いずれが鳶か油揚げ (いずれがとんびかあぶらあげ) |
その少女を一目見た時、茶家の大奥様こと縹英姫付きの家人であった伸朸然(しん・りょくぜん)は、ひそかにぐっと手を握った。 (なんて好みなんだーっ!) 大奥様付きの侍女という名目で引き取られた少女は、風にも耐えぬ風情の美少女であった。 事情は明かされなかったが、余程辛いことがあったらしくはらはらと涙を流す様も、朸然の庇護欲を俄然誘った。 縹英姫に仕えて早三年。 大奥様は偉大な方であったが、英姫を知れば知るほど儚げな女性に憧れてしまうのは如何ともしがたく。 (俺がなぐさめて。でもっていつか、『朸然さんって、優しくて素敵!』なんてことに……) 朸然の妄想は炸裂したが、縹英姫とその孫娘の目が光っており(と、朸然には思えた)、なかなか親しく慰める機会はやってこなかった。 少女が現れて一年もたたぬうちに、先の当主鴛洵の弟仲障やらの専横もあり、英姫に近しい家人は解雇された。もちろん、朸然もである。 愛しい少女はいつの間にか邸より姿を消しており、英姫の扱いからしても、真っ先に逃がされたのだろうと朸然は考えた。 琥lの実家に身を潜めること数ヶ月。 新州牧の就任前の大捕物後、早々に朸然は茶家に舞い戻った。勤めるという意味では、茶家にまさるところはない。 そうなると気にかかるのは姿を消した少女のこと。 思いもかけずに朸然が少女に再会したのは、克洵の当主就任直後であった。 「大奥様、言葉に尽くせぬほどお世話になった身で勝手を申しますが――」 すっかり表情を取り戻した少女は、もう以前のように人形のように見えることはない。 自分が慰めそこねたことは残念であったが、再び同僚として働いて、今度こそ――! と意気込んだ朸然の耳に入ったのは、まさかの暇乞いであった。 あるかなしかの私物をまとめて茶家を出ようとした少女に、なんとか庭院で追いついた朸然はようよう声をかける。 「香鈴さん、俺のこと、覚えていますか?」 足を止めた少女は、朸然を見て少し考えていたが、思い当たったように口を開いた。 「たしか、朸然さんでいらっしゃいましたわね?」 「そうです。ずっと姿が見えなくて、皆心配していたんですよ」 「それは……。こちらの皆様にはご迷惑ばかりを」 「いえ、それはいいんですが。あの、茶家を出られてどこに行かれるんです? 堂々とご当主の後見として立たれた大奥様のもとでしたら、どんな危険もありませんよ?」 仲障が好きにできたのも、鴛洵を失った英姫が一族に見切りをつけて隠棲してしまっていたからであり、本気になった英姫に逆らえる者など誰もいない。 「州牧邸に住み込みでお勤めさせていただくことになりましたの」 「州牧邸って、新しい州牧のお二人がいらっしゃったんですよね」 「はい。そのお二方にお仕えすることに」 そう決まってしまっていては仕方がない。だが、諦めきれない朸然はなんとか突破口を見つけようとした。 「あ、遊びに行ってもいいですか?」 「少しまだ取り込んでおりますが、そのうちにでしたら――」 「ではっ! そのうちにっ!」 朸然はがんばった。 虎林郡の奇病騒ぎは茶家も巻き込んだが、なんとか収束したその後は。 使いがあれば率先して走り、機会と名目があれば州牧邸に立ち寄った。 はじめは挨拶程度であったが、亀の歩みもそれなりにはなり、近頃では世間話をしたり冗句を言ったりもできるようになり――。 「朸然さんって、楽しい方でしたのね」 などと笑ってくれるようにもなった。 しかし、未だ知り合い以上友達未満。 (よしっ! ここらでびしっと告白して、『結婚を前提にして』とかっ!) 決行を次の休みと決めた朸然は俄然はりきった。 そんな矢先のことであった。 現州牧櫂瑜の遣いとして、杜影月が茶家を訪なったのは。 英姫の命で影月を案内し、隣室で用事を片付けていた朸然の耳に、開いた窓から英姫と影月の会話が飛び込んできた。 (香鈴さんが、茶家の養女!?) どうりで、他の使用人とは扱いが違ったわけである。しかし、そうなると朸然の前には『身分違い』であるとか『家格違い』であるとかの障害が立ちふさがることになる。 (でも、愛があればなんとかなる、はず!) 必死で自分を鼓舞する朸然であったが、次に聞こえてきたのは――。 (ひ、ひとつ布団でって、そりゃなんだよーっ!? それは、きっと、子供の添い寝みたいな……なんてこと、あるわけねーだろっ!!) 完全に混乱した頭で、朸然は当の相手を思い浮かべる。 茶州に来た時は州牧だった。今は降格したとはいえ州尹。しかもなんだか王様の覚えもめでたいとかで、いずれは鄭悠舜のように中央に返り咲くと噂される期待の星。茶家の娘が嫁ぐにしても不足のない身分を手に入れるであろう男。 (にしてもっ! あいつ、一体いくつだよっ! って、たしか十五だよな、十五!) それが例えば、前州牧の浪燕青であるとか、朔洵と伍する美形と騒がれた貴陽に帰還した武官だとか、そのあたりが相手であれば、まだ納得はできたであろうが。 (あんな、お子様が鳶っ!? いつそういうことになったんだよーーーーーっ!?) 男女の仲というものは、出会った年月では計れない。 哀れな男の玉砕の顛末は、こうして肝心の鳶も油揚げも知ることなく終わったのだった――。 |
『いずれが鳶か油揚げ』(いずれがとんびかあぶらあげ) 「影月v香鈴同盟」さまの<香鈴好きさんへの10のお題>より、 「鳶と油揚げ」をお借りしました。 ところで、なんの疑問もなく、 「ああ、香鈴に横恋慕して玉砕する野郎の話ね」 と思ってネタにしたわけですが。 普通ここは「鳶=龍蓮」「油揚げ=影月」なんじゃないかと、書き上げてから気付きました(苦笑) いや、まあ、いいんですけど。解釈の差ということで…。 なんというか、英姫見てたら、絶対違うタイプの女性に憧れるんじゃないかなーとか思うんです(笑) オリキャラの伸朸然氏は気付いてませんけど、香鈴も見た目はともかく、英姫と内面は同じものを持ってるんですけどね(笑) ま、朸然の場合、思い切るまでに時間がかかりすぎですな。英姫のお膝元ではどうにもならなかったかもしれませんが。 春姫が彼の対象にならなかったのは、やはり主家の姫ともなれば畏れ多いとか、言葉のハンディであるとか、英姫と親族になるのは恐いとか、そのあたりもあったでしょう。 春姫はさすがに茶家からそう出てませんが、市井にでかけることの多いであろう香鈴の場合、こんなふうに無駄に片思いされてるなんてこともまだまだありそうだと思います。 そして、誰もまさか影月が相手だとか思わないに違いない(苦笑) でもって、燕青あたりを恋敵だと思ってたりして? …それはそれでまた面白いけど。 ちなみに、このオリキャラの朸然ですが。 お仕事の時はちゃんと丁寧な言葉遣いするんです。ただ、独白はセルフつっこみしてくれたりするんで、砕けた口調にしてみました。 |