約束の小枝(前編)




 音もなく静かに、白い雪が舞う。
 雪は時に家々からの灯りに色を染めて、なおはらはらと降り積もる。
「きれいですねえ!」
「そうですわね」
 人通りの途絶えた雪明りの街を手を繋いで歩く。
 今宵は、恋人たちの聖夜――。




 州城の広場に巨大なもみの木が運び込まれたのを影月が見たのは、一年の終わりの月に代わった頃だった。
 青々と葉を茂らせた大木は、緑の少ないこの季節、一際鮮やかだ。
 何事かと階上より見下ろしていると、たちまちあちこちから人が駆けつけて、もみの木に何やらし始めた。


「燕青さん。すっごく立派なもみの木ですけど、あれ、どうするんです?」
「ああ、おまえ、去年この時期にいなかったからなあ。
 あれは、栗主益(くりすます)に欠かせない飾りになるんだ」
(栗主益?)


 州尹室で同じく手を休めて窓から身を乗り出した燕青は、聞きなれない単語にきょとんとしたままの影月の顔を見て苦笑する。
「茶州でも琥lでしかやってない祭なんだ。
 えーと、昔々にだな。この琥lに一年に一回、年末に仙界からやってくる仙人がいてな。その名を燦卓呂臼(さんたく・ろうす)という。たいてい皆、燦卓とか三太とか呼ぶ。
 この燦卓なんだが、大の子供好きで。神出鬼没に現れて、寝てる子供の枕元に贈り物を置いていくんだ。いい子に限ると言われてるけどな」
「なんか、義賊みたいですねえ」
 影月の感想に、燕青は苦笑する。傍から見ればそうかもしれない。
「まあな。親もそれ知ってるから、その日には燦卓の好物だっていう鶏菜を作る。一部お供え、残りお相伴って感じで。
 市を覗いてみろ。この月はとにかく鶏だらけだから。」
(鶏菜の嫌いな人には辛い時期だろうな)
 さっぱり馴染みのない風習はかなり風変わりで、影月には面白い。
「だから、子供はこの祭が大好きだな。今はたいてい親がこっそり贈り物を用意してる。
 けど、この日にはもう一つ別の面がある。
 そもそも燦卓がなんで毎年現れるかというと、琥l近くに住んでた恋人の仙女に会うためだ。一年に一度の逢瀬だから、特別な贈り物して楽しんだっていう」
「贈り物するのが好きな仙人さんなんですねー」
「そう言えばそうだな」
 祭に長年親しんできた燕青は、そんなふうに考えたことがなかったとつぶやいて続けた。
「それだけならいいんだがな。こっからが問題だ。人間はそっちも真似し始めた」
「悪いことじゃないでしょう?」
「悪くはないんだが……」
 燕青の歯切れが悪くなる。
「その日は、恋人たちが特別な逢瀬をする日になった。
 どういうことかというと、気合入れてめかしこんで、気合いれた高い店で飲み食いして、気合いれた高価な贈り物を交し合う。ついでに求婚する奴も多い」
 何故だか燕青の表情は苦虫を噛み潰したようで、もしかして過去に何かあったんではないかと、ひそかに影月が案じたほどだった。
「飯店とかも、その日はどこも予約一杯で飛び込みだと入れないくらいだし、たいていは特別料理で特別料金をふんだくられる。払いはもちろん男。
 でもって、張り込んだヒカリモノ系の贈り物も用意しないと許されない。つまり、男の甲斐性が試される日でもある。
 だが、その日に一緒に過ごす恋人のいない男は甲斐性なしの寂しい男、とみなされる。独り者は寄り集まって自棄酒に走ることが多いな。
 州城でも企画されてるから参加は早めに……って、おまえにゃ関係ないか」
 どうやら、独り者の男性にとっては試練のような祭らしい、とぼんやり影月は思う。あくまでも他人事である。そもそも、琥lに来てまだ二年とたっていない影月だ。いきなり聞いたこともない祭の話をされても、自分が参加するなどとは思ってもみなかった。


 しかし、燕青は違う。茶州で生まれ育った彼にとっては、良いにしろ悪いにしろ、参加するのが当たり前。しかも、目の前の少年には栗主益を一緒に過ごすことのできる恋人がいるのだ。
 気付いた燕青は慌てだした。
「待て待て待て!そもそも栗主益を知らないってことは、飯店の予約もしてねえってことだなっ!?もうどこも予約は一杯だぞ!」
 まだ今ひとつ把握できていない影月は、ぼんやり燕青に聞き返す。
「どうしましょう?」
「あと、贈り物!これは用意しておけよ。これ忘れたら女は絶対許してくれないからな」
「って、何贈ればいいんですか?」
「なんか身を飾るような……簪とか首飾りとか、光ってて高いもんだな。おまえ、金貯めてるだろ?諦めてちゃんといいものを選べよ?」
 なんだか色々と面倒な決まりごとのあるお祭だなあ、というのが影月の感想だった。しかし、それが琥lで当たり前の風習なら、従った方がいいのだろうか。
(香鈴さんも知ってるかな?知らないならいいけど、知ってて僕が何もしなかったら寂しいかな?)
 何にせよ、贈り物はまだ間に合うとして、飯店の予約が問題だ。
「燕青さん、どこかまだ開いてそうなお店知ってます?」
「俺の知ってるとこは、たぶんどこも駄目だぞ。一応、まわりにも当たってやるけど」
「影月君、飯店の予約なら心配いりませんよ」
 ふいに第三者の声がして、影月と燕青は振り返る。州城の主がいつのまにやら州尹室に入ってきていたのだった。


「櫂瑜様?」
「おや、こちらの室からの方が広場がよく見えますねえ」
 燕青の場所を譲られて窓からもみの木を見下ろしながら櫂瑜は楽し気だ。
「影月君は栗主益など知らないと思ってましたから、私の分と一緒に頼んであります。よかったらこれが予約板です。使って下さい」
「ありがとうございます。助かります。でも櫂瑜様は栗主益、ご存知だったんですね」
 影月より後から赴任した櫂瑜が知っていて、当然のように参加するつもりなのが影月には不思議だった。
「こんな楽しい行事ですからね。他州にいるときも真似したことがあります。女性はたいてい喜んで合わせて付き合ってくれましたよ」
 なるほど、女性絡みとなれば納得もいく。
「これ、お店の名前ですか?想月楼って?」
 渡された板に書かれた名前を影月が読み上げると、燕青は飛び上がった。
「おまえっ!想月楼って言ったら、八州都に一軒づつ店がある超!高級料理旅館!」
「えっ!?そんな高級なとこ、僕なんて……」
 櫂瑜は手にした勺を、軽く影月の頭にぽんぽんと載せる。
「心配無用と申し上げたでしょう。支払いは済んでますし、当日店にその板を持っていけばいいことです」
「でも、櫂瑜様!」
 もちろん、支払額が高いんじゃないだろうかとか、そういう心配もあるのだが、あまり高級なところだと自分はきっと場違いであろうし、さらには自分の逢瀬の費用を他人に出してもらうというのがどうにも納得がいかず、影月は食い下がった。
「影月君の燦卓は私、ということですね。今年もいい子でしたでし。それに、こういったお店は今後も重要人物との会合などで使うことがありますから、場慣れしておくのもいいでしょう。しかも、仕事で行くより大切な女性との方が何倍も楽しいですからねえ」
 結局、そうまとめられてしまうと、影月に断れる理由などない。
「ひゃあ、想月楼ならどんな女も文句ないぞ。しかし、羨ましい……」
「燕青殿も予定がおありなら手配いたしますよ。何、想月楼でしたら各支店で使わせていただいて参りましたので色々融通を聞いてもらえるのです」
「櫂のじーちゃん、気持ちだけでいいわ……」
 女性との約束を取り付けていないらしい燕青は肩を落とす。
「では、燕青殿には差し入れに良いお酒でも進呈いたしましょうね」
 それはどうも……と言葉を濁す燕青は置いておいて、影月は櫂瑜を見上げる。
「櫂瑜様、本当に甘えさせていただいてもいいんですか?」
「影月君。よいですか、女性を喜ばせることを忘れてはいけません。男として当然のことです」
「はあ……」
「香鈴嬢をきちんとお誘いするのですよ。きっと美しく装ってきてくださいます。そういう女性はなんとも可愛らしいものです。ふふ。何でしたら、私が香鈴嬢を誘いたいくらいですが」
 影月は慌てて首を振る。なんとはなしに、影月と櫂瑜が同時に誘ったとしたら、櫂瑜の方を選ばれそうな気がしたからだ。
 そんな二人を眺めて、改めて燕青は思った。
(櫂のじーちゃん、いったい影月に何教えてんだよ……)


 州牧邸に帰宅した影月はさっそく香鈴を誘ってみた。
「まあ!影月様は栗主益などご存知ないと思っておりましたのよ!」
「ええと、つい最近教えてもらいましたー。香鈴さんは知ってました?」
「はい。幼い頃、鴛洵様より色々お話を伺いましたの。とても憧れましたわ。それも、想月楼だなんて、素敵ですわ!」
 すっかり興奮した香鈴の様子は、いつになく無邪気なほどだ。
「その、想月楼ですけど、香鈴さんは行ったことありますか?」
「貴陽のお店でしたら、鴛洵様が何度かお連れくださいましたわ。とてもお料理が美味しいんですのよ。きっと琥lのお店も期待できますわ!」
「あ、それじゃあ、楽しみですねえ」
「ええ、本当に!」
 香鈴が素直に楽しそうなので、影月は彼女を失望させないようにがんばろうと心に誓った。


 次なる課題の『贈り物』に十日ばかり悩んだ影月は、春姫に助けを求めて茶家を訪ねた。
「影月様。栗主益だなんて素敵ですわね。きっと香鈴も喜びますわ」
 春姫は二つ返事で協力を約束してくれた。
「もちろん、お手伝いさせてくださいませ。香鈴の好みでしたら、わたくし存じておりますし。
 そうですわね。明日、出入りの店の者にいくつか持ってこさせましょう」
(茶家の御用達って、それってものすごーく、高いんじゃないだろうか)
 内心、焦りが生まれたが、香鈴をよく知っている春姫ならばきっと間違いはないであろうし、他の知り合いは男ばかりで助言を求めても役に立ちそうになかったのだ。しかも、今更やっぱりよします、とかも言い難い。
 結局、翌日の再訪を約束して、影月は春姫と別れた。




 その翌日。影月は午前中、通常業務をこなしていた。その業務の内容にも注意していれば栗主益関連のものがいくらかあった。
 窓から見下ろすもみの木は、色とりどりの紐や丸い飾りでなんとも賑やかに変身している。あれだけの大木なのにどうやってかてっぺんに星の飾りさえあって、影月はその労力に感心した。
(本当に琥lでは気合の入ったお祭なんだなー)
 ひと段落して州尹室で伸びをしていると、同じくひと段落ついたらしい燕青が顔を覗かせた。
「影月、栗主益の用意、進んでるか?」
「なんとかなりそうですー」
「そっか。んじゃ仕事だ」
 燕青が懐から取り出した紙片を影月に渡す。何やら地図のようなものだ。
「何ですか、これ?」
「琥lのやどり木地図」
 やどり木とは、あの他の木に寄生して生えているあのやどり木だろうか。
 影月の頭をくしゃくしゃなでながら、燕青は説明する。
「栗主益はとにかく決まりごとが多いの。当日な、やどり木の枝の下にいる相手になら誰でも接吻していいという決まりが、なぜかあるんだ」
「せっ……!」
 たちまち顔を赤くする影月を面白そうに眺めながら燕青は続ける。
「で、そのやどり木がどこにあるのか判りやすく目印つけんのも俺らの仕事なわけ。
 ちなみに。この仕事は独り者には憎まれてるんで、例年彼女持ちがすることになってる。だから今年はおまえの担当な。門のとこで梯子借りて行くの忘れんなよ?」


 門の傍の武官の詰め所で梯子を借りた影月は、地図を片手に歩きだす。
 公園のブナの木。ケヤキ。
 それらはなんとなく想像が付く。
 かつて千里山脈に育った影月は、もちろんやどり木を知っていた。落葉樹に寄生するやどり木は薬の材料にもするのだ。
 しかし、やどり木はたいてい高い木の上に生える。そもそも街中に普通にあるものなのか疑問だし、そんな高いところに印を付けて意味があるかどうかも疑問だ。
 再び地図に目を落とした影月は、注意書きを読んで思わず声を上げる。
「崔さん家の庭院の栗の木!?」
 そこが州城から一番近かったこともあり、影月はまず崔家を目指した。


 崔氏の家に辿り着くと、なるほど塀の外からでも立派な栗の木が見える。その栗の木に寄生するやどり木が丸く茂っているのも確認できた。
「ごめんくださいー」
 影月は開いている門から顔を出して声をかける。
「州城から来たんですけどー」
「ああ、もうそんな時期だね。うちのやどり木はこっちだよ」
 愛想のよい崔氏と思われる男性が現れて、影月を庭院に案内する。
「しかし、今年はやけに可愛い色男が来たねえ」
 崔氏はにこにこと影月を眺めて言う。
 色男、などという単語には無縁だった影月はどう反応していいのか悩んだが、そんな影月の態度を気にもせず、崔氏は続ける。
「うんうん。可愛い彼女ができたばっかりなんだろう。で、独り者のイジワルな先輩にこの仕事を押し付けられて来たね?」
「先輩はイジワルじゃないですけど……」
 押し付けられたのは間違いではないので、語尾が弱くなるのは仕方がない。
「やどり木、どれか判るかい?」
「はい。あの丸い固まりでしょう?鳥の巣みたいな。あの、あんな高いところに印を付けて見えるんでしょうか?」
 崔氏は高らかに笑い出す。
「君、琥lの子じゃないね。そのままあそこに印を付けるわけじゃないんだ。切り落として使うんだよ。まあ、見ていなさい」
 崔氏は影月から梯子を借り受けると栗の木に立てかけ、見る見るうちに登っていく。懐から取り出した刈り込み鋏で、ひと固まり切り落とした。
 さっさと地面に降りた崔氏は、鋏を使って固まりをさらにいくつかに切っていく。
「これを適当に束にする。ついておいで」
 崔氏は影月を門の外の塀に連れて行った。
「うちは毎年のことだから場所も決まっててね。ほら、軒に釘が打ってあるのがわかるかい?」
 確かに、屋根のある塀の軒下に、何箇所か釘が打ってあるのが見えた。ひとつひとつはかなり離れている。
「じゃあ、束に印用の紐を結んでいって」
 影月は地図と一緒に渡された袋を腰からぶらさげていたが、慌てて中身を取り出す。印用の紐は同じ長さで揃えられた色とりどりのものだった。
 言われた通り、紐を結んで渡すと、崔氏は束を逆さにして釘に吊るしていく。
「これでできあがり。あとは同じように釘のあるところに下げていくんだよ」
「どうしてこんなに間をあけてあるんですか?」
 隣の釘に束をぶら下げながら、影月は崔氏を振り返る。
「それは君、押し合いへし合いしながら接吻するなんてどう思う?カッコ悪いよね?いくら回りが見えていない恋人たちだって、少しくらいは離れてないと。それにあまり近いと自分の彼女が隣のやどり木の下になって、よその男から接吻されたりしたら大変だよ」
 崔氏はなんとも楽しげに語らいながら、影月の作業を手伝ってくれた。
「全部かかったね?余りはそのまま持っておいき。途中で欲しがる人がいるからあげるといい。おっと、これは君の分」
 影月に別に手渡されたのは、小さな一枝。
「君の家の軒にでもぶら下げるといい。うまくやるんだよ、杜影月君」
「え?僕のこと――」
「先の州牧を知らないでどうするね。しかし、君も若いのになかなかやるねえ」
「はあ……」
 影月はなんとか礼を言って小枝を懐に仕舞った。
 梯子を取って、改めて崔氏に礼を言うと、崔氏はからからと笑う。
「もしよかったら、うまくいったら報告に来ておくれ。歓迎するよ」


 崔氏の家を辞して、影月は梯子とやどり木の束を抱えて再び街を歩き出した。
 崔氏の言った通り、やどり木に気が付いた人たちがたちまち集まって声をかけてきた。
 大抵はお目当ての彼女がいるらしい青年だが、栗主益の飾りを作るという女性も少なくはなかった。
 影月は気前よく枝を分けてやったが、中に小銭を握らせていく者があり、これには困った。しかも、当の人物はたちまち姿が見えなくなって返すことも出来ず、仕方なく預かっておくことにした。
(よっぽど、今年の栗主益は一大勝負なのかなあ?)
 梯子を引きずりながら、影月は次なる目的地、李氏の家を目指した。


 李氏の家でも似たようなものだった。
 呼びかけに応えたのは夫人のようで、たくましい腕で自宅の庭院の桜からやどり木を切ってくれた。この家も、塀の外に場所が決まっていて、影月は崔氏に習ったように作業を済ませた。
 李夫人もまた、余ったやどり木を持っていくよう勧めてくれたのだが、やはり年若い影月が来たのを面白がったのか、はたまた応援のつもりだかで、菓子まで持たせてくれたのだった。


 同じようなやり取りを鄭氏の家と王氏の家で済ませた影月は、道々希望者にやどり木をわけ、結局梯子だけ持って盧氏の家に辿り着いた。
 盧氏の家には榎の木があった。
 しかし。これまでとは違ったのは、門を覗いた途端、いきなり痩せた犬に吼えられたことだった。
 犬の吼え声に気付いて現れたのは、これまた気難しそうな老人である。
「なんじゃ、その梯子は。怪しい奴だな」
「すみません。州城から来たんですが、やどり木を――」
 影月の答えに盧氏と思われる老人は忽ち眉をしかめた。
「あの忌々しい栗主益か!わしゃ、あの行事は好かん!とっととあのやどり木を切り落として持っていってくれ!なんでよりによってわしの家に生えたんだか!」
 影月は慌てて庭院に入らせてもらうと、梯子を立てかけてやどり木に鋏を入れる。鋏は崔氏が貸してくれたものだった。
 落としたやどり木を影月が拾うと、盧氏は野良犬でも追い払うかのように手を振った。
「ぶら下げるのはうちではごめんだからな。どっか決まっとったはずじゃ。ほらさっさと行け!」
 またしても犬に吼えられながら、影月は短く礼を言って、盧家を飛び出した。


「じゃあ、このやどり木はどうしたらいいんだろう?」
 改めて地図を見ると、なるほど『盧家のやどり木はこちらに』と矢印が書き込んである。場所は盧氏の家からいくらか離れたところにある共有の井戸だ。井戸の覆い屋根をのぞくと、おなじみの釘が見えた。
 ここに吊るすのはほんの僅かで事足りた。なので、かなりたくさん余ったが、もちろんこれも引き取り手には事欠かなかった。中には影月の作業が終わるのを待って声をかけてきた者もいたくらいだ。
(一体、栗主益にはどれほどのやどり木が飾られるんだろう?もしかして、琥l中の屋根の下にぶら下がってたり?)
 それは、想像すると少し楽しかった。


 琥lのやや東の端に近い場所には、一般に開放されている公園がある。公園と言っても、整えられた庭園というよりは雑木林の中に東屋が点在するようなそんなものである。ここには印が三箇所についていた。ブナとナラとケヤキにやどり木が生えているらしい。

 公園に着いた影月は、まずケヤキを発見した。やどり木は落葉樹を選ぶので、葉の落ちた枝の間のやどり木の固まりは見つけやすい。
 人家の木とは違ってあまり手入れがされていないせいか、それとも種を運んだ鳥のせいなのか、ケヤキに宿った固まりは、かなり高いところにあった。
 梯子だけでは届かなくて、あとは枝を伝って登る。固まりを切り落とすと慎重に降りた。地面に着いた時には正直安堵したものだった。
 ケヤキの根元に座り込んで束を作って印の紐で結んで。そうしてできた束をケヤキの低い枝にぶら下げる。残りはその近くの木の低い枝に。このあたりのことも親切な崔氏が教えてくれたのだ。もし、最初にこの公園に来たり、もしくはあの盧氏のところに行ったならば、影月はどうしていいかわからなかっただろう。
 そうして作業をしている影月に、ふいに声がかかった。

「お兄ちゃん、何してるの?」
 振り返れば五、六歳の男の子がそこにいた。近所の子供だろうか。周りには連れらしき人の姿もない。
 影月はしゃがみ込んで子供と目線を合わせると質問に答えた。
「栗主益の準備をしてるんだよ」
「栗主益……」
 つぶやいた途端、子供の目から大粒の涙が溢れた。
 いきなり泣き出した子供を影月は慌ててなだめる。
「どうしたの?泣かなくていいんだよ?」
 子供はしゃくりあげながら声を出す。
「ぼくね、わるいことしたから、三太さん来ないんだって」
 そうしてまたわんわんと泣き出す。
「そうなの?悪いこと、したの?」
「わるいことじゃないもん!」
 途切れ途切れの子供の言葉を聞き取ってみると、どうやら父親の一張羅に母親の紅で落書きしたらしい。
「ぼく、父ちゃんの服、かっこよくしただけだもん!」
 紅は、油性である。はっきり言って落とすのは難しい。子供の意図はどうあれ、父親が激しく怒ったであろうことは容易に想像がついた。おそらく、叱られて家から飛び出して来たのだろうとも。
「ちゃんとあやまった?」
「……」
 自分のしたことを悪いことだとは微塵も思っていないらしい子供は、たちまち口をつぐんだ。
「君はたぶんお父さんが大好きで、お父さんをかっこよくしてあげたかったんだと思うけど、お父さんは大人だから、大人のかっこいいはまた違うんだよ。家に帰って、ごめんなさいってあやまっておいで」
 子供は少しも納得した様子はない。影月は違う角度から攻めることにした。
「三太さんはどっちの味方かな?お父さんが来ないって言ったんだね?じゃあ、あやまらないと来てくれないと思うよ?」
「あやまったら、来てくれるの?」
「うんとうんとあやまったら、きっとね」
 影月は、州城からも琥lの子供たちへ贈り物をする予定であることを知っていた。親からは貰えなくても、すくなくとも何かはこの子に贈り物があるだろう。
 ふと、李夫人から貰った菓子を思い出して、その焼菓子のかけらを子供の口に入れてやった。甘い菓子にたちまち子供の頬がゆるむ。
「そうだ、この枝も持っていって。僕も聞いたばかりだけど、やどり木は持ってる人を幸せにしてくれるって。これ持って、お父さんにあやまってごらん?」
 子供は、小さな手に枝を握り締めて、ひとつうなずくと駆け出した。だが、急に振り返って叫んだ。
「ぼく、ちゃんとあやまるから!おにいちゃんもがんばって、ちゅーできるといいね!」
 この捨て台詞には影月は苦笑するしかなかった。


 残りのふたつの木での作業を済ませると、すっかり日も暮れかかっていた。
「いけない!春姫さんとの約束があったんだ!」
 幸いなことに公園と茶家はそれほど遠くはない。梯子と余ったやどり木の束を抱えて、影月は茶家へと急いだ。
 茶家に着くと門番に梯子を預け、奥へと案内される。
「春姫さん、遅くなりました!」
「大丈夫ですわ。あら、それはやどり木ですわね」
 春姫は影月が抱えたままだったやどり木の束に目をやる。
「よければどうぞ?」
「それでは、これで栗主益の飾りを作りますわね」
 春姫はやどり木を受け取ると嬉しそうにそっと傍らに置いた。

「さ、影月様、こちらに」
 その部屋にはひとりの男が待っており、なにやら色々と卓上に並べていた。もちろん、全商連の商人に違いない。
 金や銀、鮮やかな色石などで、卓上はまばゆいばかり。この時点で影月は逃げ出したい衝動に駆られた。
(でも、香鈴さんには似合いそう、だよな。たぶん……)
 そう自分を叱咤して、なんとか踏みとどまる。
 春姫はと言えば、さっさと品定めに入っている。
「こちらからこちらまでは派手すぎますから、下げてください」
 春姫が指差した品物は、大振りの目立つものが多かった。値段もよいものだったのだろう、かすかに商人の顔に落胆が見える。
「飾りはあくまでも付けた当人を引き立てるものでないと。飾りばかり目立っても仕方ありませんわ」
 いくつかをさらに下げさせて、春姫は熟考し始めた。
「銀よりは金がよいでしょう。あの子には簪よりもまだ花飾りの方が似合うでしょうし。何か小さい物がよろしいですわね」
 そうして、何やら摘み上げる。どうやら指輪のようだ。春姫はそれを一旦自分の指にはめてみて、ひとつうなずいた。
「影月様、こちらなどいかがでしょう?」
 手渡されたのは華奢な指輪だった。だが、細い金の透かし彫りが施され、乳白色の小さな石がはめ込まれている、なかなかに凝ったものだった。
「それは、琥漣の若手作家のものでしてね。なかなか将来楽しみな人物です」
 商人の説明も、影月にはあまり意味はない。影月はそれを香鈴がはめたところを一生懸命想像してみた。華奢な香鈴の指には、やはり華奢な指輪が似合うだろう。主張しすぎない石も好ましく思えた。
「そうですね、これ、いいかもしれませんねー」
「これでしたら、香鈴もすぐはめられますし。あの子は、わたくしと指の寸法が同じですから」
 なるほど、それで春姫はまず自分ではめてみたのかと合点がいった。
「よろしければ、お揃いの耳飾りもございます」
 すかさず、商人は同じ趣向の耳飾を取り出した。乳白色の石の下、透かし彫りの金片が揺れている。
 そう言われても影月にはどうしていいかわからず、春姫に視線で助けを求めた。
「そうですわね。確かに同じ趣向のものが揃っていると使いやすいですし。影月様、よろしいですか?」
 影月は最早どうとでもなれという気持ちでうなずいた。
(ええと、たぶん、僕が貯めてるお金で買える……はず)
 装身具など、これほど影月と縁のないものもない。はっきり言って値段などわからない。だが以前市で見た耳飾の値段にさえ驚いた影月である。腹に力を入れて、覚悟を決めた。
「こちらの指輪と耳飾を」
「ありがとうございます!」
 商人は満面の笑顔を影月と春姫に向けた。しかし。
「それでは、ふたつまとめてですとおいくらまでまけられますか?」
 商人の顔はまったく見物だった。まさか茶家の奥方に値切られるとは思ってもみなかったのであろう。影月だって思ってもいなかったくらいだ。
「あ、あのですねえ……」
 春姫は彼の動揺など気にも留めずに値段の交渉に入る。
「そ、それはあんまりです!仕入れ代にもなりません!」
「ですけれど、これはそれほど金を使っているわけではありませんし、石もさほど高価なものではありませんわ」
「いやしかし!これはこの意匠代ですとか、技術料とかが加算いたしますので!」
 最早、影月には口をはさむこともできない。
「何も無理ばかりは申しませんわ。今後、わたくしがこういったものを求める時には、あなたのお店に必ずお願いするということでいかがでしょう?」
 商人はしばらく考えこんでいたが、やがて慎重に声を出す。
「一筆いただいてもよろしいでしょうか」
「かまいませんわ」
「それでは、こちらは奥様の言い値とさせていただきます」


 別室に移った影月は春姫にこっそりと尋ねた。
「よかったんですか?あんな約束しちゃっても?」
「わたくし自身はそれほどああいったものを必要とはしませんし、何よりあの者の店はこの琥漣では一番趣味がよろしいのですよ。ですから、少しも損はしておりません」
 春姫がそこまで言ってくれたのであれば、影月にも文句はない。重ねて礼を言って、茶家を離れた。
 こうして、影月は市価の半値という代金と引き換えに香鈴への贈り物を入手したのであった。
 もちろん、それでも日用品などと比べるとはるかに高価な買い物ではあったのだが。

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