を輝かせ。
「兄ちゃん、今朝は冷えるだろ、あったまる粥はどうだい? うちの粥はうまいよー」
 克洵は、匂いに釣られて粥の屋台に手を伸ばす。
「……わりと、あっさりしたお味ですのね」
「わたくしは、結構好きですわ。克洵様でしたらもう少し濃い味を好まれますが」
 春姫と香鈴は顔を見合すと、にっこり笑う。
「「でも」」
 ふたりの声が重なった。
「「高いですわ!」」
 ……女性陣も、男性陣ほどではないが、つつましかった。
「今でしたら、旬の果物がお安くて美味しいですから、帰りにでも見てみましょう」
 影月は影月で、
「うーん、でもこれなら全商連に頼んだほうがよさそうですー」
「……お客さん、全商連と比べられちゃ、困るよー」
 克洵は、渡された小さめの器に盛られた粥を堪能して。
「この上に乗っている漬物、おいしいですね」
「うちの特製だからね。普段は飯店通りに店だしてるから、また来ておくれよ」

 薬種屋の屋台を離れた影月と粥を食べ終わった克洵は、ばったり顔を合わせ、はっと当初の目的を思い出す。
「え、ええと。香鈴さんと春姫さんはどこです?」
「さっきまであのへんに……。あ、いたいた!」
 あたりを見渡して、克洵は指を指した。
 目立たないくすんだ色の衣をまとって、姉妹のように仲良く店を眺めて歩くふたりはすぐに見つかった。なんというか、周囲とは醸し出す雰囲気が違うので、容姿とあいまってさりげなく目立っていたのだ。
 ふたりが装身具の店で立ち止まったのを見て、克洵と影月が慌てて追いかける。
「香鈴、あのかんざし、似合うのではないですか?」
「春姫様にはこちらが似合われますわね」
 ふたりは、楽しげにお互いに見繕っている。
「きれいなお嬢さんたちには、なるべく安くするよ」
 おそらく、どんな装身具であっても似合いそうな客の姿に、店主もいそいそと声をかける。
「でも、こういったかんざしは普段には使えませんし、実用的というなら髪紐ですけど、それなら自分で作れますし」
「香鈴は、髪紐を作れるのですか?」
「はい。よろしければ、春姫様にもお作りいたしますわ」
 盛り上がるふたりに、店主は小箱を取り出して見せた。
「髪紐なら作れるかもしれないけど、こういった細工物はやっぱり専門じゃないとね。どう? かんざしより手軽につけられる耳飾り。小粒だけど、いい石使ってるよ」
 覗きこんだふたりは歓声をあげる。
「まあ! なんてきれいな色。これは、翡翠ですわね」
「そうだよ、よくわかったね。これは西方産の紫翡翠。あんまり扱ってないんだ。ちょうど二組あるから、ふたりでお揃いもどうかな?」
「形も小ぶりですけど、澄んだいい翡翠ですわね。細工も凝っておりますし」
 春姫も香鈴も、こういった物を見る目は鍛えられている。
 背後で耳をそばだてていた影月と克洵は、これぞ今回の目的と身を乗り出す。
「とても素敵ですが、今日はお野菜とか果物を見に参りましたので」
「そうですわね。拝見せていただいて感謝いたします」
 経済観念の発達した美少女ふたりは、名残惜しそうにしながらも、会釈してきっぱりと店を離れた。
「また良かったら帰りに寄っておくれよ!」
 後ろ姿に手を振る店主に、克洵はさっそく近づく。
「店主、その、今の耳飾り、いかほどだろうか?」
 指の先ほどの小さなものである。これならそれ程高額ではないだろうと踏んだのだが。
「……っ!」
「それは……高い、です……」
「お客さんたち、さっきのお嬢さんたちへの贈り物かい? あの彼女たちはおそろしく目が肥えてたから、この位のものでなきゃ駄目だよ。男なら、びしっと決めなきゃ!」
 それはそうだろうと思う。だが、財布の中身とはあまりにかけ離れている。
 一旦目を合わせた男性陣はそっとため息を落とすと、「考えさせてくれ」と店を離れた。

 少しふらふらと歩いて、影月がぽつりとつぶやく。
「高いんですね、ああいうのって……」
「そうだね。自分では買うこともないから知らなかったよ。でも、あれであの値段ってことは、以前うちの母や祖母たちが買ってたものの値段は――」
「考えるのも怖いことになりそうですー」
「うん。ふたりにあの耳飾りは似合うと思うし残念だけど、別のものを検討しよう。あ、いけない。またふたりを見失ったよ」
 あわてて、きょろきょろしたふたりの耳に、聞きなれた声がふいに飛び込んできた。

「お断りしますと、さっきから何度も申し上げておりますっ!」
「わたくし、こう見えても人妻でございます! 他をおあたりになって!」
 見ると、何やら若い男たちに取り囲まれている。口説かれているようだが、いささか強引なようである。
「人妻ー? そっちの彼女もかい?」
「この娘にも、決まった方がおりますっ!」
「んー、そんなこと、どうでもいいや。俺たちに乗り換りゃいいよ」
「何をなさいますのっ!」
「手をお放しになさいっ!」
 よく見えないが、手でも掴まれたらしい。
 騒ぎに、周囲は見て見ぬふりをしている。どうやら、かなりタチの悪い連中のようだ。
「おいっ! 春姫を離せっ」
「香鈴さんっ!」
 駆け寄ったふたりはしかし、捕らわれた少女たちに近づくまでもなくあっさりと跳ね飛ばされた。ふたりともに、悲しいまでに非武闘派であった。
 これではとてもではないが彼女たちを助けられないと判断した影月は、こっそり克洵に問うた。
「克洵さん、今日は茶家の護衛の方、付いてきてらっしゃらないんですか?」
「今日は休ませたんだよ……」
 よりによってこんな日にである。春姫との逢引を邪魔されたくなかったのも判るのだが、茶家当主夫妻としての自覚をもう少し持ってもらわねば、と影月は思った。
「そうだ! 春姫さんなら、”声”がありますよねっ!?」
 だが、答える克洵は言いにくそうに口を濁す。
「あの力は、その、人妻になるとなくなるか、あまり発揮できなくなるらしいんだ……」
 意味をさとって、一瞬、影月は顔を赤らめる。
「影月君こそ、ほら、前は武官が付いてたよね?」
「あれは、まだ州牧だった頃ですー。今は武官さんたちだって、ついてきてくれませんよ」
 八方塞がりである。
「僕、近くの武官詰め所まで走って、助けを呼んできます。大きな市だから、見回りしてる部署があるんですよ」
「そうだね。このままふたりがどこかに連れていかれたりする前に。ああ……っ!?」
 だが、猶予はないようであった。今まさに、春姫と香鈴は若者たちに引きずられていこうとしている。
「た、大変だーっ!」
 そんな場合ではまったくなかったが、陽月に頼れない現在、影月は心に誓う。
(今度から燕青さんに体術を教わろう……!)
 いささか、遅すぎる誓いであった。



「おや、そこにいるのは春姫殿ではないか」
「ああっ、本当です! おはようございます、春姫さまっ!」
 場違いなまでに明るい声が聞こえたのは、その時だった。
「丁度よいところでお会いした。香鈴殿もお元気そうでなにより。先日は、馳走になった」
「あれは、美味しかったですよねー」
 まるで空気が読めていない闖入者の登場に、周囲は固まった。
 春姫と香鈴は、すばやく目をかわす。
「おはようございます、翔琳殿、曜春殿」
「またいつでもお立ち寄りいただければ、お好きなお菜をご用意いたしますわ」
「わあっ! それでしたらですねー」
「曜春!」
 曜春をたしなめて、翔琳は続ける。
「ところで、何をしておられるのだ?」
「ご覧の通り、困った殿方に無理矢理連れていかれそうになっております」
「なんと! か弱き高貴なる婦女子になんたる卑劣なっ! 曜春!」
「はいっ! お頭、合点承知!」
 言うが早いが、翔琳が手近にいた香鈴を、曜春が春姫をそれぞれあっさり男たちから解放すると、彼女たちを肩に担ぎあげ――。
「しばし、我慢されよ!」
 そうして脱兎のごとく人ならぬ速さで、琥山方向に向かって、まっすぐ走り去った。
 我に返った男たちが後を追おうとするも、身軽に露天の屋根を越えていってしまわれては、手も足もでない。
「い、今の、翔琳さんたち、でしたよね?」
「しゅ、春姫――っ!」
 影月と克洵も、慌てて“茶州の禿鷹”のふたりを追って走り出した。
 ……追いつけるとは、とうてい思えない状況だったが。




「ど、どっちに向かったらいいんだっ!?」
 走りながら、克洵が困惑した声を出す。とうに姿は見えない。
「あのおふたりでしたら、まず間違いなく、琥山に向かわれると思いますー」
 影月も走りながら答える。
「そ、それは、どうして――っ!」
「おふたりは、よく琥山にいらしてるんです――っ」
 問う方も答える方も、早々に息があがっていた。
「でも、琥山が小さいと言っても、琥山のどこかが判らないじゃないか――っ!」
「たぶん、大丈夫ですー。きっと琥山に着いたら、おふたりが見つけてくださると思いますからー」
 駆けに駆けて、琥山の麓に辿り着いたふたりは、息も絶え絶えな様子である。
「な、情けないけど、もう足が……っ!」
「今度から体力つけましょうね……」
 もうすでに“走る”でもなく、“歩く”でもなく、よろめいているだけだ。
「しゅ、春姫……っ!」
 呼ぶ声も力なく消える。
 しかし、それに答える声があった。
「お二方とも、こちらじゃ。春姫殿も香鈴殿も無事お預かりしておる。安心めされよ」
 ふいに、頭上の枝から滑り降りてきた翔琳が姿を現した。
「しょ、翔琳さん、ありがとう……ございます……」
「こちらだ。あと少し、頑張られよ」
 翔琳にしてはゆっくりと、だが、体力のないふたりにはかなり早い速度で案内されて、山に入っていった。


 ようやく、小川のほとりで曜春につきそわれている春姫と香鈴の姿を確認した克洵は、安堵のあまりその場に座り込んだ。
「よ、よかった、春姫――っ」
「克洵様、ご心配おかけいたしました」
 その傍に春姫が駆けつけて、そっと手を取る。
「香鈴さん、お怪我とか、ないですか……っ」
「大丈夫ですわ」
 なんとか香鈴の傍まで辿り着いた影月も、足がもつれてへたりこんだ。
 春姫と香鈴は甲斐甲斐しく、水を飲ませたりしてふたりが落ち着くのを待った。
 そうして、四人してあらためて、“茶州の禿鷹”のふたりに向き合う。
「この度も、危ないところをお助けくださり――」
「本当に助かりましたわ――」
「またまたお世話になっちゃいまして――」
「本当にありがとう! 君たちが通りかからなかったらと思うと――」
 銘々、てんでに礼を述べる。
「いやいや。か弱き婦女子を救うのは義賊のつとめ。礼には及ばぬ」
「及ばぬでごわすよ!」
 相変わらず曜春の言葉使いは妙なのだが、感謝の気持ちの方が大きくて、誰も笑うどころではなかった。

「ところで」
 と、先に我に返った春姫が問いかける。
「先ほど、『丁度よかった』とおっしゃっていましたが、何かわたくしどもにご用でもございましたか?」
「ああ。準備が整ったので、曜春と共に諸国漫遊に出ることにしたので、暇乞いに向かうところだった」
「まあっ、これから冬に向かいますのに?」
 香鈴の危惧ももっともで、冬は旅に向く季節ではない。
「なんの。寒さには耐性がある」
「この間熊をしとめたので、あったか外套もつくったでおじゃる」
(……熊)
 相変わらずの野生児ぶりに四人は目をみはる。
「それは……また急なこと。お二方にはただならずお世話になった身です。旅に入用なものがございましたら、なんなりとお申し付けくださいませ」
「そうだよ、僕たちにできることだったら何でも言って欲しい。とりあえず、お二人には僕が木簡を用意するよ」
 茶家の直紋、孔雀繚乱のついた木簡であれば、旅には助けになるはずだ。
「今日は州府もお休みですから発行は無理ですが、出発の前には我が家にお立ち寄りくださいませ。いくばくなりかの路銀も支度いたしますわ」
「木簡はありがたく用意を頼もう。だが、路銀は不要」
「夏頃から川をさらって砂金を集めてたんで、ずいぶん貯まりましたし」
 自分も砂金とりに行こうかなどと、一瞬考えた克洵であった。
「では、出発前には州牧邸にもお寄りくださいませ。お弁当や携帯食くらいでしたら用意いたしますわ」
「旅先だと、急に手に入らないかもしれないお薬なんかも揃えておきますー」
 銘々が自分にできることを申し立てる。
「皆と友誼を結べたことは、我らが人生の中でも最良の喜びであった」
「本当に皆さん親切な方ばかりですよね」
 翔琳と曜春は、うなずきながら、深く感銘をうけたようだった。
「長く、留守にされるのですか?」
 四人の中ではもっともふたりと親しい春姫は、少し寂しそうにたずねる。
「特には決めてはいない。だが、茶州こそ我らがふるさと。必ず帰ってくる場所だ。次に帰って来るまでには、春姫殿にもややがおるかもしれんな」
「わあっ、春姫さまの赤ちゃんなら、きっと可愛いでしょうね!」
 ふたりの言葉に、克洵はさっと顔を赤らめる。春姫は平然と、
「その時には遊んでやってくださいませ」
 などと言っていたが。
「じゃあ、今日はあと、ひとりに挨拶すればいいですね」
「先ほど州府が休みと聞いたが、燕青の居場所をご存知ないか?」
「燕青さんでしたら、今日は柴彰さんを呼んで、州牧邸でお勉強してらっしゃるはずですー」
 進み具合は疑問だが、燕青はそれなりに国試に向かって真面目に勉強している。帰ったら、影月も及ばずながら手伝おうと思っていた。
「なにっ!? 燕青が勉強だと?」
「雪が早いかもしれませんねー」
 さりげに燕青には遠慮のないふたりであった。
「だが、州牧邸であればわかりやすい。行くぞ、曜春!」
「はい、お頭!」
「危急の際にはいずこからなりとも飛んでくるゆえ、安心めされよ。それでは、皆の衆、さらばだ」
「さらばでござるー」
 こうして、“茶州の禿鷹”のふたりは、現れた時同様、すみやかに姿を消した。


 残された四人は、しばし放心したようにふたりが消えた方向を見送っていた。
 やがて、はっとした克洵が春姫に向かって頭を下げた。
「ごめんよ春姫。君たちが危ない目にあってたのに、僕はなんの役にも立てなかった。翔琳くんたちが来てくれなかったら、どうしようもなかった――」
「僕も、何もできませんでした。情けないです」
 だが女性陣ふたりは、揃って首を振る。
 あっけなくはね飛ばされてはいたが、ふたりが自分たちを助けようと立ち向ったのは見て取っていた。それに、こうして追いかけてきてくれた。
「ちゃんと見捨てずに追いかけてきてくださっただけでも十分です。顔をあげてくださいませ」
「そうですわ。ところで、克洵様も影月様もお腹がおすきでないですか?」
 香鈴の言葉に刺激されたかのように、胃が空腹を訴えてきた。見ると、太陽は中天に達している。
「いろいろあって、形は崩れているかもしれませんが、お弁当を用意しておりますの」
 そう言って、香鈴は春姫とふたりでお弁当を広げる。
 用意されていたお重は、たしかにかなり端に寄っていたが、美味しそうに見えた。
(あの状態でも弁当を離さなかったのか……)
 究極の状態でも、かくも女性は強い。
 そうして小川のほとりで、四人はほのぼのとお弁当にした。
 天気もよくて、陽はあたたかくて風もなく、小鳥のさえずりが聞こえ、小川の水は清らかで。食べているうちに、なんだか元気になり、暗い気持ちは払拭される。
「そうですわ! せっかく琥山に来たんですもの。薬草や山果実を探して帰りません?」
「それはよい案です。わたくしも、翔琳殿たちと一緒におりました時に、薬草についてはいくらか教わっております」
「薬草でしたら、影月様がお詳しいですわ」
「はいー。それでしたら、教えられると思います」
「じゃ、じゃあ、僕は果実を探すよ!」
 にっこりと微笑みあって、お弁当をきれいに食べ終わった四人は、仲良く山を散策し、せっせと薬草や山果実を収穫して楽しんだ。


「日がおちるのが早いですからー」
 との影月の言葉に従い、四人が下山したのはまだ早い時間だった。短い時間ではあったが、なかなかの収穫である。
 なんとなくそのまま別れがたく、結局、全員で州牧邸に向かった。茶家本邸でももちろんかまわないのだが、気楽なのは州牧邸の方であった。
「もしかしたら、まだ翔琳さんたちいらっしゃるかもしれませんねー」
「もしそうでしたら、わたくし、今日のお礼も兼ねて、ごちそうを作りますわ!」
「わたくしも手伝いますわ。まだいらっしゃるといいですわね」
「そしたら、食後にこの果物を皆で食べようよ」
 翔琳たちの足なら、もう峯盧山に帰ってしまっているかもしれない。
「助けていただいた時に、きちんとお招きするべきでしたわ」
「出立される前にできるだけおもてなしいたしましょうね」
「それにしても、今日のおふたりは、素敵でしたわね」
「ええ。翔琳殿だけでなく、曜春殿もすっかりたくましくなられて」
 女性陣の発言に、影月はぴくりと反応する。
 そう。“茶州の禿鷹”のふたりが、いかに自分と違うかはわかっている。あんなふうにはなれないこともだ。
 だが今日、影月を打ちのめしたのは、別のことだった。
 影月にとってなにより衝撃的だったのは、またしても翔琳の背がのびていたことでもなく、年下の曜春にさえ背を抜かされたという事実だった。
(明日から、牛さんのお乳をたくさんと、小魚とー)
 そんなふうに、青少年的悩みの真っ只中にいた影月に、克洵がこっそり話しかける。
「影月君、顔色がすぐれないけど大丈夫かい?」
「……ちょっと気になることを思い出しただけです」
 影月は、克洵を見上げてそう答える。自分より年上だったら、こうやって見上げることに抵抗はない。
「なんだか予想外のお休みになってしまって、最初の目的が果たせてないんだけど」
「そうですねー。でも、琥山でいっしょに薬草や果物をとって、楽しかったですよね。あ、僕、一緒に野菊を摘んできたんです。克洵さんにならって、根っこごとー」
「あ、そう言えば、僕も、また勿忘草を見つけたからとってきたんだった」
「じゃあ、お互い、今日はそれで許してもらうことにしませんか」
「うん。市や街には、また今度行こう」
「がんばって今日見た耳飾りが買えるくらいお小遣い貯めましょうね」
 ――先は長い、とふたりは思う。だがきっと彼女たちなら、ささやかな花の贈り物でも喜んでくれるはずだ。いつか、まではそれで許してもらおう。
「おふたりで何をお話されてますの? 門を通り越してしまいますわよ?」



 残念ながら、翔琳たちはとうに辞去した後だった。
 だが州牧邸の面々に、克洵と春姫、柴彰も加わって、にぎやかな夕食となった。
 夕食後、軒に揺られて茶家に戻った克洵は、
「何も買ってあげられなかったけど」
 と、そっと勿忘草を差し出す。
 春姫は微笑んで受け取った。
「わたくし、克洵様からはじめてこのお花をいただいてから、勿忘草が一番好きなお花になりましたの。またご一緒にお庭院に植えましょう。そしていつか、お庭院いっぱいに咲く勿忘草をふたりで眺めましょうね」
 その光景を想像して、ふたりはそっと寄り添った――。


「本当は今日、何か香鈴さんに贈り物したいと思ってたんですけどー」
 その頃、影月もまた、香鈴に野菊を差し出していた。
「まあ。可憐な野菊ですわね。菊は、わたくし、大好きですのよ」
 香鈴にとって、菊は特別な花だった。それだけに、影月に贈られたのが心底嬉しかった。
 素直に嬉しそうな香鈴に、影月は安堵する。そうして込み上げてきた感情をそのまま口に出す。
「香鈴さん、お花が似合いますよねー。僕も、菊も好き(きれいで、虫除けになったり食べられたりしますし)ですし、似合う香鈴さんも大好きですよー」
 影月を育てた華眞は、華娜というご先祖の話を繰り返ししてくれた。そうして、その子孫たちが先祖の教訓を活かし、“隙あらば大切な人にたくさん『愛してる』という”ようになったことも話してくれた。実践者の華眞からのたくさんの『愛してる』の言葉は、今でも影月の支えだ。だから、まだ華眞の域に達するには修行が足りないけれど、影月もまた実践に意欲的であった。
 しかし、あまりにもさらりと言われると、言われた方の戸惑いは大きい。
「い、いきなり、なんですのっ」
 顔中赤くして、責めるように香鈴は叫ぶ。
「えー? いきなりじゃないですよ? いつだって香鈴さんのこと好きですしー」
 影月にそう言われるのは初めてではないし、言われて嬉しいのは間違いない。だが、毎回、あまりにもさらりと言われてしまうので、『好き』がどのくらいのものなのかが、香鈴を悩ませるのだ。
「どうしていつもそう、さらりとおっしゃいますのっ」
 香鈴の悩みを理解できない影月は首を傾げる。
「そんなに、さらりと言ってるつもりはないんですけど? それに、まだまだ堂主さまに敵わないくらいですし」
 一体、影月を育てた“堂主さま”とはどのような人物であったのだろうか。今でも香鈴は、影月の中で“堂主さま”を越えられたとは思えないでいる。
「……ゆっくりでいいですから。これから、たくさん、堂主さまのお話も聞かせてくださいませ」
「わかりましたー。僕も堂主さまのお話できるのは嬉しいですし。じゃあ今日は、堂主さまのご先祖からの教訓のお話をしますね。なかなかすごいお話なんですよー?」
 影月が話し始めると、香鈴は思い切って隣あって座る影月の肩に頭を寄せた。影月はくすぐったそうな顔でそっと香鈴の肩を抱いて、話を続けた。


 その夜、香鈴は影月の発言の意味を知ることになり、それからも“隙あらば大切な人にたくさん『愛してる』という”攻撃にあうことになるのだが、それがどんなものにも勝る“贈り物”であることに、影月が気付くのは、まだ先の話である――。


目次

























『贈り物大作戦』(おくりものだいさくせん)


影月×香鈴のほのぼの話のつもりで企画。
ほのぼの…してるでしょうか?
『金の衣―』よりかは、甘々になるようにという意図を
最後の最後に思い出しました(汗)
それまではやっぱり、”わたわた”ですかねえ…?

この話のネックは、ずばり、春姫と香鈴の台詞の区別がつきにくい、
ということです。…盲点でした。

翔琳たちは、影月を焦らせるために登場。
しかし、彼ら、いいですねー。いろいろな意味で(笑)
自分の好みでいくと、断然、インドア派の方が好きなんですが。

物語は、秋の終わり。冬が近いです。
調べたら、勿忘草は、もう少し早い季節(春から夏)が花期らしいのですが、
『彩雲国』の勿忘草は原作では秋祭りのころ咲いてますから、
きっと種類が違うのでしょう。
菊は、春咲くものもありますが、やはり、秋。
小菊の類は寒さにも強いようです。

香鈴が菊を好きだということにしたのは、鴛洵からみという設定です。
そのあたりはまた別の話で。