夢のつづき



 栗主益の夜。
 影月と櫂瑜の前から逃げるように自室に戻った香鈴は、着ていた衣装を脱いで部屋着に着替える。
 鏡の前で化粧を落とし、髪もおろした。
 贈られたばかりの耳飾は大事に小箱に仕舞う。指輪は寝る前にはずすことにした。
 髪を梳きながら、香鈴の視線はいつのまにか、髪を飾っていた山茶花と並べて置いたやどり木の小枝にとまる。

 たちまち今夜のことが思い返されて、顔が赤らむのを止められない。
 淑女としての教育を受けていなかったら、恥ずかしさのあまり床を転げまわりかねないほどだった。
 そっと、自分の唇に触れる。
 今夜、何度も影月の口づけをうけた唇。
 途中から数さえわからなくなるほどに。

 春姫との文のやりとりで、栗主益が恋人たちのものであることは幼い頃から知っていた。鴛洵が教えてくれたのは、子供に燦卓が贈り物を持ってくることだけだったが。
 恋人同士の栗主益。それはもちろん憧れだった。
 影月は知らないだろうと諦めていたけれど、できれば二人きりの逢瀬の夜にしたいと、密かに願ってもいた。
 いつだって仕事優先の影月。悪気はないが、いつも周りに現れて二人きりにさせてくれない龍蓮や燕青。
 そんなものは何もかも忘れて。
 二人だけの逢瀬で、ただ自分だけを見つめて欲しい――。
 ずっとそう思っていた。

 今夜、それは叶えられたのではないだろうか?
 雪のように降らされたたくさんの口づけは、影月が香鈴しか見ていなかった証ではないだろうか。
「毎年。どこにいても」
 影月のことだから、あの台詞を素直に求婚と受け取ることは難しい。けれど影月が本気だったのはわかる。
 口づけもあの約束も。
 だから本当は転げまわるほど嬉しくて。
 でも、素直に嬉しいなどとは口が裂けても言えない。
 それでも影月は自分の気持ちをわかってくれているだろうか。
 思えば、怒ったような口調で文句ばかり並べていた気もする。
 そんな女など可愛くないのではないだろうか。
 せめて。
 素直な言葉にできなくても、伝わる方法はないのだろうか。

 香鈴は少し考えると、おろした髪の一部を取って、ちいさな髷をひとつ作る。
 そうしてそこに簪のように緑の小枝を挿した。
 自室に持ち込んだ月餅の包みを取り上げると、香鈴はあたりを窺って厨房に向かう。小枝の髪飾りをした姿を他の誰にも見られたくはなかったのだ。
 幸い、誰にも会わずに二人分の茶の用意ができた。
 途中、食堂や居間代わりの室にも影月の姿はなかった。きっと彼もまた自室に着替えに戻ったに違いない。
 香鈴の足はそのまま影月の室の前まで進んだ。
(だって。お約束しましたもの。今夜ははずさないって。それに今夜はまだ終わっていませんもの)
 ともすればそのまま自室に逃げ帰りたい衝動を抑えて、香鈴は扉を叩く。
「影月様、よろしいですか? 月餅とお茶をお持ちしましたの」

 そう。まだ今は聖夜。
 甘い夢のつづきをもう少し。
 もう少しだけ見させて――。
 影月の声が応える室の中に、そうして香鈴は足を踏み入れた。

(終)

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『夢のつづき』(ゆめのつづき)


『約束の小枝』は影月視点で終始しましたので、
香鈴視点で少し。
甘さ追いうちになっていれば嬉しいのですが。