少年は階をのぼる
(しょうねんはきざはしをのぼる)

『大人の定義』を前提とする派生話です。




「――攫ってくださってもかまいませんのに」
 そんな危険で甘い言葉を彼女は夢見るようにささやき、影月の内なる願望を揺さぶった。
 晩夏の休日の昼下がり。
 人気のない小さな空き地。隣り合って座っていた香鈴を影月は愛しさのあまり抱きしめて、たくさん口づけをして。
 逃がさないとばかりに抱きしめていると、それだけでうっとりしてしまう。
 香鈴は柔らかくて、小さくて。影月の庇護欲と征服欲を同時に刺激する。

「わたくしだけご覧になっていただけるなら、いつだって攫ってくださってよろしいのに」
 なおも重ねて影月を煽るのは熱を帯びた悩ましい視線。それだけで影月の理性を焼き切りそうであった。
 彼女はそうと知っていてこのような態度を取るのだろうか。ならばそれに乗ってしまっても何ら問題はないと言うことか。
 はたまた無意識の産物であっても。ここまで罪つくりな彼女は罰されてしかるべきではないだろうか。
 すっかり影月へと委ねられた芳しい肢体がどうにでもしてくれと訴えているのだ。気付かないでいるなら、それもまた、罪。
 腕の中の恋人は完全に影月の手中にある。

 それでも確認せずにはいられなかった。
「僕に、攫って欲しいんですね?」
 掠れた声を絞り出して、影月は恐ろしく口の中が乾いていることに気が付いた。
「そうしましたら影月様がわたくしだけを見てくださるのでしょう?」
「ええ、そうですね。香鈴さんだけを……。香鈴さんのすべてを……」
 攫って。閉じ込めて。暴きたてて。
 そうして自分はきっと突き立てる。香鈴の世界にただ一人の男となった自分が、彼女の身体を開かせて。


 想像しただけで下半身に異変を感じた影月は、わずかに密着した香鈴の身体をずらす。
「影月様? どうなさいましたの?」
 香鈴は少しも気付いていないのだろうか。自分の息があがり、明確に身体に変化があるというのに。
 それとも気付かれない程度であったのかと思いなおして、影月は香鈴の腰に手を回すと、開いて座る片足の上に座らせた。
 目の前に香鈴の顔が来る。甘い誘いをこぼす唇に唇で触れるのに、最適な距離。
 見つめていると自然に香鈴の瞼が閉ざされていく。何よりも雄弁な口づけの許可。
 込み上げる衝動のまま、これまでのように唇の柔らかさを楽しむ為だけではなく、噛み付くような勢いで影月は香鈴の唇をふさいだ。
 朱唇を割って舌を捩込ませて。滅茶苦茶にかき回してみた。やり方など判らない。ただもう、そこには衝動しかなかった。

 常にない荒々しいまでの影月の行動に、唇を離された後の香鈴は紅潮した顔と潤んだ瞳で見上げてくる。
「影月様……」
 たまらなかった。
 そのまま影月は床几の上へと香鈴を押し倒した。
「な、何をなさいますのっ!」
 狼狽した声が身体の下で上がるが、もはや影月を止めるすべはない。
「僕に攫われて。そうしたらどうされるかなんて、そんなこと判ってるはずですよね?」
 焦る気持ちと裏腹に言葉だけがなめらかにこぼれた。
「これも香鈴さんが望んだことでしょう? さっきから盛んに僕を呷ってくれてましたよね? お望み通り、これからあなたは僕に犯されちゃうんです」
 声を失った香鈴を組み敷くと、待ち切れぬ思いで震える手で香鈴の帯を解く。
 思いつくまま、解いた帯で抗う香鈴の両手をそれぞれ床几の足に結びつけた。
 逃がさない。絶対。
「影月様!」
 悲鳴のような声を上げて香鈴が身をよじると却って閉じるもののなくなった衣がはだける。嫌がっていると見せて、それはもう誘っている行為でしかない。
「全部、見せてください。いいですよね?」
 長裾も腰巻さえ開いて、陽の光の元すべてをあらわにされたその肌は輝くほど白く影月の瞳を焼く。
 吐息をついて、神聖なものの前に出たような謙虚な気持ちで影月は頭を垂れ、これから自分が汚す神殿に顔を寄せていった。
「いつだって、触れたくて仕方なかった……」
 震えそうになる自分を叱咤し、影月は胸のふくらみに手を伸ばした。
(雲って、こんな感じなのかな?)
 ふわふわと柔らかくて壊れそうな乳房を掴みあげて、子供が気に入りの玩具で遊ぶように執拗に弄り倒す。
「ああ……っ!」
 熟れた尖端に誘われて唇を寄せると、香鈴がちいさく吐息のような声を洩らした。

 それからは夢中で指と舌で香鈴を暴いていった。唾液を塗りたくり、所有の印を刻みつけてく。
「唇だけじゃないんだ。あなたは僕以外の男を知る必要なんてない」
 時に歯を立てて、痛みに耐える香鈴の表情に陶然となる。
 敏感な場所を探り当てた時、香鈴が洩らす甘い喘ぎがさらに影月を加速させた。

 香鈴の膝を割って身体をねじ込むと、思いっきり真横に開かせた。
「やっ!」
 全力で足を閉じようとするのを封じるため、影月は自分の帯と腰紐を解いて香鈴の華奢な足首に結ぶと、両手と同じように床几の足に結び付けた。
 今や香鈴は床几という台紙に留めつけられた昆虫の標本であるかのように、四肢を広げて影月の前にすべてを晒している。
「い、嫌ですの! こんなのは嫌!」
 涙交じりの抗議の声にも聞く耳など持たない。
 開かれ固定されて影月に視姦されるばかりの足の間。隠された襞を暴くように、指をゆっくりと這わせ続けた。
 繰り返すうちに影月の指は濡れぼそっていく。
「ああん……」
 抵抗とは違う震えと、甘いばかりの声。
 はやく、はやく中へと、影月の下帯から解放した途端の半身がすでに猛り、暴走しようとするのを残った理性で辛うじて繋ぎとめる。
 挿れたくて、挿れたくて、挿れたくて。
 それしかもう考えられないのに。

 膨張し、硬くなったものをまだ中には入れずに、自分を焦らすように、滑りのよくなった香鈴の足の間に何度もこすりつける。
「んっ! んんっ!」
 香鈴の息が影月のそれと同じように浅く繰り返されるようになり、無意識に快楽を得ようと影月のそれを追いかけるように香鈴が腰を動かし始めている。
 潤み、鍵を待ち受ける秘密の門をこじ開けるべく、影月の道具はすでに先を濡らして準備万端だ。
 身体をずり上げて、慎重に入り口に男根を押し付けていく。
「お、お待ちになって!」
 今更のように恐怖にかられたらしい香鈴が逃げようと無駄に身体をよじるが、それが影月についに挿入の時と教えた。
「十分、待ちました。もう、待てません!」
 影月は一挙に強引に香鈴の中へと突き進んだ。香鈴という標本を貫き、影月だけに留めるために。
「いやああっ!」
 香鈴を引き裂きながら奥へ、奥へと入り込むと、影月はこれこそが正しいのだ、という天啓を受けた気がした。
 そう。自分の道具は、こうして香鈴の中に収まるためにあったのだ。
「いや……えいげつさま……いたい……」
 涙を浮かべて弱々しく見上げて懇願してくる香鈴の上半身を少し起こして繋がった箇所を見るように仕向ける。
「香鈴さん、ほら見てください。ね、僕の、ちゃんと入ってるでしょう? 僕で香鈴さんの中、一杯になってるでしょう? だから、香鈴さんが痛くても仕方ないんです」
 顔を背けようとするのも許さず、涙に濡れる顔に現実を見せ付けると、残虐な下半身とは別の生き物ででもあるかのようにそっと口づけをして涙を舐め取る。
 そうして、この上もなく優しく囁いてみせた。

「これからが本番ですよ」

「あっ! いやあ! やめてえっ!」
 香鈴の悲鳴を音楽のように楽しみながら、影月は懸命に腰を動かした。
 僕のものだ、僕のものだ、僕のものだ……!
 引き抜く度絡みつく香鈴の道具は、しっかりと影月を呑み込み、喰らい尽いて締め付けて離さない。
「すごい、気持ち、いい、です!」
 息が上がり、気も遠くなりそうな感覚に酔いながら、影月は一層速度を上げて香鈴の中をかき回し、貫き、汚し続ける。
 これでもう僕のものだ、僕のものだ、僕だけのものだ!
 楔を打ち込んで、香鈴を蹂躙して。ここにいるのはもう人ではない。獣にすぎない。
 獣ならば本能のまま雌を犯して許される。
 そうしてこの獣が欲しいのは、自分に縫いとめたこの身体の下にいる雌ただひとり。

「やぁんっ、あぁんっ」
 繰り返すうちに香鈴の声に甘いものが混じるようになってきた。
「香鈴さん、も、気持ち、よく、なってきて、くれて……」
 嬉しい、と続けたかったのだが、もはや声にならない。
「香鈴、さ……、一緒に――」
 影月はすべてを香鈴の中にぶちまけて、そして果てた――。


 破瓜の血と、精液とで下半身を染めた香鈴を、ようやく回復した影月はじっくりと眺め回す。
 香鈴の身体に残した鬱血も歯型も、そして陵辱から生まれた紅白の液体も。
 すべてが香鈴が影月のものになったと物語っていた。
 満たされたはずの所有欲は、まだ足りないとばかりに影月の逸物を勃起させていく。
 髪を撫でて、涙を舐めとって、影月は彼だけの獲物に優しく笑いかける。
「こうやってこれからずっと可愛がってあげます。うんとうんとたくさん。
 もう遠慮なんかしません。だって攫っちゃったらそれこそ場所も時間も関係なく、香鈴さんは僕にこうされることになるんですから。
 僕に攫われたいって言ってくれた香鈴さんだから、覚悟してくれますよね? それに、ちょっとは気持ちよかったんでしょう? すっごい上手に腰を動かしてくれましたよね?
 今日もまだたっぷり時間はありますから、このまま何度も犯してあげます。楽しみにしててくださいー」
 影月の手が香鈴の腿をねっとりと撫であげる。
「香鈴さんだって、僕と一緒に過ごしたいって思っててくれたんですよね? なら、これが一番濃く一緒に過ごせて、お互いだけを見て、お互いのことだけ考える為の最高の方法だって判りますよね?」
 詭弁などではない。影月は今、心からそう思っている。香鈴にだって判るはず。そうして二人、何度でも繋がって、お互いにがんじがらめになって、そうして抱きしめあって過ごすのだ。これからずっと。
「影月様……」
 香鈴は瞳を閉じてそうして諦めたように全身から力を抜いていった。
 影月は再び香鈴の中に潜り込んで行った。
 日が暮れるまでまだ時間はたっぷりある。何度でも彼女の中で果てようと、影月はゆっくりと動き始めた――。




 晩夏の朝、影月はさわやかに目覚めた。
「なんか、すっごくいい夢見たような……」
 夢の記憶を辿り始めると、たちまち怒涛のように思いだす。
「う、うわっ、僕、な、なんて夢をっ……!」
 夢を追い払おうと激しく首を振るが、かえって記憶は鮮明になるばかり。
「あー。昨日の香鈴さんがあんまりにも刺激するようなこと言ってくれたせいなんだろうなー」
 そう診断してみるのだが、それに何の意味があるだろう。夢を見てしまったことは否定できない。
 じわじわと不快感が意識に上って、影月は原因を確かめ、そうして固まった。

「ちょっ、これって、うわっ!」
 慌てて臥台から転げるように降りると、狼狽したまま夜着も下帯も毟り取るようにはがした。
「どうしよう、って洗濯するしかないよなあ」
 下帯だけ洗う、というのもあまりにもあからさまな気がすると思いながら、影月は部屋着に着替える。
「ええと、墨を落として全部に染みこんじゃったとか言おうか。あ、お茶の方がいいか」
 念のため、夜着と下帯にわざわざ茶をかけてみる。
 そうして、母屋の片隅へと向かった。そこは普段家人たちが洗濯場にしている場所だ。
 井戸から桶に水をくみ上げ、手を漬けると晩夏とはいえ残暑の残る朝には心地よい冷たさが広がる。
 元々、華眞と暮らしていた頃には二人で家事も分担していた。だから、影月は一応、一通り家事をこなすことができた。一応、となるのは自分でもあまり手際が良くないことを自覚しているからだ。
 それでも、すべての汚れを丁寧に洗い落とし、竿に洗濯したばかりの衣類を干す。
 見上げる昊はよく晴れて青く、また知らぬ間に高さを増して秋の訪れが近いと教えてくれている。
(原因があんなことじゃなきゃ、気持ちのいい朝のはじまりなんだろうけど……)
 はためく洗濯物を眺めながら影月はそんなことをぼんやり考えていた。その時だった。

「影月様!? 一体、何をなさってますのっ!?」
 愛しいひと。恋しいひと。けれど今、一番顔を合わせたくないひと。
 決まりの悪さに視線を合わすことも出来ず、影月は用意していた言い訳を口にする。どのみちこうやって干していたら誰かに見つからないわけなどなかったからだ。
「えっとー、見ての通り洗濯をー」
「それでしたら、わたくしがいたしますのに!」
 いや、それこそ一番避けたいことだった。
「起き抜けにお茶をこぼしちゃいまして。だから染みにならないうちに洗ったほうがいいかと思って」
「それは……そうですけれど」
 お茶の染みはすぐに落とさないと落ちなくなる。それはもう華眞と暮らしている折、さんざん実感したことだ。そうそう衣類の新調もできなかったので染みだらけの衣を二人して纏っていたものだった。今でこそ至れり尽くせりで、常に用意されるのは染みひとつない清潔なものばかりだが、忘れられるものではない。。
 香鈴は影月の言い訳に同意しつつも不満を隠せないでいる。そこで影月はもう一言付け加えることにした。
「それに。何か洗濯したくなっちゃったんですよー。ほら、今日って洗濯日和じゃないですかー」
 よく晴れて。風もそこそこあり。こんな日は洗濯物がよく乾く。実際、原因はともかくはためく洗濯物を眺めて一種の爽快感を味わっていた影月の言であったから、実感はこもっていた。
「ええ、それはわたくしもそう思いますの……」
 どうやら香鈴に納得してもらえそうだと安堵した途端、忘れかけていた罪悪感が影月を襲った。
(ああ、今朝僕は香鈴さん、あなたを夢の中で……)
 たまらなく申し訳なくなって、影月は思わず口走っていた。
「すみません……」
 香鈴の顔さえまともに見ることができないまま影月はうつむいた。

「本当ですわね!」
 間髪入れずに返された言葉に、影月は傍目にもあやしいほど動揺した。
 まさか香鈴が夢の内容を知っているはずはない。ないのだが、勘のいい香鈴のこと。影月の言い訳を見透かして正解を導き出してしまったのではと、影月は焦った。
「影月様の身の回りのことはわたくしのお仕事なんですのよ? それに……」
 香鈴は常になく素直な言葉を続けた。
「お仕事でなくても何でもしてさしあげたいんですもの」
 これほどかわいらしいことを言われて幸せなはずなのに。当の相手に夢の中でとは言えしでかしたことが頭から消えない。
「すみません……」
 いたたまれなさのあまり、影月は謝罪の言葉を繰り返した。最早、逃げ出したいくらいであったのだが、そうもいかなかった。
「影月様、それで今日はどちらに参りましょう? わたくし、もうお弁当は用意してしまいましたのよ?」
 そう。本日は公休日。州官はもしや気を利かせて連休になるようにしてくれたのかもしれない。そしてこれまでの不義理の埋め合わせも兼ねて、一緒に今日出かけることを約束したのは昨日の自分。
(出、出かけてしまおう! 人目があって、変にふたりっきりになれないような場所へ!)
 例えば、昨日のように今朝の夢のように、人気のない薬草園になどいたりしたら。自分は夢を現実にしないでいられるほど強くはない。
「れ、l珠河(れんじゅこう)のほとりを遡って散歩なんてどうでしょう?」
 琥l庶民の憩いの場でもあるl珠河のほとりならば、休日ということもあり、きっとふたりっきりになどならないだろう。
「l珠河、ですわね! 楽しみですわ。それでは、お弁当の仕上げをして参りますわね」
 無邪気に微笑む恋人はあまりにも清らかで、今の影月には眩しすぎた。



 口止めすることなど影月には思いもよらないことだった。
 朝食の席で櫂瑜から本日の予定を聞かれた影月は、素直に答えた。
「l珠河を散歩ですか。今日はきっと気持ちがいいでしょうね」
 横で聞いていた燕青が混ぜ返す。
「まだ暑いからって水遊びしてて、うっかり流されたりなんかするなよー?」
 そして気付いたように言い加えた。
「なあ、もちろん嬢ちゃんの手作り弁当付きだよなあ?」
「ええ、まあ」
 燕青はべったりと影月の肩に寄りかかると、お預けされた犬のような瞳でおねだりを始めた。
「なあなあ。俺も今日、出かける予定あんの。で、嬢ちゃんの弁当、俺も欲しいー」
 だが、その態度は香鈴には逆効果。香鈴はたちまち眦を吊り上げた。
「燕青様! 影月様からお離れになって!」
 わかりやすい香鈴の反応に、燕青はさらに影月の首を抱え込んでみせた。
「弁当くれるんなら離れる」
 こういう所は子供っぽくて。だからこそ燕青は人に距離を感じさせないのだと影月は感心して思う。
 香鈴は早々に降参してみせた。
「余り物でよろしければ詰めてさしあげますから!」
「余り物、十分、十分。けど余るほどたくさん作ったんだ?」
 からかうような燕青の言葉に、つんと顔を背けて香鈴は答えている。
「つ、つい早起きして作り過ぎてしまったんですわ!」
「おー、偉い、偉い」
 影月を解放して燕青は拍手してのける。
「ですけれど、影月様だって今朝は早起きしてお洗濯なんかしてられましたのよ!」
「うわっ! 香鈴さん!」
 まさかこんなところで暴露されるとは思っていなかった影月は焦りに焦った。
「ほお……」
「ああ……」
 櫂瑜が、燕青が。したり顔で影月に視線を向けてきた。それだけではなかった。
「そうですね。男でも洗濯したくなることはありますから」
「ま、大人の男のたしなみっての?」
 口々に影月の言葉を裏付けようとまでしてくれた。
 それはどう考えても人生経験豊富な二人からすればあまりにも明白なことだとしか思えなかった。
(ばれてる。ああ、絶対ばれてる……!)
 余計なことは言わず、影月を援護してくれているだけなのに、理解と労わりに満ちた二人の視線に自分の青さを暴かれているようで、影月をたまらなくいたたまれなくさせた。
「あまり聞いたことがないんですけれど皆様がおっしゃるならそうなんですの?」
 櫂瑜と燕青からの言葉を素直に受け止めたらしい香鈴は、不思議そうな表情で見上げてくる。いっそ残酷なほど無邪気だ。
「え、ええ、まあ……」
(もうあんまり追求しないでもらいたいんだけど)
 朝食の時間が早く過ぎればいいと、影月はひたすらうつむいて耐えるしかなかった。


 燕青の分の弁当を詰めることになった香鈴を手伝って、三人分の弁当をひとまず誰もいない居間に運び込んだ時だった。
 思い出したように香鈴が話を蒸し返した。
「……影月様の物でしたら、わたくしだってお洗濯してさしあげたいって、これからちゃんと覚えていてくださいませね?」

 影月の脳裏に、白濁したものがこびりついた自分の下帯を洗う香鈴の様子が浮かぶ。
 もしかしたら、香鈴はそれが何か知らないかもしれない。不思議そうにそれに触れて、聞いてきたりするかもしれない。
「影月様、これは何をつけられましたの?」
 そうしたら、自分はどう反応すればいいのだろう。適当にごまかしてみるか、それとも……。
「香鈴さんのせいなんですよ? 香鈴さんのこと考えると出ちゃうんです」
 って、彼女の手を導いて……って、それじゃ変態だろう! そ、そりゃあ香鈴さんに触れてもらえれば嬉しいけど。
「本当は香鈴さんの中に出したいんです」
 って、うわあ、それは絶対駄目だろう!
 全部違う! そうじゃないんだ! ……違わないかもしれないけど違うんだ!
 矛盾した思考に、影月は自分の想像だけでぐったりと疲れてしまった。

「もう! 少しもわたくしのお話、聞いてくださってないんですのね!」
 どうやら香鈴はすでに別のことを話しかけていたらしい。思考の迷宮にはまった影月には少しも届かなかったのだが。
 それでも聞いてませんでした、とは言いにくい。
「香鈴さんの声を聞いてるの好きなんです」
 それも嘘ではない。愛らしい香鈴の声ほど影月の耳に心地よいものはない。
 だが。
(本当ならあんな場面で、香鈴さんはどんな声を出すんだろう?)
 声の連想で影月は知らず香鈴の赤い唇を凝視していた。
「影月様?」
 朱唇が動いてとまどった声を発する。気がつけば、吸い付けられるように引き寄せて口づけていた。
 狭い肩に置いた手を少し下に下にとずらしていく。
(胸、とか触っちゃったら、やっぱり駄目なんだろうか……)
 本当なら胸に伸ばしたい手が思わず迷い、それが香鈴を拘束する力を弱めたのだろう。影月は扉の方に思いっきり突き飛ばされていた。
「何を考えてらっしゃいますの! あ、朝から、しかもここは居間ですのよ! どなたが来られるか判りませんのに!」
「すみません! すみません、つい!」
「もう! さっさと支度なさってきてくださいな!」
 居間を追い出されてからも影月は心の中で香鈴に謝り続けた。
(香鈴さん、すみません、すみません、ごめんなさい!)
 ここまで夢に振り回されるなどどうかしている。
 今日は思いっきり健全に過ごそう。たくさん歩いて。うんと疲れるまで。そうして、夜になったら夢も見ないほどぐっすりと眠ろう。
 影月は己の欲望を理性で固く封じ込めることを決意した。



 だが影月は知らない。
 抑え込めば抑え込むほど、解き放たれた時の反動も大きいということを。
 杜影月、十四歳。
 大人の階段をまだ上りはじめたばかり――。

目次  トップ































『少年は階をのぼる』(しょうねんはきざはしをのぼる)


『大人の定義』の番外編になります。
ここでは影月君は十四歳。
ちょっともう、色々あれこれ妄想なんかもしてしまうお年頃。
隙のありすぎる想い人は、
影月の内心を知ってか知らずにか振舞ってくれて。
時には眠れない原因に……。

『大人の定義』を書いていて、
「あー、香鈴、隙ありすぎ。私が影月なら押し倒してるぞ」
とかしみじみ思って。
もちろん、影月だってそういう風に見てるはずで。
まだ自慰ものよりかは読む方に抵抗がないかと、夢精ものになりました。
それもどうよ?という意見はこの際無視で。

ただ、本番未経験者の夢ですから、都合がいいとかあやふやだとか、
そういうように書いたつもりです。
行為のディテールより言葉攻め重視というか。
そして更に、少しばかり鬼畜風味に走ってもらうことにしました。
いやだって、言ってしまえば中学生男子の願望ですから?
ですから、下手するとエロ度はこれまで書いたものの中では一番かもしれません。

……と、ここまで書いて「しまった!」と思いました。
無理矢理もまあ、願望としてあるかとは思いますが、せっかく年上の彼女なんだから、
「わたくしが教えてさしあげますわ。後宮で先輩にどうすればよいのかきちんと教わっておりますの」
とかの方が良かったのかな。

櫂瑜と燕青に理解されまくってかえっていたたまれない影月、というのも書きたかった部分なので満足です。


ところで。この作品の後日譚というか姉妹編というかな同音異曲の話もうっかり書いてしまいました。
読みたいという方下からどうぞ。

『階はつづく』