金の衣・夢の灯り(前編)




 この地方では、秋祭りに大切な人に手作りの物を贈るのだという。
 去年、初めてこの地方で迎えた秋祭り。
 用意したのは、手編みの肩かけ。
 編もうと思ったのは、とても大切なひとが勧めてくれたから。
 贈りたいと思い始めたひとがいたから。
 編み針を最初に持った時、これほどまでに想いが育つなどと予想もしていなかった。
 編み終わる頃には、もうとっくに想いは育ちきっていて――。

 恋は、どこから来て、どこまで続くのだろう。
 今年、この膨れ上がった想いを託すには、どんなものを作ればいいのだろう――?




 何かを欲しいという気持ちは、時に、恋に似ているかもしれない。

「盗まれたというのは、本当ですのーっ!?」
 茶州・州城の一室。飛び込んできた香鈴は、開口一番に問い詰めた。
 部屋には、三人の州官がおり、香鈴はその中から、見知った顔を探し出す。
「状況をくわしく聞かせていただけますわね?」
 標的にされた燕青は、困ったように頬を掻いた。
「今日の昼過ぎ、例の展示場所を通りかかった文官が、なくなってるのに気付いた。で、すぐさま武官を使って行方を追ってみたんだが……」
 今はもう夕刻である。窓から見える昊には茜色に染まった雲が浮かんでいた。
「まだ、何もわかっていないんですの?」
「……いや。物は見つかったし、犯人も押さえてあるんだけど」
 返ってきた答えは、香鈴の予想外だった。それでは香鈴が呼ばれる必要はない。このまま、さっさと踵を返して出ていこうかとも思ったが、疑問が残った。
「その犯人の方、何故盗もうとなさったのですか」
「別に、売るつもりとかじゃなかったみたいなんだが、泣くばっかで答えてくれなくてさー」
 犯人にしてはずいぶん小心のようだ。
「……?その方にお話、伺ってもよろしいですか?」
「んー。それそれ。それで呼び出したんだ。俺らだと怖がってて何も話してくんねーし、嬢ちゃんの方が話やすいかと思ってさ。ちょっとこっち来てもらえるか?」
 燕青の後について、香鈴が連れて行かれたのは、窓もない簡素な狭い部屋だった。
「あなたが……?」
 そこにいたのは、盗人猛々しい屈強な大男ではなく、途方にくれて青い顔をしたひとりの若い娘だった――。




「今年の秋祭りを盛りあげるために」
 と、出された企画を香鈴が最初に聞いたのは、まだ残暑の残る頃だった。
 内容といえば、企画をしたのが、男ばかりの州官たちだから、仕方がないとも言えた。おそらく、秀麗がいたころなら却下されたであろう。
 すなわち。

「琥漣美人大会! 豪華賞品と祭りの始まりを告げる大役をものにする美女大募集!
 秋祭り当日正午より、州城門内広場にて。自薦・他薦問わず。当日の飛び入りも歓迎。
 十五から二十五歳の未婚の琥漣在住の女性に限る。
 広場に集まった住人有志による公平投票。琥漣一の美女を皆で選ぼう!」

 聞いたとたん、軽く頭痛がした。
(男の方って……!)
 正直、不快さ半分、呆れた思い半分で聞いていた香鈴だったが、さらに手伝って欲しいと言われて、目をまるくした。
「ほら、参加したいって思ってもらわないと始まらない企画だろ?こう、女心をくすぐる考えとかあったら助かるんだが」
 州牧邸の夕食の前に、そう燕青は切り出した。
 とてもではないが、州牧の補佐をする者の発言とは思えなかった。発案者のひとりなのではないかと、ひそかに思い当たる。
「――この、豪華賞品って、なんですの?」
「収穫したばっかの新米に新酒。秋の味覚盛り合わせ。でも、なんか、弱いんだなー。そこらへん、考えてくれると助かる」
「予算はどうなってますの?」
「できれば、これ以上かけたくない」
「……”豪華”、なんですのよね?」
「茶州が貧乏っての、嬢ちゃんだってわかってっだろ?」
 企画は既に通っていて、住民への告知も始まっているという。
 それではもう、やめるわけにはいかない。やるなら、成功させないと意味はない。
 香鈴は、傍らの影月にちらりと視線を投げた。
(今年の秋祭りは、絶対、影月様と楽しく過ごすんですの!そのためにも、絶対成功させてみせますわ!)
 香鈴はしばし考え、そして結論を出した。
「案ならありますわ」
「おおっ!早いぞ嬢ちゃん!」
「でもそのためには、克洵様と春姫様にお願いしないといけませんの」
「克と春姫に?じゃ、ちょうどいいじゃん」
 この日の夕食には、若き茶家の当主夫妻が招かれていた。――招かれなくても、常時、顔を出していたが。
 噂をすると、当の二人が部屋に入って来るところだった。


「えっ?僕たちに何を?」
 近頃、当主らしさが増したと評判の克洵は、優しげな顔で尋ねた。
 挨拶もそこそこに、本題を切り出す。
「以前、茶家本邸にお世話になっていた時に気が付いたんですけれど、お蔵のひとつに、とてもたくさんの豪華なお衣装が仕舞ったままになってましたの。英姫様のでも春姫様のでもないようでしたけど」
 それほど長い間ではなかったが、香鈴は先代当主夫人である英姫に仕えていたことがある。
「ああ、それは。うちの母やら祖母やら叔母やらが、せっせと作らせて着ないままになってた衣装だと思う」
「まだ、そのままですの?」
「茶家しか使えない色のものが多くて売るわけにもいかなくて。そのまま……だよね、春姫?」
「その通りですわ。わたくしやお祖母様の好みでもありませんし。香鈴、それがどうしましたの?」
 香鈴は、先ほど聞かされたばかりの話を繰り返した。
「美人大会かー。楽しそうだねえ。あ、でも春姫は出られないんだね」
 普通、こういう大会に人妻は出場できない。楚々とした可憐な春姫が、琥漣を代表する美女だということには、誰も異論はないだろうが。
「そうですわね。でも、香鈴でしたら……」
「わたくし、お手伝いの方に回りますの」
 香鈴が春姫に答えた時、影月が安心したような残念なような複雑な表情を浮かべたのには誰も気付かなかった。
「残念ですわ。香鈴なら優勝できそうですのに。ところで、先ほどのお衣装はどうするのです?」
 春姫が、本題に話題を戻してくれたので、安心して正直に答える。
「一式、寄付していただきたいのですわ。優勝の賞品にしますの。
 もちろん、若向きのを選ばせていただいて、手を加える必要があれば加えます。
 茶家本家のために作られた衣装ですから、質も縫製もすぐれていますし、庶民には手が出ないものでしょう?」
「それは、誰も着ないし、売れないし、かまわないけど」
 克洵は、迷うことなく同意した。実は、茶家でも持て余していたのかもしれない。
「でも、いかにも茶家、という配色のものばかりですわよ?」
 彩七家の家名に基づく色は、準禁色と定められている。家名を名乗る者以外、着用はできない。
「色の問題は優勝者のみ、特別の許可を克洵様より下していただければ」
「それくらい、かまわないけどね」
 克洵は、あっさりと、その旨一筆書くことを約束してくれた。
 女なら、きれいな衣装に多かれ少なかれ関心がある。
 それが、本来入手できないものであれば、なおさらだ。
「茶家より拝領のお衣装ともなれば、将来、花嫁衣裳として使うこともできますから、若い女性ならきっと興味を持つと思います」
「嬢ちゃん、いいぞ、その案。もれなく大会に”箔”もつく」」
 それまで、黙って香鈴と茶家当主夫妻のやりとりを見守っていた燕青は、この案が気に入ったようだ。
「そうですね。優勝した人は、きれいな着物がもらえて。克洵さんとこはいらないものが処分できて。おまけに、寄付していただけるならこちらの予算にも響きませんし。一挙三得ですねー」
 影月がにこにこ笑いながら同意してくれたので、香鈴も内心、大いに胸をなでおろした。
 ……顔には出さなかったが。
「なんだか、楽しそうですね。香鈴、明日、茶家本邸においでなさい。ふたりで選んでみましょう」
 春姫がそう言って、無事、”豪華賞品”は確保が決定した。


 翌日、茶家本邸を訪れた香鈴は、春姫と蔵の中から、あれこれ取り出して吟味した。
 さすが、茶家の奥方達の衣装である。蔵の葛篭より、次々と出てくる。
 これらが、袖も通されることなく仕舞われていたと庶民が知ったら、卒倒しそうな数であった。
「どんな方が優勝するかわかっていれば選びやすいのですが。いっそ、何組か用意いたしましょうか?」
 また、あらたな衣装を取り上げた春姫は、香鈴にもよく見えるよう広げた。
「いいえ、春姫さま。賞品ですもの、ひとつしかないことに意味があるんですわ」
 香鈴もまた、別の衣装に手を伸ばす。
「それもそうですね」
 と、春姫は同意する。だが、小さくため息をついた。
「仕方のないことと言えど、我が家の名前が紅家であれば……と思わないでもありません。これらは確かに豪華ではありますけれど、色目が、若い女性に好まれるには、おとなしいように感じます」
 衣装の大半は、家名にちなんだ茶色を基調にしている。もちろん、金襴や刺繍で飾られてはいるが。
「大丈夫ですわ。たとえば、これなど、刺繍が華やかですもの」
「ああ、この刺繍は見事ですわね」
「こちらはどうでしょう?春姫様」
「これでしたら、さきほどの衣装の方がよいのではありません?」
 二人は長い時間をかけて、あれこれ迷ったあげく、ようやく合意に達した。
「せっかくですから、これに合う装身具も用意いたしましょう」
「助かりますわ。これでしたら、金がよろしいかしら?」
「金のかんざしはたしか、克洵様の叔母さまがお好きでしたから、まだたくさんあるはずですわ」
 茶家の当主就任の際の差し押さえなどもあり、値打ちものの装身具はなくなってしまったが、たいして価値がないと判断されたものは、この行き場のない衣装同様、茶家に残されていた。
 もっとも、”価値がない”といった代物でさえ、庶民には高値の花であったが。

 こうして、装身具までおまけがついて、賞品は正真正銘の”豪華賞品”となった。


 かくして、木で首のない人型の台が作られ、着付けされて、州城の入り口に近い一室で、その衣装は展示されることになった。
 秋祭りの一月前、米俵や酒樽と一緒に飾られた衣装は、保安上、装身具を付けてはいなかったが、それでも州官たちが驚くほど、多くの女性の視線を釘付けにした。
 中には、連日州城に通ってながめていく女たちもいた。
 参加者名簿の数も増え、俄然、秋祭りと美人大会に向けて、琥漣全体が盛り上がっていった。
 そうして、祭りがあと半月後と迫ったある日、州牧邸にいた香鈴は、その衣装が盗まれたと聞かされ、州城へと駆けつけたのだった。




「昼時で、ちょうど人が誰もいなかったんだよな。直接さわれねえように縄が張ってあっただけだし。まあ、盗もうと思えば盗めないこともない」
 通路を移動しながら、燕青が説明する。
「すぐに見つかったんですの?」
「ああ。何せ、土台ごと持ってかれてたからな。あの土台は重いだろ?州城の門から出てないのは、すぐ門番に確認したし、遠くにはいけないだろうとふんで探したら、州城の一室に隠れてるのを発見したってわけ」
 確かに、一本の木を丸ごと彫って作った人型は、底部に石を錘にしたこともあり、かなり重量があった。着付けする香鈴は、踏み台に乗って作業をしたものだ。
「どうして、土台ごと盗んでいかれたのでしょう」
「そのあたりも、だんまりなんだ。着物、土台に着せたまんまだったし。嬢ちゃん、聞きだしてくんない?俺、部屋の外で聞いてっから」
 言葉通り、燕青は部屋に入らず、外の壁に凭れた。
 香鈴はひとり部屋に入る。念のため、扉は少し開けておいた。

 その娘は、椅子の後ろに隠れるようにうずくまっていた。特に拘束もしていないのは、逃亡の心配も危険もないと判断されたからだろう。
 年の頃は、十七、八か。質素な身なりのおとなしそうな娘で、とても大それたことをするようには見えなかった。
 おまけに、泣き続けていたのだろう。本来の容姿はともかく、なかなか壮絶な顔になっている。
 これでは、すぐに話をすることもできないと判断した香鈴は、部屋の隅に見つけた茶器を使って、茶の準備をした。
 香りから、あまり良い茶葉ではなさそうだったが、そんな贅沢を言っている場合ではない。
「お茶ですわ。それだけ泣いていらっしゃったら、喉がかわいたでしょう?」
 怯えさせないよう、わざとゆっくりと香鈴は娘に近づいた。
 目の前に差し出された茶を見て、喉の渇きに気付いたのだろう。おそるおそる娘の手が伸びた。どんな仕事をしているのか、娘の手は、かなり荒れていた。
「どうぞ、お飲みになって」
 まだ戸惑っていた娘は、その言葉に、ぬるめに入れた茶を口にする。
 たちまち空になった器に、さらに注いでやる。二杯目を飲み干して、ようやく娘はおちついたようだった。香鈴が同性であり、危害も威圧も与えないようには見えたことも大きいだろう。
 香鈴は、ゆっくり切り出した。
「わたくしは香鈴と申します。州牧邸で働いております。あなたは?」
 小さな、小さな声が答えた。
「梨映(りえい)……」


 香鈴は焦らなかった。かつて宮城において先輩女官たちから教えられたことの応用だ。
 人に話しをさせるには、じっくり聞き手にまわることが肝心なのだ。
 おまけに、強く詰問すれば、この哀れな娘は、怯えて何ひとつ話せなくなるだろう。
 香鈴は、梨映の向かいの椅子に腰をおろし、欲しくも無い茶をゆっくり口に運んで、ただ待った。
 耐え切れなくなったのは、予想通り、梨映の方だった。
「なんで、なんにも聞かないの?」
「それでは、どうして?と、お聞きしてもよろしいですか?」
「盗むつもりなんか、なかった……」
 少し間を置いて、梨映はぽつり、ぽつりと話始めた。話は前後し、まとまりがなく、わかりにくかったが、香鈴は辛抱強く、ただ聞き手に徹した。
 要約すると、こういうことらしい。

 琥漣に住む梨映は、数日前、たまたま用事があって訪れた州城で、例の衣装を見たのだという。
「あんなきれいな着物、見たの始めてで。家に帰っても、働いてても忘れられなくて」
 どうやら、梨映も衣装を眺めに日参する女の一人になったようだった。
「今日も、お昼に時間できたから見にきたら、部屋ん中、誰もいなくて。悪いことだと思ったけど、思い切ってこっそり触ってみたら」
 梨映の様子から、絹の衣装など、確かに今まで触る機会はなさそうだった。
「そしたら、もう、信じらんないくらい気持ちよくて。袖の先、手を入れたら、するするって感じで。じゃあ、これ、着てみたら、身体中、すっごい気持ちいいだろうなって、思って。そう考えたら、着たい、って頭がいっぱいになっちゃって」
 他に誰か現れたら、梨映はあわてて、見ているだけのふりをしただろう。間がよかったのか悪かったのか。その時、いつまでも誰も来なかった。
「ちょっとだけ、って思った。ちょっとだけ着せてって」
 とは言え、梨映とて若い娘だ。いつ人が来るかわからない場所で、着替える気にはならなかった。
 どこかの部屋の隅を借りて、着ようと思ったらしい。
 ここで香鈴は、ようやく口を挟んだ。
「どうして、土台ごと持ち出されたんですの?」
「脱がしてる間に人が来たら、やばいと思って……」
 それにしても、あれだけ重さのある物をよくぞ持ち出せたものだ。
 梨映は、香鈴よりも背が高かったが、かなりの細身だったので、とてもそういうことができるように見えない。着付けの際、香鈴は土台をひとりで動かすことさえできなかったのだ。
 とにかく、梨映は土台ごと持ち出して、近くの部屋に潜り込んだらしい。さすがに、もっと遠くまではいけなかったようである。
 香鈴は、もうひとつ質問した。
「どうして、お召しになられなかったんですの?」
 着るつもりで持ち出した衣装は、梨映が着ることなく、土台に着せられたままだったという。そうする前に見つかったのか、と尋ねると、梨映は首を振った。
「着たかったよ、すごく。だけど、どうやって台から脱がしていいかもわかんなかったんだよ……っ!」
 その答えに、香鈴は納得した。あの帯の結び方は特殊で、かなり複雑だ。やり方がわからなければ、ほどくこともできないだろう。
 梨映の顔は、心底、情けないものになっていた。
「あたしなんかが、着ようなんて思ったから、バチがあたったんだ。なんにもできないうちに、部屋の外が騒がしくなって。なくなったことを気付かれたんだってわかって――」
 ようやく、自分がしたことが”盗み"になることに気が付いて。すっかり動転して、自分から出て行くこともできずにそのまま部屋で立ち尽くしていたらしい。
 梨映は、涙を流しながら、ぽつりと言った。
「盗むつもりなんか、なかった。だいそれたことするつもりなんかなかったんだ……」


「あのお衣装、そんなに気に入られました?」
 部屋の中にしばし沈黙がおりた後、香鈴が口にしたのは、責める言葉ではなかった。
「とっても!すごいきれいで、お姫様みたいで、一度でいいから着てみたいって思って……」
「あれを選んだのはわたくしと、茶家の当主奥方の春姫様ですの。選んだ甲斐がありましたわ」
 そこまで惚れこんでもらえれば、”豪華賞品”としてふさわしいだろう。
 香鈴は、ゆっくり立ち上がって、部屋の外に声をかけた。
「燕青様、この梨映さんをどうされますの?」
 扉から、頭だけ出した燕青は、それでも部屋には入ってこなかった。
「まー、実害もなかったし、盗もうとか思ってたわけじゃないみたいだし、お説教して放免ってとこかな。盗まれたって知ってるのはごく一部の人間だし」
 梨映は心底後悔しているようで、追い討ちをかけるのは躊躇われた。
「お説教は……もう必要ないんじゃありません?」
「そうだな」
 梨映の様子に、燕青もうなずく。
「燕青様、後のこと、わたくしにお任せいただけません?」
「この件に関しちゃ、嬢ちゃんに色々頼ってるし、任せるわ。こっちのことは俺がなんとかしとくから」
「そうですわね。特に、警備の方もよろしくお願いいたしますわね」
 なんともバツの悪そうな顔をした燕青は、これにもうなずいた。どう考えても、あきらかな怠慢である。
 香鈴は、まだ戸惑っている娘に向き合った。
「さて、梨映さん、あなたのお家に案内していただけますか?」




 梨映が香鈴を案内したのは、琥漣郊外に近い、貧しい家が立ち並ぶあたりだった。
 一家は、小さな畑を耕したり、作物を売って生計をたてていた。
 家族は、両親と梨映の三人だけ。兄がいるそうだが、金華で働いているという。
 その小さな家にたどり着いたころには、すっかり夜になっていた。
 姿の見えなくなっていた娘につめよった両親は、育ちのよさそうな香鈴に気付いてとまどった様子をみせた。
 そんな一家の前で、香鈴はさらりと嘘を並べる。
 ――自分は州牧邸の侍女で、使いにでたのだが、財布を落としてしまい、困っていたところを梨映が通りかかって、一緒に探してくれていたのだ、と。
 そして、ぜひともご両親にもお詫びとお礼を言いたかったと深々と頭を下げてみせた。


 こっそりと、梨映に部屋に連れていくよう頼み、家の奥の小部屋に案内された。
 二人きりになると、当然のように梨映から質問がとぶ。
「なんで、あんな嘘ついたんだい?」
「ご両親に、知られたくはありませんでしょう?」
 慌てて、梨映はうなずく。正直、怯えるばかりで、そこまで頭が回っていなかったようなのだ。
 ようやく理解したのか、梨映の瞳に感謝の色が浮かんだ。
「ところで、わたくし、目的があってこちらに案内していただきましたの。あなたが持ってる着物を全部見せてくださいません?」
「はあっ?あたしの――?」
「梨映さんのでなければ意味がないんですの」
 よくわからないまま、言われるとおり、梨映が持ってきたわずかばかりの衣装を検分する。
「そうですわね。こちらがよろしいでしょう。あと、沓もお願いいたしますね」
「それも、あたしの?」
「そうですわ。あなたの足に合った沓なら、どんなものでもかまいませんから」
 沓が届くと、香鈴は手早く荷物を作った。
「これはお預かりいたします。明日、お仕事が終わったら、州牧邸までわたくしを訪ねていらっしゃい。そのときお返しいたしますわ」
 部屋を出て、梨映の両親ににっこりと微笑みながら、香鈴は告げた。
「今日のお礼に、梨映さんを明日、夕食に招待したいんですの。帰りが遅くなっても、州牧邸の軒で送っていただきますから、お許しいただけません?」
 州牧邸と聞いて、すっかり慌てた両親から許可をもらうと香鈴は、梨映に、
「また、明日お会いしましょう」
 とだけ言って、別れを告げた。


 途中、軒を捕まえて帰宅した香鈴は、夕食のあと、自室で梨映の着物を広げた。
 質素な、毛織の着物は、だが梨映にとっては、一張羅といえる一枚だ。
 香鈴は手燭をひきよせ、針箱を取り出した――。




 翌日の夕刻。
 州牧邸に、おどおどした梨映が現れた。何が待っているのかわからないだけに、さぞ悩んだであろう。
 また、立派な門構えの、しかも州牧邸である。
 門番に声をかけるのも勇気が足りず、彼女の挙動不審に逆に門番より質問されて、ようやく香鈴の元に案内されてきた。
 香鈴は彼女を庖廚に連れて行き、急いで一緒に食事を取った。
 まだ、州城で仕事をしているものは、誰も帰宅していない。
 おまけに、香鈴の計画には少しでも時間が必要だったのだ。
 もっとも、用意された食事は、十分に梨映を感激させる内容であったようだった。


「それでは……覚悟なさってね?」
 食事を終えると、香鈴は梨映を浴場に連れ込むと、有無を言わさず、着物を脱がせ、湯船に追い立てた。
 自ら、腕まくりをして、容赦なく梨映の全身をくまなく洗いあげる。
 終わるとまた湯船につからせ、そのあともう一度、身体を洗った。
 呆然とした梨映は、抵抗することもなかった。
 湯上りでぐったりする梨映に、とろりとした薬草入りの美容液を身体に塗りこませてから、用意していた真新しい下着と部屋着をはおらせて自室に連れて行った。


 梨映は目をまるくした。
「それ……あたしの?」
「そうですわ。夕べ、少し手を加えましたの」
 少し、どころではなかった。
 元は、くすんだ毛織の飾り気のないものだったが、刺繍をした別布を縫い合わせたのだ。一挙に雰囲気が変わっていた。
 帯にも、下衣の裾にも、小さな刺繍をした。
 所々縫い付けられたさざれ石が、手燭の灯りを受けて、かすかに光った。
 茶州特産の琥珀――それだけでは使えないようなちいさなかけらは、穴を開けて糸が通せるようになったものが、安価で入手できる。
 それで作った小物などは、茶州の手軽な土産として知られていた。
 昨日、帰宅途中に全商連に寄って、香鈴はその琥珀のさざれ石をいくらか手に入れてきていたのだった。
 そうして、手を加えられた着物は、十分に、中流家庭の娘の外出着として通用しそうであった。
「こんな、変わるなんて……」
「着物よりも、あなたに変わっていただきますから」
 てきぱきと着物を纏わせ、椅子に座らせると、香鈴が手にしたのは、毛抜きだった。
「痛くても、我慢なさってね」
 そう言って、香鈴は梨映の眉を整えていく。
「い、いたいっ」
「これくらいなんですのっ!美しさは楽には得られませんのよっ」
 柳眉、とも言う。細く整えられた眉は、美女の象徴でもある。
 梨映はすっかり涙目だ。実際、かなり痛い。
「これから、決して泣いてはいけませんわ」
 次に取り出したのは、化粧道具一式である。
 元々、彩七家の姫君にも劣らない暮らしをしてきた香鈴だ。選ぶものの質は、悪くない。
 化粧そのものもしたことがなかったのか、梨映の目には物珍しそうな色が浮かぶ。
 香鈴は、梨映の顔立ちと着物に合わせた化粧を手早くほどこす。化粧の腕も、宮城に仕えていただけあって、一流だ。
 次に髪に取り掛かる。
 もつれてからんだ髪を丁寧に梳り、不揃いなところは揃えてやる。
 少し考えてから髪型を決め、香油を取り出し、複雑に結いあげた。
 仕上げに色鮮やかな髪紐を編みこんで、庭院から切り出した花を飾った。
 さすがに、沓まではどうにも手が回らなかったが、埃は落としておいた。どのみち、長い裾の下に隠れて見えないので、今回は見送りだ。


 支度が一段落すると香鈴は、梨映を立たせて、できばえを確認した。なかなか、悪くない。
「背筋はまっすぐ伸ばして!顎はひいて。それから、少し、笑ってみてくださいな」
 自分に起こっていることがわかっていない梨映は、素直に従う。
「歯を全開にするんじゃありません。少し、歯が覗くくらいにして口の端を上げるんですの」
 見本を見せて、何度か練習させて。
 窓から昊を眺めると、すっかり暗くなっていた。
「それでは、まいりましょう」
 香鈴は、梨映の手を引いて、自室から州牧邸の広間へと連れ出した。


 州牧邸には、大勢で宴会ができるくらいの広間がある。
 滅多に使われない部屋だが、今夜そこには、影月、燕青以外に、十人程度の官服の若い男たちがいた。
「嬢ちゃん。言われたとおり、若くて、嫁さんも恋人もいない奴ら集めてきたけど?」
 香鈴に気付いた燕青は廊下に出てきて、声をかけた。
「ありがとうございます、燕青様」
「で、あいつら、どーすんの?」
 そこで、香鈴に手を引かれている娘に目を落として驚嘆する。
「ま、まさか、その娘、昨日の?嘘だろーっ!!! 女って、信じらんねえ……」
 まだ鏡を見ていない梨映は、自分がどうなっているかわからずに、不安そうだった。
 だが、あえて説明しないまま、香鈴は広間に引っ張っていった。
「皆さん、今夜は集まっていただいてありがとうございます」
 男たちは、てんでに視線を向けてきた。
 州城でも香鈴はよく知られている。前州牧の着任式の際、彼女が手腕を発揮して飾りつけたのは、まだ皆の記憶に新しい。
 一息おいて、香鈴は梨映を前に立たせる。
「今日はお願いがあって、集まっていただきましたの。皆さんに、お友達の梨映さんをご紹介いたしますわね」
 男たちの視線を一斉に向けられ、梨映は固まった。耳元でこっそり、香鈴に笑うように言われ、先ほどの練習を思い出して、そっと微笑んでみた。息を呑むような音が聞こえたのは、どういうことであろうか。
「実は、この梨映さんをどなたかに、今度の秋祭りの大会に推薦していただきたいんですわ。わたくしが推薦するのも妙ですから、男の方のほうがよろしいと思いましたの。」
 州官は、大会の審査には加われない。だが、推薦ならできる。
 (たいかい……って、ナニ?)
 梨映は頭が真っ白になった。笑いものになれということだろうか。
 男たちが官吏なのは、服装でそれとわかる。それでは、これが昨日の罰なのだろうか。
 泣きたいが、泣いては化粧が崩れるからと、強く禁止されている。
 香鈴の言葉に、何人かが、挙手した。
「あ、僕が推薦しますよ!こんなかわいらしい人がいるなんて知りませんでした!」
(かわいいって、だれが……?)
 馴染みのない言葉に、強くとまどう。
 赤い顔をした官吏の青年は、熱心に梨映を見つめていた。
「それでは、推薦の手続きをお願いいたしますわね。きっと、大会も盛り上がると思いますわ」
 一礼して(梨映にもさせて)、香鈴は再び梨映の手をひいて、広間を後にした。
「燕青様、皆様きちんともてなしてくださいね」
「あ、それは大丈夫。さっき庖廚に、酒と食い物頼んどいたし。嬢ちゃんも用意しといてくれたみたいだな」
 そこまで言って、燕青は香鈴だけを手招きする。
「さっきのあれ、本気?」
「もちろんですわ。わたくし、負ける戦はいたしませんの。当日までにもっと驚いていただきますわ」
 絶句する燕青を残して、香鈴は梨映を連れて歩きだした。


 再び自室に連れ戻す前に、香鈴は、廊下の途中にある大きな鏡の前に、梨映を立たせた。
「どうかしら。急ぎだったので、まだ改良の余地はあるのだけれど」
 梨映は目を丸くして、鏡の中の自分を見つめていた。
「あたしじゃない、みたい……」
「気に入っていただけまして?」
 梨映は、こくこくうなずく。
「でも、なんで?なんで、あたしにこんなことしてくれるの?叱られたり、怒鳴られるんならわかるけど。だいたい、あたしなんかに、大会に出られるわけないし」
 それはそうだろう。昨日のことがあって、罰されるなら当然だろうが、着飾らせるとはどういうことか。
「あなた、あの大会用の衣装を気に入ってくださったのよね。そこまで気に入っていただけたかと思うと、選んだわたくしも、嬉しかったのです」
 梨映から顛末を聞きだした香鈴は考えたのだ。
 実は、一度着せてやるだけなら簡単だ。
 あの衣装でなくても、香鈴だとてかつて鴛洵に作ってもらった衣装がある。十分、お姫様のように装わせることはできる。
 だが、それでは意味がない。
 あの衣装を見て、気に入って、着たいと思ったのは、決して梨映だけではないはずだからだ。
 ただ、香鈴の目の前で、そこまでの感情を見せた娘は他にいなかった。
 自分だとて、本来は豪華な衣装などに縁はなかったはずなのだ。
 思い返すのは幼い頃。
 あのまま、鴛洵に出会わぬまま生き延びたとして、あの衣装をみたならば、香鈴だとて強く憧れたにちがいない。だから、力を貸したいと強く思った。
「でも、あれは、優勝した方のみが着る権利があるんですわ。他の誰にも、着せることはできません」
 あの衣装を着る権利。たしかに、優勝した人物が、すでに誰かが着用したと知ったならば、許せないと思うだろう。梨映のしようとしたことは、その人物にとって、許しがたいことなのだ。
 今更ながらに、申し訳なさが沸いてくる。梨映はうつむいたまま、顔があげられなくなった。
 そんな梨映を見つめて、香鈴はさらに問いかける。
「あの衣装、それでも着たいですか?」
 後悔はある。自分はなんてことをしてしまったのだと、責める気持ちがあふれて、梨映は涙が出そうになるのを必死で抑えた。
 だが、あの衣装への憧れが、消えたわけではなかった。思い返すと、やはり着たいと思う自分がいる。
「着たい……。あたしなんかに着れるものじゃないって、よくわかったけど……」
 あきらめなければと頭では思う。だが、気持ちは正直だった。梨映は、香鈴に告げた。
「よろしいですわ。 あれを着たいと思われるんでしたら、正々堂々と戦って手に入れてくださらないといけませんの。優勝を狙いましょう」
 出場するだけでもどうかと思うのに、優勝しろと言われる。
 香鈴に飾り立てられた自分は、それほど悪くないようには見える。だが、琥漣一の美女と、言えるほどではないだろうと、正直思う。
「努力もせずに諦めるんですの?諦めきれるほどの思いですの?あなたが同意してくださるなら、大会までもっと磨きあげるお手伝いいたしますわ」
 ここまで自分を変えることができる香鈴に手伝ってもらえたなら、まったく不可能ではないかもしれないと、梨映は思い始めた。何もせずに、手に入るものなどない。努力だけでも、する価値はある。
 だが、それでも、勇気が足りず、長い逡巡の果て、ようやく梨映は
「お願いします……」
 と、頭を下げた。


 香鈴の部屋に戻って、化粧を落として、着てきた着物に着替える。香鈴が、まだ衣装に手を入れるから、これで出場するように言ったからだった。
「借り物では、その方にとってよくないと思いますの。着慣れているもののほうが、のびのびできますでしょう?」
 着慣れてはいても、ここまで変わったら借り物のような気はする。
 だが、自分のものだと、余計な気をつかわなくてもいいのは確かだった。
 こうして、香鈴による”梨映改造計画”は始まった。
「では、毎日、通ってくださいね。美容法と立居振る舞いをお教えいたしますわ。美女と呼ばれるには、仕草や雰囲気も大切ですの。
 幸い、梨映さんは、お顔立ちも悪くありません。ご自分に合ったお化粧方法も覚えましょうね」
 香鈴の指導は細かいところまで行われた。
「寝る前には必ず、顔と手にこの美容液を使ってください。たくさんは使いません。手のひらに少しですわ。特に手は、そのあとこちらの絹の小袋にいれて、ひもで縛っておやすみになってね。髪も、香油をお渡ししますから、毎日少しずつつけて、ていねいに梳かしてください」
 美容液と香油、そして夜よく眠れる香を持たせた。
「それでは、本日よりがんばりましょうね」
 香鈴は、梨映に向かって、きれいに微笑んでみせた。

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